宮城県南三陸町役場で土木職として働く鹿野さんのインタビュー記事です。東日本大震災をきっかけに、民間企業から自治体へ転職を決めたという鹿野さんに、復興を通じて感じた土木職として働く魅力ややりがいについてお聞きしました。
やりがいに関しては、民間を長く経験していたからこそわかる、民間と自治体の違いといった観点でもお話いただいているため、就職先に悩んでいる方にとってもとても参考になる内容となっています。
ーまずは簡単に自己紹介と経歴について教えてください。
鹿野:私は南三陸町に隣接する登米市の出身で、高校卒業後に測量建設関係の専門学校に進学しました。そちらで2年間専門分野を学び、卒業後は民間の建設関係の企業に勤め、9年間の社会人経験を経て、平成24年度に南三陸町役場に入庁しました。
ー前職も含め、ずっと土木関係の仕事をされていたのですね。そもそも、なぜ土木関係の専門学校に進学しようと思ったのでしょうか?
鹿野:実は私の父、そして祖父も建設関係の仕事をしていました。小さい頃から父達の働く姿を見てきた影響で、自然と自分も土木の道に進みたいと思うようになっていました。
高校は普通科だったのですが、進路を考える上では「自分も土木技術職を目指そう」と決めていたため、専門学校に進学することとしました。
ー民間企業で経験を重ねた鹿野さんが、南三陸町役場で働こうと思ったきっかけは何だったのでしょうか?
鹿野:やはり東日本大震災ですね。平成23年に発生したあの震災は、私の人生観を大きく変えました。報道で南三陸町の甚大な被害状況を知り、昔からよく知っていた町の為に何かできないかと考えたんです。私は登米市の出身なので、南三陸町が地元というわけではないのですが、隣町ということもあり、小さい頃からよく遊びに行っていた馴染み深い場所でもありました。
そのため、復興の為に何か力になりたい、そう強く思っていたところ、ちょうど南三陸町役場の求人を見つけたので、迷わず応募しました。
ー震災がきっかけとなっていたのですね。働きながらの転職活動は大変でしたか?
鹿野:そうですね。働きながらの転職活動だったので試験対策は主に夜間に行うなど、大変といえば大変だったのですが、特に前職への伝え方について気を使いましたね。前職に何か不満があっての転職ではなかったため、南三陸町の復興に携わりたいという自分の率直な考えを伝え、退職させていただくことができました。思いを汲んでいただき本当に感謝しています。
ー入庁されてから今まで、どのような業務に携わってきたのでしょうか?
鹿野:入庁後はすぐに復興事業推進課に配属され、復興計画の策定や、復興事業に必要な用地の取得などに携わりました。まさに復興の最前線でしたね。
その後、建設課に異動となり、現在に至るまで約10年間、災害復旧や道路の新設・改良事業、公共土木施設の整備・維持管理など、幅広い業務を担当してきました。配属としては現在の所属で3課目になります。
現在の建設課では、主に発注者側の立場として、工事の施工管理や、完成した施設の維持管理などを行っています。震災直後は被災した道路や河川など公共物の復旧が主でしたが、復興事業が落ち着いてからは、維持管理がウェイトを占めるようになってきました。計画から施工後の管理まで、幅広く、且つ責任を持って担当しています。
ー民間企業と役場で働くことの違いはどんなところだと感じますか?
鹿野:民間企業で働いていた頃は、1つの現場に集中して仕事をしていました。責任者として、任された工事を完成するためだけに全力を注ぐといったイメージです。任された現場については裁量もありましたので、やりがいもある仕事でした。
役場では、一つのことに限らず、全体を広く見渡し、臨機応変に対応していくことが求められていると感じます。また、民間企業は基本的には営利目的ですが、役場では仕事を通じ、住民の相談に耳を傾けることができ、成果に対して住民の方々から直接感謝の言葉をいただくこともあります。住民との関わり方が、民間と役場の大きな違いだと感じています。
ーこれまでで、特に印象に残っている業務があれば教えてください。
鹿野:やはり東日本大震災に関連する復旧工事が印象深いですね。津波の被害で通行が困難になっていた橋を復旧する工事で、仮設の橋を設置して交通を確保した上で、新しい橋を建設しました。地元の方々とのやり取りや、業者さんとの調整など、大変なこともありましたが、完成した時には地元の方々から感謝の言葉をいただき、本当にやりがいを感じました。
あの時の経験は、今でも鮮明に覚えています。橋梁は地域にとって重要なインフラなので、復旧に携われたことを誇りに思います。
ー鹿野さんが土木技術職として、やりがいや魅力を感じるのはどんな時ですか?
鹿野:民間企業の場合は、発注者から請け負った仕事をすることが最優先となるので、地域の方からの要望にすべて応えることは難しい場合もあります。例えば工事を進める中で、地域の人から「ここも傷んでいるから補修して欲しい」という要望があったとしても、原則として請け負った範囲外の作業はすることができません。利益を考えながら確実に仕事を進めていかなければなりませんので、これは仕方のないことです。
一方、役場の場合は地域の方々の声を聞き、予算の範囲内でできる限りの対応をすることができます。例えば、道路工事中に同様の要望があれば、必要性をよく確認した上で、予算内で対応できるか検討し、可能であれば追加で工事を行うことができます。
地域の方々と向き合い、共にまちづくりを進めていく。その中で「ありがとう」「助かったよ」と感謝の言葉をいただけた時は、本当に嬉しく、この仕事をしていて良かった!と思いますね。
ー土木技術職として働くうえで、南三陸町ならではの経験等を積むことはできますか?
鹿野:南三陸町は海もあり、山もある変化に富んだ地形なので、道路・河川などの公共土木施設のほか、海岸施設、漁港施設、農林道施設など、土木技術者として様々な分野の業務に携わることができます。私自身もまだすべての分野を経験したわけではありませんが、将来的には、まだ経験したことのない仕事にも挑戦してみたいと思っています。
ー土木技術職としての研修制度や育成制度について教えてください。
鹿野:町独自で土木に特化した研修制度はありませんが、宮城県などが主催する土木技術者向けの研修に積極的に参加することができます。また、南三陸町の技術職員は少数精鋭なので、上司や先輩からマンツーマンで指導を受けたり、気軽に相談できる環境です。新卒の方や経験の浅い方は、1つの現場に上司とペアで入り、着工から完成まで一貫して携わることで、実践的なスキルを身につけることができます。つきっきりで教えてもらえるので、安心して仕事に取り組むことができると思いますよ。
ー現在、土木技術職はどのような体制になっているのでしょうか?
鹿野:全庁で20名にも満たない少数精鋭です。年齢層は比較的高めで、20代の職員は現在いません。なので若い方々にはぜひ来ていただきたいと思っています!
ーどのような人に来てもらいたいと思いますか?
鹿野:専門知識は入庁後に学ぶこともできるので、そこまで気にしなくてもいいと思っています。一番大切なのは、南三陸町を良くしたいという熱い想い、そして、地域の方々と積極的にコミュニケーションを取り、共にまちづくりを進めていこうというやる気ですね。現場作業もあるため、体力ももちろん大切ですが、何よりやる気や熱い想いのある方を求めています!
ー生活環境として、南三陸町の魅力はどのようなところでしょうか?
鹿野:私の出身地である登米市には海がないので、南三陸町の美しい海にはいつも癒されています。仕事で疲れた時、海を眺めていると心が落ち着きますね。南三陸町は海だけでなく、山もあり、自然豊かな環境も魅力です。
食生活も豊かですよ。新鮮な魚介類はもちろん、ワカメやカキなどの特産品も豊富です。一番の特産はタコですね。タコをモチーフとした町のキャラクター、オクトパス君も有名だと思います。
ー最後に、土木職を志望する学生や若者に向けてメッセージをお願いします!
鹿野:土木の仕事は、当たり前の日常を支える、とてもやりがいのある仕事です。「道路が通れる」「河川を安全に水が流れる」といった当たり前のことを、未来へと繋いでいく。それが私たちの仕事です。南三陸町は自然豊かな素晴らしい町です。ぜひ若い皆さんの力で、この町をもっと盛り上げていきましょう!南三陸町で一緒に働ける日を楽しみにしています!
ー本日はありがとうございました!
取材・文:パブリックコネクト編集部(2024年12月取材)