射水市消防で救急救命士として働く、高瀬さんと今村さんのインタビュー記事です。
二度目の挑戦で射水市消防本部へ入られた高瀬さんと、民間企業から転職した今村さん。
異なる経歴を持つ二人が仕事のやりがいやキャリアパス、そして射水市消防ならではの働き方について語ります。救急救命士資格保有者(取得見込み含む)を対象とした職員募集枠があり、また、消防士になってから救急救命士資格を取得することも可能な射水市での働き方をぜひ感じてください。
ーまずはお二人の自己紹介と、消防士を目指した経緯について教えてください。
高瀬:射水市で生まれ育ち、高校卒業後に消防士を目指しました。消防士という仕事には子どもの頃から漠然とした憧れがありましたが、ただそれは目標というよりは手の届かない非現実的な存在という感じで、実際に意識しはじめたのは高校時代に先輩が消防士になったと聞いてからです。
ただ、高卒一度目の受験は残念ながら縁がなく、消防とは全く関係のない分野の専門学校に進学しましたが、どうしてもやりたいこととは違うと感じ、再度消防の道に挑戦し、なんとか2回目の試験で合格することができました。
消防士として働き始めてから、職場からの派遣で研修所に通わせていただき、救急救命士の国家資格を取得しました。救急救命士としては、約11年ほど活動しています。

ー一度不合格になっても諦めずに再挑戦されたのですね。今村さんはいかがでしょうか。
今村:私も高瀬さんと同じく射水市で生まれ育ち、今も射水市に住んでいます。工業高校の機械科を卒業後、現在の消防とは全く関係のない製薬会社に就職し、工場の製造ラインで3年間働いていました。ただ、働いているうちに、もっと外に出て、変化のある仕事がしたいという気持ちが芽生えてきました。
そんな時に思い出したのが、高校3年生の時の出来事です。祖母が自宅の風呂場で転んで足の骨を折ってしまい、当時家にいた私が救急車を呼びました。その時に来てくださったのが射水市の救急隊の方々で、同乗した救急車の中で、隊長さんが「君も消防、どう?」と冗談交じりに声をかけてくれたんです。
その時は高校生でしたし、まさか自分がなるとは思ってもいませんでしたが、テキパキと、そして優しく対応してくださる姿がすごくかっこよくて、その記憶が頭の片隅に残っていました。
転職を考え始めた時にその一言を思い出し、「消防ってどうなんだろう」と調べ始めたのがきっかけです。あの時の隊員の方への感謝と憧れが、私をこの道に導いてくれたのかもしれません。
ー今村さんは原体験が強く影響しているのですね。それでは、射水市消防の組織体制や働き方について教えていただけますか?
高瀬:消防本部に、射水消防署、新湊消防署、そして2つの出張所という構成です。本部と射水消防署は同じ庁舎内にあります。
私たちのように現場に出動する職員は「隔日勤務」といって、24時間勤務(当番)して翌日は休み(非番)、というサイクルが基本です。職員全体が2つの班に分かれて、毎日交代で勤務しています。もちろん休みなく働き続けるわけではなく、3回勤務すると、その勤務明けの日から数えて3連休(非番+週休2日)が取れるようなシフトになっています。
ー射水市消防ならではの特徴はありますか?
高瀬:職員数が限られているため、専門部隊を固定化せず、一人ひとりが複数の役割を兼務するのが特徴です。例えば、普段は救急隊として救急車に乗っていますが、火災が発生すれば消防隊として消防ポンプ車に乗り換えて現場に向かいます。
毎朝、当直責任者がその日の編成を決定し、24時間その役割で活動します。出動がない時間帯は、各自が担当の事務もこなします。私も消防団関連の事務を担当しており、デスクワークも重要な業務です。
ー皆さん、様々な業務を経験されるのですね。人事異動もあるのでしょうか。
今村:だいたい2〜3年で市内の消防署や出張所を異動します。私も入庁してから10年目になりますが、すでに市内4つの署所をすべて経験しました。
高瀬:私も今村も、同じ時期に大門出張所で一緒に勤務していたことがあります。色々な場所で経験を積むことで市全体の地理や特性を把握でき、多くの職員と顔見知りになることで連携もスムーズになります。
ーお二人ともに、救急救命士の資格を入庁後に取得されたと聞きました。
高瀬:はい、まず大前提として、救急救命士も消防士の一員です。救急救命士でなくても、所定の研修を修了すれば「救急隊員」として救急車に乗務できます。
救急救命士と救急隊員の大きな違いは、現場で行える「処置」の範囲です。救急救命士は、医師の指示のもとで点滴や気管挿管など、より高度な医療処置が認められています。現場の司令塔として重い責任を負いますが、その分、救える命の可能性を広げられる仕事です。
ー今村さんは最近、救急救命士の資格を取得されたそうですね。どのような経緯で目指されたのでしょうか。
今村:消防士を志したきっかけが救急隊との出会いだったため、入庁当初から救急活動への関心は強かったです。救急隊員として現場に出るようになり、「もっと専門性を高め、できることを増やしたい」という思いが強くなりました。
それで4年目のときに組織内で救急救命士の育成候補の募集があり、迷わず手を挙げました。
ー資格取得は大変でしたか?
今村:救命士資格を取るためには、まず国家試験の受験資格を得る必要があります。私のように消防士として働きながら目指す場合は、「5年以上の救急実務経験」と「2000時間以上の救急実務経験」といった条件をクリアした上で、半年間、東京の研修所に通わなければなりません。
昨年度の9月から今年の3月まで、半年間、家族と離れて東京で研修を受けました。医学的な専門知識の勉強はもちろん、点滴や気管挿管といった実技訓練もあり、慣れない環境での挑戦は精神的にも体力的にも大変でしたね。
組織の代表として派遣されているため、自費で学ぶ学生とは違うプレッシャーもありました。「絶対に合格しなければ」という思いで必死に勉強しました。
ーその努力が実を結んだのですね。お二人がこの仕事で感じるやりがいや面白みは、どんなところにありますか?
高瀬:公務員として、そして救急救命士として、市民の皆さんに寄り添った仕事ができる。これがまず根本にあります。現場で「ありがとう」と感謝の言葉をいただけることに、日々やりがいを感じています。
ただ、それだけではありません。救急現場では、軽症の方もいれば、もちろん重症の方もいらっしゃいます。特に重症者の現場は緊迫感が全く違います。その人の生死を分ける局面に立ち会うことも、実際にあります。そのプレッシャーは、言葉では言い尽くせないほど重いものです。
しかし、そんな命の最前線に一番に駆けつけることができる仕事は、数ある医療職の中でも、私たち救急救命士だけです。この厳しい環境で自らのスキルと経験を駆使して判断し、人の命を救うために活動ができる選ばれた仕事であること。それが、私にとって一番のやりがいですね。
今村:高瀬さんの言うように、やはり市民の方からいただく「ありがとう」という言葉が、一番の原動力になります。それは救急現場に限りません。私は今、救急係に所属していて、出動以外に市民向けの「救命講習」も担当しています。
心肺蘇生法やAEDの使い方を指導するのですが、講習を終えた方から「こんな大変なことをしてくれているんですね、いつもありがとう」と声をかけていただけると、私たちの仕事の意義を再認識でき、また頑張ろうという気持ちになります。
ー常に緊張感のある現場だと思いますが、職場の雰囲気はどのような感じでしょうか。
高瀬:24時間寝食を共にするため、チームワークが良くアットホームな雰囲気です。一方で、体育会系の気質も根付いており、礼儀や規律を重んじる、しっかりとした上下関係があります。
厳しさが求められるのは、主に人命に関わる現場や訓練の場です。最高のパフォーマンスを発揮できるよう、そこでは厳しい指導もあります。もちろん、普段の休憩時間は和やかで、趣味や家族の話で盛り上がりますよ。
今村:おっしゃる通り、厳しさと和やかさのメリハリがしっかりした職場です。私も入庁10年目になり、後輩も増えました。先輩から教わったことに加え、自分なりの工夫も交えて指導するよう心がけています。
ー高瀬さんは後輩と接する際に心がけていることはありますか。
高瀬:後輩と接する際は、まず相手の意見を聞くようにしています。自分とは違う考えや行動の裏には、必ずその人なりの理由があるはずです。それを理解しようと努めることが、良い関係を築く第一歩だと考えています。

ー最後に、これから射水市の消防士や救急救命士を目指す方へ、メッセージやアドバイスをお願いします。
今村:消防の採用試験には体力試験があります。特に救急救命士の有資格者で受験する方は、勉強に集中して体力が落ちがちですが、私たちも消防士であり、現場活動には基礎体力が不可欠です。勉強と並行して、体力トレーニングを続けることをお勧めします。
高瀬:そして、知っておいてほしいのは、救急救命士の資格を持って採用されても、すぐには救急救命士として活動しないということです。射水市では、まず消防学校で基礎を学び、その後3年ほど消防隊や救助隊など様々な現場を経験します。救急だけでなく火災や救助の現場を知ることが、幅広い視野を持つ優れた救急救命士になるために不可欠だからです。
熱い想いを持った皆さんと一緒に働ける日を楽しみにしています。ぜひ、挑戦してください。
ー本日はありがとうございました。
取材・文:パブリックコネクト編集部(2025年6月取材)