鹿児島県鹿屋市出身の松山さんは、結婚・出産や夫の転勤を経て、子育て環境が充実した南さつま市へ移住。その後、9年のブランクを経て、39歳で「40歳まで受験可能」な市の採用試験に挑戦し、見事合格しました。
現在は国保年金係として、複雑な制度と向き合いながら市民の生活を支えています。上司や仲間に支えられ、かつて公務員だった両親のように「頑張る背中」を子どもに見せたいと語る彼女の姿は、再出発を願う人の背中を優しく押してくれます。
- 「ここなら安心して育てられる」南さつま市への移住と、挑戦のきっかけ
- 「自分にできるだろうか」 9年のブランクを経て挑んだ採用試験
- 専門用語の壁と、支えてくれる「人に優しい」職場環境
- 「ありがとう」に救われる。市民の生活を支えるやりがい
- ワークライフバランスと、未来の仲間へのメッセージ
「ここなら安心して育てられる」南さつま市への移住と、挑戦のきっかけ
ー松山さんのこれまでの歩みと、南さつま市へ移住された経緯を教えていただけますか?
松山:私は鹿児島県の鹿屋市出身で、大学卒業後は近隣市の食品加工会社で品質管理の仕事に8年間携わっていました。その後、結婚と出産を機に退職し、夫の転勤先だった福岡で6年ほど過ごしたんです。夫が本社に戻るタイミングで再び鹿児島へ戻ることになり、どこに住むか悩みました。
最終的に南さつま市を選んだのは、子どもたちが少し病気がちだったこともあり、医療機関が充実していて、市が子育て支援に非常に力を入れていると聞いたからです。両親が近くにいない私たち夫婦にとって、安心して子育てができる環境は何よりの決め手でした。
ーそこから、なぜ公務員という道を目指そうと思われたのでしょうか?
松山:私の両親が二人とも公務員で、定年までしっかり勤め上げる姿をずっと見て育ちました。街のために働く両親を心から尊敬していましたし、幼い頃から公務員という仕事に漠然とした憧れがあったんです。
子どもが成長して社会復帰を考え始めた時、たまたま市の広報誌で「採用試験の年齢制限が40歳まで拡大された」という記事を見つけました。当時私は39歳。「これが最後のチャンスかもしれない」と直感的に感じて、挑戦してみることにしたんです。

「自分にできるだろうか」 9年のブランクを経て挑んだ採用試験
ー39歳での試験勉強や面接は、かなり緊張されたのではないですか?
松山:正直、自信は全くありませんでした(笑)。一次試験の適性検査や二次試験のレポート作成も必死でしたが、何より9年というブランクがありましたから、「今の自分に何ができるだろう」という不安が常にありましたね。
最終面接でも、市長や教育委員長といった幹部の方々がずらりと並ぶ光景に圧倒されて、ものすごく緊張したのを覚えています。
ーその緊張の中で、どのように自分らしさを出されたのでしょうか?
松山:取り繕っても仕方がないので、今の自分にできることを精一杯伝えようと開き直りました。後から聞いた話では、南さつま市の選考では知識だけでなく「人前に出る仕事として、不測の事態や緊張する場面でも臆せず動けるか」という人間性もしっかり見てくださっていたようです。
合格を伝えた時、最初は「受けてみたら?」と軽く背中を押してくれた夫が、「えっ、本当に受かったの!?」と一番驚いていました(笑)。それくらい、私にとっても家族にとっても大きな、そして嬉しい挑戦の結果でした。
「人に優しい」職場環境
ー実際に入庁されてから、戸惑いや苦労されたことはありますか?
松山:9年のブランクを経ての社会復帰でしたので、生活リズムを整えるところからのスタートでした。業務面では、何より「行政用語」に苦戦しましたね。例えば「歳入・歳出」という言葉一つとっても、前職の民間企業とは感覚が全く違います。
入庁当初は、知らない漢字や言葉が並んでいるだけで頭がパンクしそうで、何度も先輩に聞き直す毎日でした。今でもまだ分からないことがあって、日々勉強の連続です。
ーその苦労を、どのようにして乗り越えてこられたのでしょうか。
松山:今所属している国保年金係が、本当に「人に優しい」部署なんです。上司や先輩方も子育てに理解が深く、家庭の事情を常に気にかけてくださいます。昨年、子どもが入院してしまった時も、「お休みが必要ならこういう制度があるよ」と親身に相談に乗って支えてくれました。
業務で分からないことがあっても、聞けば誰かが必ず手助けしてくれる。不安を一人で抱え込ませない雰囲気が、今の私の支えになっています。

「ありがとう」に救われる。市民の生活を支えるやりがい
ー現在の具体的なお仕事内容について教えてください。
松山:昨年度までは出産育児一時金や葬祭費などの保険給付に関することを主に担当していましたが、今年度からは高額療養費の担当をしています。自己負担限度額を超えた医療費をお返しする制度で、対象者の方へ申請を促す通知(ハガキ)を送付したり、申請受付後の支払いに関する事務処理が主な仕事です。窓口や電話での相談対応も多く、毎日がとても流動的ですね。
ー業務の中で、特にやりがいを感じる瞬間はどんな時ですか?
松山:やはり、住民の方から「ありがとう」と言っていただけた時です。制度が複雑なので、不安そうな顔で窓口に来られる方も多いのですが、丁寧にご説明して「来てよかった」「説明が聞けて安心した」と言っていただけると、自分の知識が誰かの役に立ったのだと、確かな手応えを実感できます。

ワークライフバランスと、未来の仲間へのメッセージ
ーお仕事と三人の子育ての両立、時間のやりくりはどうされていますか?
松山:市全体でワークライフバランスを推進していて、水曜日と金曜日は「ノー残業デー」なんです。時間がくると課長が「ほら、今日はノー残業デーだよ!」と声をかけてくれるので、予定がある時なども帰りづらい雰囲気は全くありません。
17時15分に業務を終え、18時までに子どもたちを迎えに行く毎日ですが、職場の皆さんの理解があるからこそ続けられています。
ー最後に、これから南さつま市での採用を目指す方へメッセージをお願いします。
松山:私は39歳で挑戦しましたが、年齢制限が拡大されたことで、私のような子育て世代にも大きなチャンスが開かれています。新しい環境に飛び込むのは、ブランクがあればなおさら不安だと思います。
でも、南さつま市役所には、一人ひとりを温かく迎えてくれる仲間がいます。困った時に助けてくれる味方がたくさんいますから、安心して飛び込んできてください。皆さんと一緒に、この街のために働ける日を楽しみにしています!

ー本日はありがとうございました。
「両親のように街のために働きたい」という純粋な憧れと、「子どものために安定した環境を選びたい」という切実な願い。松山さんの言葉からは、その両方を大切にしながら、前向きに挑戦し続ける強さが伝わってきました。
39歳での社会復帰、そして専門的な行政実務。決して楽な道ではありませんが、それを「面白さが勝っている」と笑顔で語れるのは、南さつま市という職場の温かさがあってこそ。
取材中、松山さんが「一人じゃないから頑張れる」と何度もおっしゃっていたのが印象的でした。そんな彼女の姿は、今の自分の立ち位置に悩み、新しい一歩を躊躇している多くの人の心に、優しい灯をともし、一歩踏み出す勇気を与えてくれるはずです。
取材・文:パブリックコネクト編集部(2026年5月取材)



