2014年に和歌山県高野町の町長に選出され、2023年現在3期目に入っている平野 嘉也町長に、現在高野町で注力している施策と今後の事業計画、求める人材などのお話を伺いました。
—町長になる前は薬剤師をされていたんですよね?
平野:もともと高野町の職員で、高野山病院(現:高野山総合診療所)の薬剤師として勤務していました。そこから2014年に高野町長選挙に出て、現在3期目です。
出馬のきっかけは、お大師さん(※編集部注:弘法大師 空海)のお告げですかね(笑)。観光の面や教育の面、医療の面など色々な部分で笑顔になっていただけるような政策をつくりたいと思ったのが主な要因でしょうか。
—町長として3期目に入られているとのことですが、現在高野町で推し進めている事業や施策についてお伺いできればと思います。
平野:高野町として今重きを置いている事業としては、やはり「人」を作っていくために「学びの交流拠点」の整備事業などを推し進めています。
※学びの交流拠点整備事業については、松谷さんの記事をご覧ください(リンクあり)※
全国的に人口減少の歯止めがかからない中で、我が高野町も人口減少が続いております。そしてこれからも減っていくことが予想される中で、どうやって高野町に住む方に満足いただけるかということに重きを置く。
その延長線上に「高野町で教育を受けたい」と思えるような、ハード面はもとより中身を充実させるように心がけています。この町で、教育を受けたいと思い、高野町にお越しいただく方が増えると良いなと思っています。
また、子育て支援策も、高野町は義務教育(小中学)が終わるまでの経費は一切かからないようにしています。資金はすべて「ふるさと応援寄附金」をもとにし、「高野町で安心して子育てをしてください」という政策を続けています。
ほかにも地場産業を考えたときに、高野町は三次産業が主になっています。サービス業や観光業などを中心に、コロナ禍後に再出発しているような状況です。
日本をはじめ世界中の多くのお客様に来ていただくために、高野町や高野山がどういった観光地であるべきか。ただこの高野山というのは観光地でありながら、修行の場でもあり信仰の場である「聖地」でもあるので、そのバランスをどうとっていくかが重要です。
—観光業に力をいれているんですね。
平野:和歌山県全体ではアジア圏の方が非常に多いですが、高野町はアメリカやヨーロッパなどの欧米圏の方が大半を占めています。
高野山は現在「世界の聖地」として名が知られています。信仰心からというよりも、スピリチュアルな場所ということで見に来られる方が多いかと。
実際に高野山に来て「ようやく日本を見られた」と言われているのも聞きました。商店街があるような日常の町の中にある寺院、宿坊に泊まって朝のお勤めをして、朝ごはんを食べる行為など、高野町はその伝統の中に、「日常の日本」がある。
欧米圏の方が高野町に来られるようになったきっかけはいくつかありますが、1990年代にミシュランの「グリーンガイド・ジャポン」で三つ星をとってから世界で注目をされるようになりました。世界的な旅行雑誌でも世界の訪れるべき場所として選定されています。
—では、各施策についての進め方についてお伺いします。事業を進めるうえでの職員や住民との関わり方や、役場の方針についてはいかがでしょう?
平野:方針を出すのは私の仕事なので、全体の方針や方向性は決めます。しかし、たとえば教育に関する事柄などは教育委員会を中心に進めてもらって、あとは実際に現場にいる先生方や、保護者の方など町の方の意見を伺ったりして、求められているニーズと、高野町の特色のある教育としてどうあるべきかを考えてもらうのがベストだと考えています。
先ほどお話した「学びの交流拠点」の事業について、町として一方的に「こういう建物を建てます!」ではなく、説明会やワークショップを通じて住民の方に決めていただきました。どの業者にするのかすら、住民の方から採点いただいて選んでいますね。
ー住民の意思を村長することは非常に大事にしているんですね。
平野:そうですね。建物以外にも、例えば役場近くの路面の修繕も役所で決めず、町内会の方々に材質や色などを決めてもらいました。なので住民の方からの苦情は少ないかと(笑)。町づくりは役場だけでするものではないですから。住民が主役です。
ほかには、町長就任年から毎年、場所を変えて複数回タウンミーティングをしています。職員も大変だとは思いますが、高野町ではもう実施が常識になっています。直接怒られることもありますが、実際にそこで出た意見をもとに予算をつけて実行し、次の年度に「ようやってくれた」と労いの言葉もいただけることもあります。
たくさんの住民と話したいですし、たとえ実施する集落が一つの世帯だけになっても続けていきたいです。高野町は、真ん中に高野山があって、その山を支えてくださった周りの集落があって今に繋がる歴史があります。だからこそ、最後まで自分たちがいた集落で、自分らしく生きていただき、そういう方々のもとに足を運んで話を聞きたいんです。
ー(取材をした町長室に飾ってある寄せ書きを見て)地元の学生の方からのものですか?
平野:はい、もう10年程続けていますが、ほぼ毎朝千手院橋という大きな交差点で子供の登校の見守りをしているんですね。出張時など休むこともたまにはありますが。高野町が挨拶ができる街になれば良いなと思っていて、じゃあ自分が率先してやろうと、はじめました。今では高野町全体でのみまもり隊という取り組みになっており、感謝状を学生からいただいたんです。
—新たな施策も推し進めている中で、今後どういった職員に入庁いただきたいでしょうか。
平野:元気な人にいてほしいですね! 高野町のことをよくやってほしいとか、情報発信してくれる職員がほしいとか、いろいろありますけど、職員が笑顔で働ける環境が第一だと思うので、そのためにはやっぱり若い職員自身が明るくて、元気で、朗らかで。笑顔で住民の方と接してくれる方がいてほしいです。
そして入ってからは、高野町や高野山のことをいろいろな経験をする中でよく知ってもらいたいです。町を知る最大の理解者であって欲しいんですね。定年まで40年働くわけなので、住民の方々にも職員を育てて欲しいと言っています。
そうして町を知り、高野町のための行政を考えていける職員は、地域にとっての宝物です。それだけありがたい存在にならなければいけないですし、みんなで宝物にしていかなければいけないと思います。
—実際に町長ご自身が選考に入られているのでしょうか。
平野:選考はもちろん入っています。受け答えがしっかりできているかという点も見ますが、集団面接のときには皆さんで議論してもらうんですね。その場でほとんど初対面の方と議論し、議長役の方にまとめた内容を報告してもらうようにしています。
一人ずつの面接の場合、皆さん面接対策してきてると思うので正直見抜けないこともあります。なので、当日準備していないような役割やテーマを与えられたときの受け答えや態度、時事的なものがわかっているか、というのを見ます。
—最後に、高野町を検討されている方にメッセージをお願いします。
平野:高野町は、いろいろな自治体がある中で、住民の方と接する機会以上に日本中、世界中のお客様と接する機会が多い町です。なので、そういったいろいろな交流人口が多いという利点があるので、さまざまな地域や国際感覚が培われる場所なのかなと思います。
かつて高野町で生まれ育って現在Uターンを考えられている方は、ぜひ高野町に帰ってきてもらって、自分たちが育った町を背負っていけるような人材になってもらえることを期待しています。また、世界を相手に交流できる町ですので、そういった方が日本中から来ていただけるのをお待ちしています。
—本日はありがとうございました。