「メーカーの立場では、どうしても超えられない壁があったんです」。語るのは、新潟県新発田地域整備部に所属する武藤さん。前職は大手測量機器メーカーで、アメリカ・カリフォルニアを拠点に世界各国の多国籍チームでプログラムマネージャーとしても活躍していました。
最先端のテクノロジーを駆使し、世界の建設現場を変えようとしていた武藤さんが、なぜ次なるキャリアとして「新潟県庁」という公務員の道を選んだのか。そこには、愛する故郷への想いと、現場を知るからこそ抱いた「日本のインフラの未来」への使命感がありました。
民間企業でのキャリアを武器に、今、新潟の地に根を張り、新しい風を吹き込もうとしている武藤さん。土木職としての本当の面白さ、そして行政というフィールドだからこそ実現できる「やりがい」の本質について、じっくりとお話を伺いました。
- 世界を舞台に活躍したPMが、なぜ新潟県庁を選んだのか
- 「制度」という壁を変えたい。メーカーから行政への転身。
- 住民からの「ありがとう」。民間とは違うやりがいの本質
- 「事業の卵」を孵化させる。地域の未来を描く計画調整課の仕事
- 土木を憧れの職業へ。次世代につなぐバトンと、ここで働く誇り
世界を舞台に活躍したPMが、なぜ新潟県庁を選んだのか
ー本日はよろしくお願いいたします。まずは、新潟県庁に入庁されるまでの歩みを教えていただけますか?
武藤:よろしくお願いします。私は新潟市の出身で、地元の長岡技術科学大学の大学院まで進みました。修了後の2008年、東京に本社がある測量機器メーカーに入社したのがキャリアのスタートです。そこで約10年ほど勤務したのですが、非常に刺激的な毎日でしたね。
入社して数年経った頃、海外赴任のチャンスをいただきまして、平成22年から約4年間、アメリカのカリフォルニア州にあるグループ会社に出向しました。
ー海外赴任の経験もあるのですね。そこではどのような業務をされていたのでしょうか?
武藤:「GNSS測量機」という、人工衛星を使った高度な測量機器の開発プロジェクトに携わっていました。私はそこでプログラムマネージャー、いわゆるPMとして、開発プロジェクト全体のスケジュール管理や進行を担っていました。
チームのメンバーは、カナダ、ロシア、インド、中国…と、本当に多国籍でバラエティ豊かな顔ぶれでした。文化も考え方も違う彼らと一緒に、一つの製品を作り上げていくプロセスはまさに言葉の壁や価値観の違いを乗り越える連続でしたが、その分、製品が形になった時の喜びは大きかったですね。
ーそんなグローバルな環境で活躍されていた武藤さんが、なぜ新潟に戻り、県庁という道を選ばれたのでしょうか?
武藤:転機となったのは、日本に戻ってきてから授かった子どもの存在です。私と妻、お互いの実家が新潟にあるのですが、育児をしていく中で「やはり子供は、自然豊かでお互いの両親のサポートが得られる地元で育てたい」という思いが強くなっていきました。
実はちょうどその頃、会社から「次は中国か、東南アジアの拠点での勤務も視野に入れて欲しい」という打診もあったんです。キャリアとしては非常に魅力的でしたが、幼い子どもを連れて頻繁に国を跨ぐ生活は、今の自分たちが求める家族の形とは少し違うな、と感じました。
世界を飛び回るやりがいも素晴らしいけれど、今は、自分を育ててくれた新潟の地に恩返しをする時ではないか。そう考え、新潟県庁への転職を決意しました。
「制度」という壁を変えたい。メーカーから行政への転身。
ー「家族」を第一に考えた選択だったのですね。新潟に戻るという選択の中で、「県庁」を選ばれたのにも理由があるのですか?
武藤:はい、実は転職にあたって、そこが私にとっての最大のモチベーションでした。
前職の後半では、日本でも推進されているICT活用工事、いわゆる重機を自動で動かすような情報化施工の技術を普及させる仕事をしていました。
アメリカやヨーロッパでは、作業時間の短縮や効率化を背景に、こうした技術が驚くべきスピードで普及しています。しかし、日本ではなかなか浸透していないんです。製品の性能は世界最高水準なのに、なぜ売れないのか?その理由を突き詰めていくと、製品の問題ではなく「制度の問題」だという壁にぶち当たったんです。
ー「制度の壁」とは、具体的にはどのようなことでしょうか?
武藤:例えばアメリカでは、工事を早く終わらせれば、浮いたコストがそのまま企業の利益になるインセンティブがあります。しかし当時の日本は、効率化して早く終わらせても、それが直接的な利益ではなく「工事成績の点数」として評価される仕組みでした。
これでは、民間企業が多額の投資をして新しい技術を導入しようという動機が生まれにくく、メーカーの立場から「この技術は素晴らしいですよ」といくら叫んでも、この仕組みそのものが変わらなければ、日本の建設業界のアップデートは進まないんです。
「それなら、その制度を作る側に回ればいい。ルールを変えることで、新潟、そして日本の土木をもっと面白くできるはずだ」そう確信したことが、行政、それも広域的な制度設計に携われる県庁を目指した決定的な理由です。

ーこれまでできなかったことを、行政の立場で実現しようと思われたのですね。非常にワクワクするような志望動機です。
武藤:そう言っていただけると嬉しいです。国という選択肢もありましたが、やはり生まれ育った新潟のためにという手触り感のある貢献がしたかったんです。県であれば、制度の運用と現場の両方に関わることができるので、理想的な立ち位置で働くことができると思いました。
住民からの「ありがとう」。民間とは違うやりがいの本質
ー実際に入庁されてみて、前職との違いに戸惑うことはありませんでしたか?
武藤:正直に言えば、最初は紙と押印の多さに驚きました。海外に赴任していたこともあり、押印という文化からも離れていたので、一日に何回自分のハンコを押しているんだろうと思いましたね(笑)
現在は文書管理システムに切り替わったので、そういった作業は無くなっているのですが、当時、スピード感を重視してきた身としては、複数のチェック工程を経て慎重に進める公務員のスタイルに、もどかしさを感じることもありました。
しかし、それを補って余りある「感動」があったんです。
ー「感動」ですか?どのような体験があったのでしょうか?
武藤:県職員になって最初に配属されたのが、道路の維持管理を担当する部署でした。
駅前の古くなった側溝(そっこう)を、70メートルほど新しく敷設し直すという、比較的小規模な工事を担当したのですが、無事に工事が終わった際、近くに住むご年配の方がわざわざ「ここがガタガタして歩きにくかったから、本当に助かったよ。綺麗にしてくれてありがとう」と声をかけてくださったんです。
ー直接感謝の言葉をかけていただいたのですね。
武藤:そうなんです。メーカー時代は、私たちの製品を買ってくださる建設会社や測量会社の方がお客様でした。もちろんお礼は言われますが、それはあくまでビジネス上の対価に対するものです。
でも、県庁の仕事は明らかに違います。私たちが整備したインフラを日々利用する「住民」の方から、直接感謝が届くんです。自分の仕事が、誰かの不便を解消して安全に繋がっている、その実感がダイレクトに伝わってきた時、この道を選んでよかったと心から思いました。
スピードや効率も大事ですが、公務員が何よりも「正確さ」を重んじるのは、それが県民の皆さんの生命や生活に直結しているからなのだと、改めて理解した体験でもありましたね。

「事業の卵」を孵化させる。地域の未来を描く計画調整課の仕事
ー武藤さんは現在、計画調整課にいらっしゃるとのことですが、具体的にはどのようなお仕事をされているのでしょうか?
武藤:一言で言えば、事業の卵を育てる仕事です。
私が所属する新発田地域整備部は、新発田市、胎内市、阿賀野市、聖籠町という3市1町を管轄しています。各市町の首長から寄せられる「ここに新しい道路を作ってほしい」「この橋を架け替えてほしい」といった要望を精査し、将来の交通量や周辺環境への影響を分析して、国や県の本庁に対して「これは事業化すべき案件です」と提案していく役割です。
ーまさに、地図の中に道を描き始める段階ですね。
武藤:そのとおりです。予算を確保し、事業として正式に動き出すまでの「最初の一歩」を創り出すのが私たちの仕事です。
ここでは、前職で培ったプログラムマネジメントの経験や、コスト意識、そしてスピード感が非常に役立っています。要望をただ受け取るのではなく、「どうすれば説得力のある事業計画になるか」「地元の皆が喜んでもらえる計画になるか」といった視点で企画を練り上げることが重要なんです。
公務員だからといって前例を踏襲するだけではなく、自分のアイデア次第で、10年後、20年後の新潟の姿をより良いものに変えることができます。このクリエイティブな側面は、新潟県庁で、そして土木職として働く大きな魅力だと思います。

土木を憧れの職業へ。次世代につなぐバトンと、ここで働く誇り
ー武藤さんは、「担い手確保」の活動にも力を入れているそうですね?
武藤:はい。これは私個人としても非常に大切にしている取り組みです。今、土木業界は深刻な人手不足に陥っていますが、土木こそがこの国を支える基盤なんです。
私は今、中学校や高校を巡り、生徒たちの前で土木の仕事の尊さや魅力を伝える活動をしています。「きつい」「汚い」といったネガティブなイメージを払拭し、「地図に残り、人から感謝される最高に格好いい仕事」であることを、一人でも多くの若者に届けたいです。
いつか、私の話を聞いて「土木の道に進みました」と言ってもらえる日が来ることが、今の私の大きな夢です。


ーお話を伺っていると、武藤さん自身が本当にこの仕事に誇りを持っていることが伝わってきます。
武藤:ありがとうございます。これから何十年と残っていく“もの”に携われるのは、やはり土木職として働く大きな喜びです。
普段働いている姿を子どもに見せる機会はあまりないのですが、時々、家族とドライブをしている時に「この橋は、実はお父さんが担当したんだよ」なんて話すこともあります。
子どもから「パパすごいね」なんて言われると、疲れも吹き飛びますし、土木の仕事の誇らしさを改めて実感しますね。ただの自己満足なのかもしれませんが(笑)
ー最後に、これから新潟県庁を目指す方や、キャリアチェンジを考えている方へメッセージをお願いします。
武藤:私は30代前半で民間から県庁へ飛び込みましたが、一度たりとも後悔したことはありません。むしろ、民間のスピード感と行政の公共性を併せ持てることは、これからの時代、強い武器になると確信しています。
新潟県庁は、子育てへの理解も深く、共働きでも柔軟に働ける環境が整っています。私も子どもの体調不良時には在宅勤務を活用するなど、家族との時間を大切にしながら、やりがいのある仕事に打ち込めています。
「現状に満足していない」「もっと広い視野で社会に貢献したい」と考えているなら、ぜひ一歩踏み出してみてください。新潟県庁には、あなたの経験を活かし、そして更に成長できるフィールドが必ずあります。
一緒に、新潟の未来をデザインしましょう!

ー本日はありがとうございました。
世界を相手に最先端技術を扱っていた武藤さんが、地域の方からの「ありがとう」という言葉に感動を覚える。そのギャップに、公共を支える仕事の本質が見えた気がしました。 ただ制度を変えるだけでなく、その先にいる誰かの生活や笑顔を想像しながら、新しい地図を描いていく。武藤さんの真っ直ぐな言葉の端々からは、土木という仕事への深い愛と、次世代へ誇れるバトンを繋ごうとする力強い優しさが溢れていました。「お父さんすごい」と笑うお子さんの様子も、武藤さんが考える土木という仕事の誇りに大きな意味をもたらしているのだと、温かさを感じた取材でした。
取材・文:パブリックコネクト編集部(2026年1月取材)



