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丹波山村役場

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丹波山村(たばやまむら)は、山梨県の北東部に位置する、人口約530人の小さな村です。日本百名山に数えられる2,000メートル級の山々に囲まれ、村全域が秩父多摩甲斐国立公園の中にあり、面積の97パーセントを山林が占めます。村の中央には多摩川の源流・丹波川が流れ、野生生物が生息する豊かな自然が残されています。
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お知らせ

山梨県丹波山村(たばやまむら)でICT利活用に取り組むCIO補佐官を募集中~柔軟な働き方で人口500人の村を変える!CIO補佐官の仕事とは?~

採用情報

村の98%は森林である自然豊かな山梨県丹波山村、そんな丹波山村では現在ICT利活用に取り組むCIO(Chief Information Officer)補佐官を募集しています。

今回は、CIO補佐官募集に至った背景や、補佐官として予定している業務について、地域創造課の舩木さんに伺いました。

—まずは舩木さんご自身と丹波山村について簡単にご紹介をお願いします。

 

舩木:私は現在、地域創造課という部署で各種補助金等を活用した総合計画や総合戦略に資するような事業を展開する業務に携わっています。ICTやCIOというと、デジタル部門が所管になると思うかもしれませんが、村として新しい試みであり、且つ庁内の各分野を跨ぐような求人となることから、地域創造課で求人を作成することとなりました。

 

丹波山村は人口500人ほど、面積の98%が森林という自然豊かな村で東京都の水源林としても有名です。地域おこし協力隊や親子で村に移住する山村親子留学という制度もあり、近年では移住者も増加傾向にあります。

 

自然あふれるのどかな環境で働くことができます

—そんな自然あふれる村で、CIO補佐官を募集することとなった経緯を教えてください。

 

舩木:村役場に30人弱の職員が在籍しているのですが、職員数が少ないことから専門分野に関する知識を有する職員が少ないという課題があります。また、職員の多くは新卒で入庁し、役場内の業務環境で育っているため、本当に現在のやり方が最適なのかということを検証することが難しくなっています。

 

役場内の人間だけで課題や最適化について検討するには限界があるということから、外部から新しい視点で私たちの業務の課題を洗い出し、変えていく必要があると考えたのです。

 

—CIO補佐官の業務内容について教えてください。

 

舩木:まずは現状の情報取り扱いや実際の業務をよく見ていただき、課題を洗い出していただきます。課題を洗い出したうえで、改善又は最適化するための提案や、企画・立案を行っていただきます。

これらは役場内の業務に限った話ではなく、例えばマイナンバーカードを活用した円滑な補助金等の支給など、村民の生活や利便性にも目を向けた改革を行っていただきます。

 

住民に防災情報を周知するため、全戸にタブレット端末を配布しています(説明会の様子)

行政経験や、デジタル関連のアドバイザーをしていた方でないと厳しいように思えるかもしれませんが、民間で情報部門等の経験した方であれば問題ないと考えています。単独で動いていただくわけではなく、地域創造課をはじめ、各部署と連携したうえで洗い出しを行っていただければと思っています。

 

また、役場をあげてのプロジェクトのため、裁量をもって働くことができます。この点については、大きな魅力だと感じていただけるのではないでしょうか。

 

—CIO補佐官として、どのような人材を求めていますか? 

 

舩木:ある程度の知識経験は必要だと考えていますので、ICT・デジタル分野でのマネジメント又はコンサルティングに係る分野での実務経験が通算3年以上といった要件は設けてあります。 

その上で、課題を発見する能力、その課題を解決するための提案力や企画力のある方に来ていただきたいですね。

 

また、役場内の各部門と適宜調整しながら進めていく必要がありますので、地域や役場内で円滑なコミュニケーションが取れるということも大切です。特に、提案し実現に向け進めていくためには、管理職に対する説明やプレゼンが不可欠となりますので、そういった方とのコミュニケーションに長けているとなお良いですね。

 

丹波山村と縁があるかや、丹波山のことを良くわかっているかといった点はあまり重要視していません。先にお話ししたとおり、私たちは村外からの新しい視点を必要としており、丹波山のことは採用後、働きながら知っていただければと考えているからです。

 

—勤務体系はどのようになりますか?

 

舩木:デジタル分野での採用ということもありますので、柔軟な働き方ができるようにと考えています。最低月2回は役場まで出勤いただきますが、それ以外は自宅又はオフィスに準ずるようなスペースでリモートワークとすることも可としています。

 

ただし、職員の働き方や窓口の様子、我々が管理しているサーバー等に関しては全てがリモートで伝わるようなものではないため、実際に役場に足を運んでいただき、その目で確認いただくこともCIO補佐官の役割として大切に捉えています。

 

なお、副業も可としているため、例えば現在コンサルタント業務を行っている方が、自身の業務と並行して務めていただくこともできます。1日8時間程度の勤務時間を想定していますが、詳細な勤務条件については採用後に相談しつつ決定させていただきます。

 

—丹波山村へのアクセスを教えてください。

 

舩木:豊かな森林に囲まれているという事もあり、都心からのアクセスが良いとはいえません。車であれば新宿から2時間程度、電車であれば同じく新宿から3時間程度かかります。ただ、都心のような通勤ラッシュはありませんので、そういった面ではストレスなくお越しいただけるのではないでしょうか。

リモートワークを活用しつつ、ご自身のペースでお越しいただければと思っています。

  

—応募を検討している人にメッセージをお願いします!

 

舩木:自社内外を問わず、ICTを駆使した課題解決、企画立案、コンサル等の経験をお持ちの方であれば、その経験を活かすことができます。また、実務経験の要件についても、通算3年としているため、直近の職種や連続した経験か否かは問われません。

 

ICTを駆使して丹波山村を変えたい、自分の経験を活かしたい、と考えている方はまず一度ご応募いただければと思います。

皆様のご応募、お待ちしております!

山梨県丹波山村(たばやまむら)でICT利活用に取り組むCIO補佐官を募集中~柔軟な働き方で人口500人の村を変える!CIO補佐官の仕事とは?~

山梨県丹波山村(たばやまむら)でICT利活用に取り組むCIO補佐官を募集中~柔軟な働き方で人口500人の村を変える!CIO補佐官の仕事とは?~

採用情報

採用情報

丹波山村役場

丹波山村役場

2024/04/18

30年の職員を経て村長に、丹波山村でこれから始める「誰1人取り残さない村づくり」

インタビュー

今期より丹波山村村長に就任した木下さんに、今後の施策や丹波山村役場が求める人材に関してお話を伺いました。

—これまでのご経歴を教えてください

木下:平成元年から33年間、丹波山村役場の職員として勤務していました。その後一般社団法人に在籍したのちに村長選に出馬し、今年の6月から丹波山村の村長になりました。

—なぜ、村長に立候補されたのですか

 

木下:職員時代に様々な業務に携わり、特に地方創生に関する業務を長く担当していました。村の将来を考えるのは本当に大変でしたが、同時に楽しい仕事でした。ただ、職員の場合は異動がありますので、いざ施策を実施するぞという時にその場を離れざるをえなくなってしまうんですね。

そういった点で職員の限界を感じ、退職しまして1年間一般社団法人の方で自由に動かせていただきました。そこで働くうちに、自分のやりたいことをやるのであれば村長にならなければできないな、と感じまして出馬いたしました。

—村長になられて、まず何をされましたか

 

木下:まず役場の職員全員と面談をし、体制を整えました。職員の数が少ないので、適材適所で配置をしないと、これから実行する施策の実現が難しいと考えています。33年間も働いていたので、職員全員の性格や適性を把握しているつもりでしたが、あらためて職員1人1人の今までの思い、これからの思い、私が期待していることを話しあいました。

すると、ちょっと失礼な言い方ですけど、話してみると思っていた以上に職員がしっかりと考えているんだなと感心しました。職員時代に全体会議をよくしていたのですが、そこではなかなか意見がでなくて報告だけで終わってしまっていたんですよ。意見を表に出さないタイプの職員も実はいろいろ考えていたんだなって気づくこともありました。職員時代にもっと話しておけばよかったと反省しましたし、大変勉強になりましたね。

すべての人が納得することは難しいけれども、ある程度納得してもらって今の体制を整えることが出来たと思います。

2023年に完成した丹波山村役場新庁舎(外観)
2023年に完成した丹波山村役場新庁舎(内観)

—新体制ではどのように配属先や役職を決められたのですか

 

木下:職員のやりたいことや能力を見極めつつ、ですね。1〜2年目の職員でも、それまでの経験を活かせると判断できた場合は重要ポストに配置しています。逆に役場外への交渉が多いポジションには、そういったことができる立場の職員を配置しています。公務員は年功序列で配置を決めることが多いかもしれませんが、うちでは「その役割」ができる人というのに年次は関係ないと考えてます。年次にとらわれず配置していますよ。

—村民の方からはどのように意見を収集しているのですか

 

木下:小さいですので、役場の食堂にいったり、役場外では街を歩いて、声をかけたりかけられたりしながら意見を収集しています。さらに村民が気軽に意見を伝えに来られるように、村長室のドアをあけています。

たまに村民の方が来てくれるのですが、自分が村長という立場だからか皆様気を使われることが多いです・・・全然気を遣わずに来てほしいと思ってます。いただいたご意見は、しっかりと検討した上で回答させていただいてます。

—役場内で職員とはどのように関わっていますか

 

木下:業務担当者が直接私のところに話をしに来ることもありますし、私もまだ在任3か月なので、職員みたいな気持ちで、副村長をとばして課長に話してしまったり、課長をとばして一般職員に話しかけてしまったりしています。直接、業務担当者と話してから後で報告する、みたいなこともあります。

村長としてそれが正しいかはわからないのですが、今はスピード感を大切にしています。副村長や課長たちも部下の思いや考えを理解しているので、問題は起きていませんね。

—村長になられてまだ3か月かとは思いますが、手ごたえはありますか

 

木下:新体制ということで、もちろん異動したばかりで大変な職員もいるかと思いますが、全体的に前向きに活発になった感じがします。役場全体が1つのチームになっている感覚がありますね。「誰1人取り残さない村づくりを」という方針ですので、この部署だけ取り残されている、というのはいやなんです。

チーム一丸になってすすめていきたいと考えています。この役場内での意識が村民に対して、高齢者だけ取り残す、子どもだけおろそかにするという状況を作り出さないことにつながると思っています。

 

—今後の施策について教えてください

木下:観光が主要な産業なんですが、まだコロナが五類になっても観光客数は戻ってきていないです。村の人々がお金を稼げる場所にするため、観光産業の活性化はメインでやっていきます。

しかし、それだけではなくて、観光業とは関係ない村民の方もおられますので、そういった方を取り残さない施策も拡充します。

 

例えば、高齢者が住みやすくなるよう公共交通に代わるものを整備したり、村にいる保育園〜小中学生約30名のためにこれまで以上に手厚くしていきたい。また、子どもへのケアだけでなく子育てをしていく親の不安を払拭する施策も実行します。

ちょっと欲張りなんですけど、小さい村だからこそ手の届くケアをしていきたいのです。

—これからの施策実行にあたって、今の職員に期待することは何ですか

 

木下:通常業務も大切ですが、村の未来を考えるための知見を得るためにどんどん外へ出てほしいと考えています。私の職員時代の財産は、担当していた部署の業務でいろいろな地域に顔を出し、いろいろな人の意見をきくことができたことです。

今、丹波山村は小さな村g7サミット(日本を7つの地域に分けて、その中で一番人口の少ない村7つがあつまる会)に参加しています。そういった外部の勉強会などで情報を収集することで自分の村でこんなことをしたい、というアイデアにつながったりするんですよ。

 

—今後、どんな職員を採用したいですか

 

木下:公務員は堅い、事務職、というイメージがあるかと思いますが、丹波山村役場では事務もするけど山も飛び回る、という感じですね。いろいろな仕事があるので柔軟に対応できる方を求めています。

性格としては、どんどん自分の意見が言える人が向いているかと思います。職員が少ないのでどんどん自分の思いを伝えてほしいです。間違っていてもいいです。もちろん私の意見と全然異なる意見でもいいです。丹波山村に地縁のない方のご応募も大歓迎です。

—丹波山村で働くからこそ得られるものは何ですか

 

木下:田舎暮らしは大変かもしれませんが、1人の力で村を動かすこともできる、そういった点でかなり、やりがいがあります。大きな会社や村の役場では1つの業務に2〜3人が担当することが多いかと思います。ここでは1人の職員がいくつもの業務を担当します。

とても大変なことだとは思いますが、遂行できればよい経験になり、将来自分ができることの幅が本当に広がるんです。例えば、たった1人でもイベントを企画して、温泉利用者や観光目的の来村者を何万人も増やす、ということだってできますし、がんばれば村長にだってなれる可能性だってありますよ。

丹波山村祇園祭 ささら獅子舞

—冒頭で木下さんご自身が職員での限界を感じたというお話を伺いましたが、今の体制ではその点は変わっていると思われますか

 

木下:新体制を作る際に、一番そこを意識し、職員が自由に仕事ができる体制にしました。今の体制であれば以前の体制よりも、もっとすごいことができると考えています。責任は私がとるので、職員には思いっきりやってほしいです。

—最後に、丹波山村役場へ応募を検討している方にコメントをいただきたいです

 

木下:丹波山村の未来は「人財」でかわると考えています。人「財」、財産という漢字を使うじゃないですか。

今いる職員を育てることも大切ですが、新たに出会うことも大切だと思っています。役場内に「人財」が多くいることが、村の様々な課題を解決する近道だと考えていますので、ぜひご応募よろしくお願いします。

—本日はありがとうございました。

30年の職員を経て村長に、丹波山村でこれから始める「誰1人取り残さない村づくり」

30年の職員を経て村長に、丹波山村でこれから始める「誰1人取り残さない村づくり」

インタビュー

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丹波山村役場

丹波山村役場

2024/01/26

元新聞記者にとって村はネタの宝庫!自治体の仕事は案外クリエイティブで面白かった

職員インタビュー

※PUBLIC CONNECT編集部注 こちらは、「特集」に掲載されている記事の転載版となります。※

 

多様な経歴を持つ公務員人材に、これまでのキャリアを振り返り語っていただくインタビュー企画。


第1弾は、新聞記者や海外での就業経験もあり、山梨県丹波山村で職員として働く矢嶋澄香さん。「公務員になろうと思ったことは生まれてこの方1度もなかった」という矢嶋さんですが、入庁してすぐにクラウドファウンディングを実施、村中を巻き込んだイベントも企画し成功するなど、影響力の大きい仕事を多く行っています。そんな矢嶋さんが、どのようなキャリアを歩まれ、そしてなぜ公務員になって、どのように公務員キャリアを楽しまれているのか、お話を伺いました。

 

<矢嶋澄香さんプロフィール>

山梨県丹波山村出身。高校進学と同時に村を出て一人暮らしを始め、大学進学を機に上京。在学中は、外国にルーツを持つ子どもたちの学習を支援するNGOに所属し、精力的に活動した。卒業後は山梨県内の総合情報メディアグループ企業に就職。事務職を経て新聞記者として勤務したのち、ニュージーランドに留学。現地の専門学校を修了後、日本人向けマガジンの制作を手がける企業に就職。企画、編集、ライティングを幅広く担当する。その傍らで英語教師の資格も取得。2018年に帰国後は、専門学校での英語講師や理化学研究所の広報担当などの職を経て、2022年丹波山村役場に入庁。地方創生関係をはじめ、幅広い業務を担当中。

—これまでのご経歴を教えてください。

 

矢嶋:私は丹波山村の出身で、中学までは丹波山村に住んでいました。村には駅もなく、バスも1日に数本なので、親元から高校に通うことはできないため、高校進学のタイミングで村を出て山梨県内で一人暮らしを始め、大学進学と同時に上京しました。

 

 学生たちで運営するNGOに所属するなど、大学生活は充実していましたが、その一方で卒業後、どんな仕事をしたいか、明確な目標はなく。家庭の事情もあって、山梨へ戻り、総合情報メディアグループ企業の事務職員として就職しました。最初は調査や統計の業務を担当し、その後広報の仕事も兼務するようになりました。

 

具体的な目標がないまま入社したものの、新聞社や放送局で記者として働く同期を見ているうちに、私も外に出て取材がしたいと考え、異動希望が叶い、入社3年目からは新聞記者として働くことになりました。

 

 24時間問わず呼び出しがかかるような警察担当や、1年間じっくりと特定の社会問題を取材し、報道する企画報道も経験しました。事務職からのギャップは大きかったですが、記者の仕事はとても楽しかったし、好きでしたね。


—そこから海外へ行かれたんですよね?

 

矢嶋:はい。元々海外志望もあり、ワーキングホリデーをしたいと考えていました。ノーベル医学・生理学賞を取られた大村智博士の授賞式の取材などの大きな仕事や、長期連載も区切りがついたタイミングで、ビザが取れる年齢制限に近づいていたこともあって新聞社を辞め、ニュージーランドに渡りました。記者というといろんなことを知っていると思われがちですが、どのようにして世の中が回っているのか、改めて勉強したかったので、専門学校のビジネスコースを選びました。

 

留学生は私一人という環境で、年齢が10歳くらい離れた現地の学生たちの中で、会計やマーケティングなど、ビジネスの基礎を学びました。ニュージーランドの中でもオークランドは特に多国籍の都市なので、色々な考え方や文化に触れることができ、自分の求めていたものに近づけたなと思いました。

学校を修了するタイミングで運良く現地の日系企業でスタッフの募集があり、日本人向けのフリーマガジンのライターとして就職しました。新聞社を辞めたときは、記事を書くことはもう二度とないと思っていましたが、幸いにも赤道の向こう側でもまた取材して記事を書く生活が始まりました。

 

ニュージーランドに住む日本人向けの生活情報やイベント情報、留学や移住をされた方へのインタビュー記事などを中心に書いていました。日本人への取材もあれば、英語でインタビューし日本語で記事にすることも。デザイナーさんと二人三脚で毎月発行していたので、とても忙しかったですが、企画から取材、編集、営業も担当し、密度の濃い時間を過ごしました。

 

初めは1年間のワーキングホリデーの予定でしたが、就労ビザを取って引き続きその会社で働き、現地で出会った方と結婚しました。その後長男を授かり、出産・子育ては日本でしたいと思い、2018年に帰国しました。帰国前にもう一度専門学校に通い、英語指導資格(TESOL)を取りました。子育てをしながら記者の仕事をするのは難しいだろうなと思っていたので、日本に帰った時に食いっぱぐれないように、という考えからです。

—では日本では出産のため休まれたのですか?

 

矢嶋:帰国後は夫の地元である埼玉で、産院と家探しを始めました。帰国時に妊娠5か月だったのでぎりぎりな感じでしたが、子どもを迎える準備をしながら、仕事探しもしていました。せっかく資格も取ってきたし、パートタイムでも働ける場所があればいいなと思って。

 

妊娠中ということを伝えると、ほぼ全滅でしたが、ある専門学校は面接で「今妊娠中ですが、夏休みに出産予定で後期の授業には復帰するつもりなので働かせてください」と正直に伝えたら、校長先生が理解があるというかおもしろい方で、「妊婦さんなんですか。それなら教室に椅子を用意しておかなくちゃね」と言って採用してくれたんです。

 

そうして、非常勤講師として英語を教えることになり、4月から週に1日、授業のために都内に通勤し、夏休みの8月に長男を出産し、宣言通り10月の後期の授業から復職しました。今考えるとめちゃくちゃだし、出産に備えて大人しくしていればいいのにと思いますが、休んでいられない性分なんでしょうね。

 

—出産後、1,2ヶ月くらいで復職されたんですね?

 

矢嶋:そうです。次の年からはフルタイムで働ける仕事がしたいと考えていたので、転職活動と子どもの預け先を探す「保活」を同時進行しました。住んでいた街は待機児童が多い、激戦区だったので、あの頃が一番しんどかったですね。

 

晴れて大学の事務職に就職できたものの、条件が合わず半年で退職し、理化学研究所の広報室へ転職しました。私は理系とは正反対で、科学的な素地は全くなかったのですが、日々新しく出てくる研究成果を、わかりやすくプレスリリースという形で発信するという報道担当の業務で、記者の経験が生きました。

理化学研究所が発表するプレスリリースは、他の研究機関との共同研究も合わせると年間400本を超えます。1日に1本以上の計算になるので、複数のプレスリリースを同時進行で担当し、文部科学省の記者クラブに投げ込みに行ったり、記者会見方式でレクチャーしたりと、工夫しながら仕事できたのが楽しかったです。本来超文系の私には縁がないような研究者の先生方ともお話ができ、とても勉強になる毎日で、上司や同僚にも恵まれて、この仕事をずっと続けたいなと思っていました。

 

それなのに、新型コロナウイルスの流行で世の中が一変。第二子の出産もあり、産休育休やフルリモート勤務で丸1年出勤しない状態になりました。プライベートでも長男の保育園でも登園自粛を呼びかけられたり、近くの公園で遊ばせるのも人の目を気にしていました。それまで頻繁に丹波山村の実家に遊びに帰っていたのに、このころは帰省もままならずストレスを感じるようになっていました。

 

仕事は契約職員という形だったのですが、希望して試験を受ければ正職員になれる可能性もありました。ただ、日本各地や海外にも拠点がある機関なので、正職員になると転勤が伴う異動もあると聞いていました。小さい子どもを抱えながらこれからどうしようと悩んでいたところ、夫から「丹波山村に行けばいいんじゃない?」と提案されたんです。

 

—むしろ夫さんから丹波山村移住の提案があったのですね。

 

矢嶋:本人は自分が言い出しっぺということをもう忘れていますけどね(笑)私はそれまで一度も村に生活拠点を戻そうと思ったことはなかったんです。子どもの頃から村には仕事もないし、人口は減るばかりだから外に出て好きな仕事をしろと言われて育ったので。移住して大丈夫だろうかと悩む私に反して、夫は楽観的でした。自然の中で子どもを育てるのもいい環境かなとも思い、移住を決めました。

 

—丹波山村に戻ってからは自治体職員として働かれていますが、どうしてその仕事を選ばれたのですか?

 

矢嶋:フルリモートの仕事も考えましたが、丹波山村で働くなら村の仕事がしたいとも思ったし、保育所から中学卒業までずっと一緒だった同級生が1人、役場で働いていたので相談に行きました。相談をしたのが冬で、夏に職員採用試験を受けて、2022年の4月から職員としての勤務が始まりました。

 丹波山村を楽しんでいる矢嶋さんのお子さんたち


—自治体職員としてどんな仕事をされていますか?

 

矢嶋:公務員になりたいと思ったことは一度もなかったので、役場でどんな仕事をするのかはあまりイメージがありませんでした。クリエイティブとは逆の職場だと思っていたし、「お役所仕事」的なものに偏見すらあったくらいです。

 

配属された総務課は、課長を含めてメンバーが7人。正職員は出先も含めて30人という小さな役場なので、どの職員もさまざまな業務を掛け持ちしています。私も総務課で給与計算などの事務や採用業務、ふるさと納税担当や地域おこし協力隊など地方創生推進関係の仕事を担当することになりました。掛け持ちをしている仕事の繁忙期が重なってしまう時とかは本当に大変です。

 

地域おこし協力隊の採用や活動の管理、相談の対応をしながら、まったく畑違いの給与計算もやって、突発的に発生する仕事もこなす。受け持ちの業務を回していくだけで手一杯だったので、とにかく仕事に慣れようと、与えられた業務だけを頑張ろうと思ったのですが、すぐに転機が来まして。

 

—何があったんですか?

 

矢嶋:仕事を始めて2か月半ほど経った、2022年6月15日のことです。この日のことはずっと忘れないと思います。村を通る主要道の国道411号で落石事故があったんです。道路に落ちた石の撤去は難しくなかったようですが、斜面には不安定な岩の塊が残り、調査や作業に時間がかかって通行止めが解除できない状態が続きました。私は道路の担当でもないので詳細もわからず、何もできず、住民の方からのいつ開通するのかという問い合わせを毎日受け、「まだ解除になりません」と答えるしかなくて。

 

ただ、時間が経つ中で、自分の担当業務の範疇で何ができるだろうと考え始めたんです。落石現場を迂回する道路では、大きなバスは走れません。これで観光客が激減していたのですが、来れないなら迎えに行けばいいと考えて、シャトルバスを運行できないかと上長に相談しました。始めは土日祝日だけの運行だったのですが、夏休みの間は平日も走らせることになりました。

 

バスを走らせる費用は、担当していたふるさと納税業務でふるさと納税型のクラウドファンディングで寄付を募ろうと考えました。落石で道路が通行止めになり住民が困っていること、村の外から観光客が来られないために観光事業者も困っていること、この状況は村にとってコロナ禍よりも打撃が大きいということを発信して、丹波山村を応援してもらうプロジェクトを立ち上げたんです。それが、7月初旬のことでした。

 

目標額の100万円はわずか2週間で達成し、最終的にはなんと240万円ほど集まりました。結局、シャトルバスの交通費は他のところから補填できることになったので、通行止めによって収入が減ってしまった事業者さんへの見舞金に全額活用させていただきました。

 —新しい仕事をするにあたって、反対はありませんでしたか?

 

矢嶋:反対はなかったです。村中が本当に困っている時でしたし、クラウドファンディングならすぐに使えるお金を得ることができるからと、総務課長や村長にも直談判しました。プロジェクトに掲載する文章や写真、いくらを目標額にして実現に向けてどう動くかを考えて決めてから提案したので、「やってみなさい」という感じで許可してもらえました。

 

ここまで動けたのは、国道の通行止めによって生活が変わってしまった人は観光事業者さんをはじめ村内にたくさんいるのに、我々公務員のお給料は変わらないでいられるという温度差への疑問からです。何かアクションを起こしたいけれど、私が落石現場で撤去作業ができるわけでもないし、歯がゆい思いがある一方で、道路状況の問い合わせの電話にも、通行止めが続いている日常にもだんだん慣れていってしまう自分に嫌気がしていました。

 

—メディアでも新たな取組として注目されたんですね。

 

矢嶋:はい、プレスリリースを作って配信したり、留学前に勤めていた会社にも直談判に行ったりしたことで、この取り組みが新聞やテレビの取材を受け、多くの方に協力してもらえて本当によかったです。クラウドファンディングの寄付者の方からも「応援しています」「頑張ってください」というメッセージをもらえて、とても励まされました。

 

その後、国道の通行が再開したのは、10月になってからのことでした。担当している地域おこし協力隊の協力や寄付してくれた人など、多くの厚意があったおかげで4か月という長い時間を乗り切ることができました。その感謝の意を込めて再開記念イベントを11月に開催しました。イベントというと、1カ所の会場に集まって行うイメージがありますが、村全体を会場にしたんです。丹波山村はとてもコンパクトな村で、徒歩でまわることができるんですよ。車なら、端から端まで行っても15分くらい。

 

—すごい、、、それも自身の業務範囲内だったのですか?

 

矢嶋:「イベント担当」という業務が与えられていたわけではありませんが、地域創生といった意味では自分の業務の範疇だったので、巻き込んでやってしまったという感じです。イベント会場を一か所に集約しないことで、地域のお店はいつもの場所で営業しながら参加することができたし、イベント限定の商品を用意してくれたり、特典を用意してくれたりしてとても協力的でした。

 

お店や観光施設など、村のいたるところにあるスポットをまわってもらえるようにチラシやアプリで地図を用意したり、抽選券を配って、村の特産品が景品でもらえるくじ引きができるようにもしました。

 

当日はたくさんの人が足を運んでくれ、クラウドファンディングで協力してくださった方や、丹波山村の「ファン」のような人たちもいて、普段の村では見られない賑わいでした。いろんな人が村を応援してくれるのを直に感じることができてうれしかったですね。評判もよかったので、イベント後は燃え尽きそうでしたが、すぐに給与の年末調整業務で忙しくてそんな暇はありませんでした(笑)。そうしてあっという間に最初の1年が終わりました。

ー1年目から非常にアグレッシブに働かれたんですね。新聞記者や広報など、これまでにさまざまなお仕事をされていますが、その経験は自治体で活かされていますか?

 

矢嶋:働く場所は色々変わりましたが、一貫して「伝える」という点に共通項がある気がしています。村のピンチに助けが必要な時に困っていることを伝えなければ知られることはないし、感謝の気持ちだって伝えなくちゃ伝わりませんよね。

 

これまで携わってきた記者や広報、ライティングといったクリエイティブな仕事と、自治体での仕事に交わる部分はあまりないように見えて、実はかなりあるんです。日々変化していく時代に合わせて工夫して仕事をしていかなきゃいけない公務員の仕事は、案外クリエイティブだと思います。

 

先日、プレスリリースを受け取った全国紙の新聞記者の方から「丹波山村からプレスリリースが出てきてびっくりした」と言われました。こちらとしては情報をまとめてプレスリリースを出せば、何回も同じことを口頭で説明しなくていいし、それぞれのメディアにFAXやメールを送るだけでPRできるので時短にもなってメリットばかり。この情報合戦の中、黙っていたら誰も見つけてくれません。どんなにいいことをしたり、何か新しいものを作ったとしても、そこで満足しているだけではいけないと思っています。

 

 

—丹波山村の仕事の魅力を教えてください。

 

矢嶋:新聞記者だった身からすると、この小さな村はネタの宝庫です。子どもの頃は小さな村の公務員なんて何が面白いんだろうと思っていましたが、完全に偏見でした。小さな村だからこそ職員同士の距離が近いし、何なら村長にだって直談判できる。思い立ってから行動に移すまでのスピード感が早いんです。

 

新聞記者も英語講師も、研究所の広報も、これまでの仕事はどれも楽しかったです。でも、それよりも今の役場の仕事が楽しい!それは、自分の仕事の効果や影響がどこよりも見えやすいからだと思います。もちろん良い反応だけでなく、厳しい意見をもらうこともありますが、対象者が目の前にいて、誰のために仕事をしているのかが明確なのは、小さな丹波山村だからこそですね。

—これからチャレンジしたい仕事はありますか?

 

矢嶋:今は移住定住促進の取り組みもしています。

丹波山村に移住したいというニーズって結構多いんです。コロナをきっかけに田舎暮らしに興味を持ったり、自然豊かな土地で子どもを育てたいというニーズもある。ただ、それに応えられる体制が整っていないのが課題です。

同じ移住でも、相談内容によって庁内の担当がバラバラだったので、移住に関する相談を一括で受ける、丹波山村移住定住推進協議会という組織を作りました。また、そもそも移住したいという人を受け入れる住宅も不足しているために、チャンスを逃すこともあります。落石をきっかけに始めたクラウドファンディングで、移住者用住宅整備のプロジェクトも始めました。

 

移住に関しては広範囲に及ぶ業務なので、やりがいだけでなく、関係者との調整など大変な面も多いです。でも、この村出身で、かつ移住者としての視点も持っている私だからこそわかることもあります。村内外のコミュニケーションの潤滑剤になりたいですね。これまでの経験を活かして、いろんな人をつなぐという、自分にしかできない仕事を作る面白さを感じているところです。

 

仕事で「矢嶋さんだからできる」と言われるのはうれしい一方で、矛盾するのですが、私だけでなく誰でも同じ仕事ができるようになる仕組みも作りたいです。それぞれが得意なことを持ち寄って、職員全員でそれを高めあいながら仕事ができたらもっと面白いだろうなと。誰かと話すことによってアイデアがブラッシュアップされていくと思うし、それが職場の魅力アップにもつながると思うんです。

 

最近、新しい村長が着任されたのですが、もともとこの村の生まれで長く役場職員としても働いてこられた方で、自分がやりたいことがはっきりしています。私はどちらかというと勝手に仕事を作ってはいろいろとやってきていますが、それでも優先事項はこれだ!と言って旗振りをしてくれるトップがいると働きやすいと思います。

 

これからは、「村で力を入れていることは何ですか?」と聞かれたとき、村長でも課長でも、1年目の職員でも、みんなが同じことを答えられるような組織づくりをしたいです。行政だけでなく、地域住民や村外の企業なども巻き込んで、この村の未来のために働きたいし、面白いことをしたい。やれることはまだまだあって、この村には伸びしろしかない。公務員として働くのって結構面白いですよ。

元新聞記者にとって村はネタの宝庫!自治体の仕事は案外クリエイティブで面白かった

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職員インタビュー

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丹波山村役場

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2023/12/11

神社再建、絵本の制作、ブランド構築、声優・作曲家とのコラボ、職域を超えて活躍する丹波山村での働き方

職員インタビュー

山梨県丹波山村に就職された寺崎 美紅さんに、山梨県丹波山村での働き方と暮らしについてお伺いしました。

—丹波山村に就職するまでのご経歴を教えてください     

 

寺崎:大学卒業後、丹波山村に就職しました。大学では、山岳信仰という山の宗教文化や民俗文化を学んでいましたので、それを活かせるような山の仕事をしたいと考えていました。

そうした中、趣味の登山で知り合った仲間が丹波山村の方と知り合いだったことをきっかけに、丹波山村の職員を紹介していただき、選考を受けたらそれが地域おこし協力隊でありそのまま移住したという経緯です。

—初めに就いた職種を教えてください

 

寺崎:2016年に就職したのですが、その翌年の2017年に標高2017メートルの雲取山にちなんだ山を盛り上げるイベントが予定されていたため、それに向けた観光関係の職種に就きました。

 

—山の仕事をしたい、という思いを具体的に教えてください。

 

寺崎:山の文化を大学で学んでいたため、山に関する仕事と言っても登山スタッフや山小屋などの形のある仕事ではなく、信仰文化などの目に見えないものについても興味を持ってもらえるような企画や観光と文化をつなげるような仕事をしたいと思っていました。

 

—丹波山村以外の市町村への就職は考えましたか。

 

寺崎:他は考えませんでした。就活期間中にもあまり積極的に活動を行っていたわけではなく、どうしようかと思い悩んでいたときに、趣味として続けていた登山仲間に紹介されたのが丹波山村だったということになります。

雲取山

—丹波山村に行ったことはありましたか。

 

寺崎:実は丹波山村には家族で温泉に来たことがある、ということは後に判明したのですが、小さい頃の話ですので、来たことがあるという認識はありませんでした。

 

—最初の仕事を教えてください。2017年のイベントに向けた動きがメインでしたか。

 

寺崎:雲取山を盛り上げるイベント以外に、七ツ石神社の再建に取り組みました。大学生のころに七ツ石神社に出会い、気になって毎月1回は来ていたのですが、その七ツ石神社が丹波山村の敷地内にあることを知り、せっかくなので何かできないかと考えました。

再建前の七ツ石神社

当初は、何をするにも予算の規模を把握しておらず、神社への車道もなく登山で3時間かかる場所なので建て直しまでは考えておりませんでした。母校が神社に強いので、母校にも修繕のことを話にいき、そこで紹介された宮大工に相談したところ、「せっかくなら」ということで色々提案もいただき、予算も通ったので建物の建て直しをすることになりました。

ヘリコプターの作業を1日で行うなどの縛りもあったので、関連する会社で集まって計画をたてて他の工夫もしてと、かなり大掛かりのプロジェクトでしたね。

結果として、1年目に調査、2年目で人とのつながりを作って解体作業が始まり、3年目で実際に工事も行うと、地域おこし協力隊の3年任期でちょうど再建までを完了させたという形です。

再建後の七ツ石神社

—3年間の任務を経て、別の仕事に就くことは考えなかったですか。

 

寺崎:なかったですね。なので、集落支援員として引き続き丹波山村に残りました。今は学芸員の仕事をメインとしながらも、観光関係の企画も行っています。

 

七ツ石神社については、建て直しは行いましたが、その後の管理や活用をどうするかという課題が残っていました。実際にいたずらの被害にもあったので、パトロールをどうするとか、次につなげるための整備を行う必要がありました。

山を登った人にしか神社は見られないので、再建だけで終わりだと知っている人だけが知っていて、そこにあるだけでまた廃れてしまうかもしれない。だから、根付かせるまでは自分がやらなければ、という思いがありました。

 

—どんなことをしたのですか。

 

寺崎:七ツ石神社の再建のストーリーを基盤にしたプロジェクトを展開するための、「Wolfship Design」というブランドを最初に作りました。丹波山村には狼・狼信仰の文化があるのですが、ただキャラクターとしての狼の商品をつくるのではなく、ブランド化をしたんです。その中で甲州印伝(鹿革を原材料とする工芸品)という山梨県の特産品とのコラボレーションを発案し、七ツ石神社の可愛らしい狛犬型の狼をデザインした印伝を作りました。 

印伝

—絵本製作もされたと伺いましたが、その経緯を教えてください。

 

寺崎:当初は、他のことをテーマにした絵本を作るプロジェクトが進んでいたのですが、担当する人がいなかったため、急遽私のところに「絵本を作らないか?」という話がきました。そこから1年間くらいをかけて、七ツ石神社の再建をモチーフにしたストーリーで絵本を作ることになりました。

企画・ストーリーは自身で担当し、絵については移住した時からお世話になっている画家さんにお願いしました。

絵本「蒼い夜の狼たち」

ー自分でストーリーを作ったんですね。

 

寺崎:はい、文章は好きで趣味でたまに書いてはいたんですけれども、絵本をつくるのは初めてで、最初につくったときは本当に無難なストーリーにしようとしていました。

 

ただ、母が結構絵本が好きな人で、最初のストーリーを見せたら「本当に面白いと思ってるの?」「売ってたら欲しいの?」と言われまして。「確かに欲しくはないか」と思って、絵本の魅力を最大限に引き出すため、登場人物については人間を最小限にとどめて、狼を前面に打ち出したストーリーに変えて作りました。

—絵本のPR活動はどのように行いましたか。

 

寺崎:一から自分たちで作ったため販路もなく、自分たちでイベントに行って販売をしたり、置いてもらえる場所を探したりしていました。そのため、知ってもらう機会を作る必要があったので、世界観を共有できそうなアーティストとコラボしてPRすることを考えました。

 

1つは絵本自体の朗読をしてもらう企画です。朗読する方には、イメージカラーがブランドと同じ青であること、声の雰囲気があっていること、世界観を大事にしていること、若い層からの認知度があることから、声優の雨宮天さんにお願いしました。また、雨宮さんはアイドルマスターという作品で絵本に縁あるキャラクターの役もされていたため、そこに気づくファン層にも届くのではないかと思いました。

ー雨宮さんだと、絵本だけではなく丹波山村の観光動画も出演されていますよね。

 

寺崎:はい、そちらも絵本とは違う仕事だったのですが、丹波山村に興味を持っていただき、そのご縁で出演いただきました。

ーすごいですね!あとは東方Projectの開発や楽曲制作で有名なZUNさんに曲づくりもしていただいたんですよね?

寺崎:絵本をイメージした曲づくりをお願いしました。東方Projectなどの作品で、地方の伝説を引用するなど世界観を大事にしていることから、ZUNさんのファン層にも絵本のストーリーは確実に刺さると思ったんです。

ーどうやってそんな人気クリエイターへの依頼を実現されているのですか?

 

寺崎:普通に公式の問い合わせ先から連絡しています。ただ、なぜこのストーリーか、その方・作品にお願いするのかという点と村の背景などは必ず伝えており、その点に共感いただいていることもあります。

 

戦略的にやっているというよりかは、どうしたら面白いだろうということを毎回考えて決めていった結果です。

ー観光系の他の案件でのコラボもされていますよね。メディアミックス作品の「アイドルマスター Side M」と丹波山村のコラボについても担当をされていたとお聞きしました。

 

寺崎:はい、それは丁度企業側でコラボの募集をしているタイミングだったので、応募して実現した形ですね。

 

これも、この作品が、出てくるキャラクターがアイドルになる前にそれぞれの前職があるという設定で、その点と丹波山村へ移住してくる方や地域おこし協力隊などの方々もいろんな経歴を持って丹波山村に来られているという点と親和性があるなと思ったんですね。

 

だからこそ元々この作品に思い入れがある層も、親近感を丹波山村に感じてくれるのではと思って実施しました。

—移住生活について教えてください。

 

寺崎:初めての一人暮らしで、村ならではの儀式とかがあるのではないかと初めは不安に思っていたのですが、当然そんなことはなく、とにかく静かでよく眠れたという印象です。

 

それまでに住んでいた実家も、近くに駅がないような地域に住んでいましたので、不便さもあまり感じませんでした。最初の3年間はバイクで移動していましたし、近隣の方が食べ物を差し入れてくれたり家に招待してくれたりもしたので、生活に困るようなこともなかったです。

 

—丹波山村は狩猟をされている方が多いようですが、寺崎さんはいかがでしょうか。

 

寺崎:移住したころから狩猟には興味を持っていたのですが、興味があることを色々な人に話をしていたら、いつの間にかやることが決まっていて、資料も一式揃えられていました。その流れで試験を受けに行って無事合格し、銃の所持許可を取って狩猟を始めることになったんです。

実際、狩猟のチームに入って、猟期の間は毎週日曜日に狩猟に行っています。狩猟の文化や獣と対峙したときの心境は経験しないと得られないものなので、将来何か書き物をするときにも活かせると思います。そういう意味では、実益を兼ねた一石二鳥の趣味です。

 

—本日はありがとうございました。

 

神社再建、絵本の制作、ブランド構築、声優・作曲家とのコラボ、職域を超えて活躍する丹波山村での働き方

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職員インタビュー

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丹波山村役場

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【ヘリも活用】歴史ある神社を建て直し、根付かせ、ブランド化する。丹波山村の神社再建戦略を聞く

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【春夏秋は登山 冬は狩猟】東京都・埼玉県に面した山梨県丹波山村での暮らし、生活

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丹波山村役場

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【雨宮天、ZUNとコラボ】自身で絵本を作成し、PR施策を考え実施する、企画力や実行力を聞く

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山梨県丹波山村で地域おこし協力隊から現在は学芸員としてはたらく寺崎さんに、インタビューした動画です。こちらの動画では、自身で制作した絵本や人気声優・音楽家とコラボレーションしたPR施策の背景、実現できた理由などについてお聞きしました。

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インタビュー動画

2023年6月に丹波山村村長になられた、木下喜人村長に、これからどのような組織を作っていくか、そして住民との関わり方についてお聞きしたインタビュー動画です。

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インタビュー動画

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丹波山村役場

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【田舎の職員が面白い】丹波山村村長が語るこれからの村づくりに必要な人材

インタビュー動画

2023年6月に丹波山村村長になられた、木下喜人村長に、これからともに働きたい職員像、そして仕事の面白さについてお聞きしたインタビュー動画です。

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丹波山村役場

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2023/11/21

山梨県丹波山村の魅力〜保育士として移住先で働くやりがい〜

職員インタビュー

保育士

 山梨県丹波山村に村外から移住し、保育士として働く小林理恵さんと國分朱美さんに、お話を伺いました。


—丹波山村に移住される前の簡単な経歴をお願いします。

小林:はい。保育士の資格が取れる短大を卒業した後、保育士として働きながら、合間にワーキングホリデーでニュージーランドやオーストラリアに行き、日本に戻ってまた保育士の仕事をする、という生活を送っていました。

ニュージーランドでは、5か月ほど「オペア」と呼ばれるキッズシッターの仕事や、ホテルのベッドメイキングの仕事をしていました。


國分:私は都内の保育専門学校を卒業し、幼稚園や保育園で2年ほど仕事をしました。その後結婚と育児を経て、子どもの手が離れたあたりから、学校の食堂や、スーパーのお惣菜売り場などで働いていました。


—丹波山村に移住を決めたきっかけや、転職のきっかけは何だったのでしょうか。

小林:私はもともと山梨県内に住んでいて、小学校の時からの同級生が丹波山に嫁いだんです。何度か丹波山に遊びにいく機会があったのですが、その同級生の子どもが年長さんに上がる頃、保育所の保育士さんが1人辞めてしまうことになり、代わりがいないか探していたんです。

当時私は重い腱鞘炎を患っていて、抱っこがメインの小さい子の保育が難しく、「大きい子たちが多いよ」とのことだったので、それならあまり負担なく保育の仕事を続けられそうだと。村の雰囲気もとてもよかったので、友達もいるし、やっていけるかなと思い転職を決めました。

國分:私は保育の仕事をしていたのが30年も前なので、ブランクはありましたが、保育の資格も持っていたので、飲食の仕事をしつつも、また保育の仕事に従事したいという想いは漠然とあったんです。

移住前に住んでいた街の近くの保育所や幼稚園での募集も探したのですが、あまり大きなところで大勢を見るのも大変だと思ったので、できれば小さな保育所で働くのが希望でした。今の職場は前の会社との繋がりもあり、夫にも背中を押してもらって移住を決めました。

—次に、今の職場の業務形態や労働環境についてお伺いします。現在働かれている保育士さんの数は?

國分:勤務形態はシフト制で、常勤で3人。そのほかにお手伝いしてくださる先生が4人いますので、合計7人です。


—職員や子どもたちの年代はバラバラでしょうか?

小林:はい。職員は20代から70代まで1人ずついます。1才児~2才児の子どもたち3人を保育者2人で、年少~年長の子どもたち5人を保育者2人で保育しています。

私は現在1、2才児クラスの担当なのですが、この保育所は1才半からの入所で、1人で歩行ができる子どもたちがほとんどなので、抱っこやおんぶをしながらなど、特別手に負担がかかるような動作があまりなく働けます。

國分:私も小林さんと同じクラスを見ています。

—先ほど職員同士の年齢がバラバラだというお話でしたが、他の保育士さんや職員さんとはどのような雰囲気でしょう?

國分:ちょうど年齢が10歳くらい違っていることもあり、お互いに色々教えたり、教えてもらったりという環境です。若い先生でも「こうした方がいいんじゃないか」という意見を率直に伝えてくれるので、大変助かっています。

小林:そうですね。年齢差は良い意味で感じません。自分よりも年上の先生には人生相談といいますか、保育以外の話も聞けるのですが、基本的には「仲間」という意識が強く、過ごしやすい雰囲気です。

 國分:丹波山村のこともたくさん教えてくれるので、私のように県外から来ている者でも村のことを知ることができて。プライベートでも「ここの地域でこういう行事があるから一緒に行きませんか」ということも教えていただいたり、誘っていただいたりします。

小林:職場の保育士さんだけでなく、近所の人もそうですね。いわゆる「よそ者が来た」みたいな雰囲気は全くなく、村外から移住してきた私たちをとても優しく、温かく迎え入れてくれました。

 
 


—今まで働かれていた保育所との違いはありますか?

小林:以前働いていた保育所は、保育士2人で12人くらいの子どもたちを保育するのがスタンダードでしたが、10人以上の子どもたちを大人2人だけで見るのはなかなか大変だったんですね。

それに比べると、今の保育所は少人数なので、子どもたち一人ひとりと関わることができ、子どもたちも私たち保育者に甘えることができる環境なので、子どもたちの心の面を考えても良いことだと思います。

—差し支えなければ、具体的な就業環境を教えていただけますか?

小林:この保育所は現在、土日祝日がお休みです。開所時間は8時30分~16時30分で、延長保育がある場合は、朝は8時から、夕方は16時30分以降です。

お迎えが16時半を過ぎる場合は「延長保育」になるので、事前に申請をするか、お電話をいただければ、最長17時くらいまで保育時間を延ばすことも可能です。でも、みなさんだいたい16時半までにはお迎えに来られます。残業や持ち帰り等もなく、残業が発生したとしても30分ちょっととか、そのくらいでしょうか。

國分:保護者の方は、村内でお仕事をされている方がほとんどなので、子どものお迎えが遅くなることもあまりないですね。

 
 


—丹波山村での仕事にやりがいや楽しさを感じる部分はありますか?

小林:丹波山村って自然が豊かなので、お散歩に出かけたとき蝶々や鳥や、草木などの四季折々のものを子どもたちと発見する瞬間が楽しいですね。

國分:自然に溢れる村に子どもたちも適応していて。例えば、子どもたちに「何の動物を知ってる?」と訊くと、まず「鹿」を挙げるんです。

たしかに国道に鹿が出ることもありますし、お肉の種類でも豚肉や牛肉、鶏肉と同じくらいの感覚で「鹿肉」が出てきます。そのあたりは都会の子どもたちとの違いが見えて、面白いなぁと感じました。

村内には保育所の子たちより年上の小学生のお兄さんお姉さんたちが、「山村留学制度」を利用して村外からも来ているので、尚更そういった違いがわかりますね。

—逆に、こういった部分を改善していければいいと感じる部分はありますか?

小林:丹波山村では、山梨大学の「山梨幼児野外教育研究会」の教授や、学生のみなさんが年に4回来てくださって、自然体験学習のようなプログラムを体験できます。

火の起こし方やテントの立て方など、保育所内だけではできないような体験をいろいろとさせていただけるんです。改善点というか、そういった村の自然に根ざしたプログラムやレクリエーションを体験できる機会がもっと増えたら、さらに魅力的なのかなと思いました。

 
 


—最後に、お二人が感じる丹波山村の魅力をお願いします。

小林:やはり、自然の豊かさや風景の綺麗なところが良いなと感じます。橋を渡る時の雰囲気とか、日が沈むときとか、そういった何気ない日常の景色も美しいんですよね。

「丹波山村」って、インターネットで検索してもなかなか情報が出てこなかったり、都会に住む方からすれば「山梨の村」っていうとどんなものなのか想像がつかなかったりするかもしれませんが、この保育所はオープンな雰囲気にしていますので、もし「移住先を考えているけど保育士を続けたい・保育士をしたい」という方がいたら、気軽に来ていただきたいです。

 國分:スーパーやコンビニに行くのに40分くらいかかってしまいますが、村役場をはじめ郵便局などは徒歩圏内にあります。ここ数年で飲食店も増えています。

仕事終わりに温泉に入って帰る日もあったり。そんな魅力は丹波山村に来ないとわからないと思うので、ぜひ一度でも立ち寄ってみていただきたいです。

—本日はありがとうございました。

山梨県丹波山村の魅力〜保育士として移住先で働くやりがい〜

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職員インタビュー

保育士

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丹波山村役場

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2023/10/02

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