テレビ番組をきっかけにフィジーへ渡り、甲子園の夢を追って教員になり、青年海外協力隊として再びフィジーで野球を教える。
そんな異色の経歴を持つ職員が、なぜ宮崎県川南町の役場職員になったのか。
世界を見て、様々な経験を積んだ職員がたどり着いた「やりたい生き方」が、この町にはありました。

動画の目次
0:34 フィジーに魅せられたきっかけ
1:33 甲子園の夢を追いかけ教員へ
2:05 青年海外協力隊としてフィジーで野球を教える
2:51 川南町役場の職員になった理由
4:31 野球で恩返し 中学野球部の外部コーチ
6:07 公務員として働く魅力
7:04 生きる上での「幸せ」とは
フィジーと甲子園 人生の二つの原点
高校時代にテレビ番組で見たフィジーに憧れ、大学を休学して渡航。
そこで、富をえる者が貧しい者に分け与える「ケレケレ(共有)」の文化に触れ、助け合うことの素晴らしさを知りました。
一方で、選手として届かなかった甲子園の夢を指導者として叶えるため、教員の道へ。
この二つの経験が、私の人生の大きな原点となっています。

地元が好きなら絶対役場がいい
公務員の仕事は、自分のアイデアで税金を使いまちに形あるものを残せる、すごく面白い仕事です。
野球場一つ作るにしても、様々な課が関わり、「こういうものを町に残したい」という想いを実現できる。
異動を通して色々な角度から町が見え、たくさんの人に会える。
地元が好きという動機が、一番の力になる仕事だと思います。

幸せは「なる」ものじゃなく「気づく」もの
私は、幸せとは未来に「なる」ものではなく、今あるものに「気づく」ことだと思っています。
毎日家族と美味しいご飯が食べられること、地元の子どもたちと好きな野球ができること。
一つひとつは当たり前かもしれませんが、それらがどれだけ幸せなことか。
川南町は、そんな日常にある小さな幸せに気づかせてくれる場所です。



