「津奈木町って、なんかいいんです」
そう笑顔で語るのは、津奈木町役場 政策企画課 商工観光班で働く入庁14年目の濱田さん。高校卒業後すぐに地元・津奈木町の役場に入庁し、水道の大規模改修というプロジェクトを6年間担い、その後は希望していた観光・地域づくり担当として町づくりの最前線に立ってきました。
今回は、公務員や自治体職員として働くことを考えている方に向けて、津奈木町の仕事内容や働く魅力・やりがい、職場の雰囲気について、たっぷりとお話を伺いました。
- 同級生は8人。漁師の家に生まれ、地元・津奈木町に残ることを選んだ理由
- 住民票を出すだけじゃない。40年に一度の大規模改修と向き合った6年間
- 「観光で人を呼びすぎない」という選択。津奈木町らしい地域づくりとは
- 町長室にもコンコンと。風通しの良さが生む、ここだけの働き方
- 未来の仲間へのメッセージ。「ちょっといいかも」が、まちへの思いに変わっていく。
同級生は8人。漁師の家に生まれ、地元・津奈木町に残ることを選んだ理由
ーまず、ご出身や生い立ちについて教えてください。
濱田:生まれは隣の芦北町なんですが、1歳になる前に津奈木に引っ越しているので、記憶の中ではもうずっと津奈木町出身です。
家は代々漁師で、不知火海に近いところで育ちました。小学校のときの同級生は8人しかいなくて、全校生でも45人ぐらいの小さな学校だったんです。中学校に上がったら一気に同級生が60人ぐらいになって、それだけでも結構びっくりしましたね(笑)。
ー高校卒業後すぐに役場へ入庁されていますが、公務員を意識したのはいつ頃からですか?
濱田:中学生のときには、もう決めていましたね。当時野球もしていたので進路はいろいろ考えたんですが、なんとなく地元に残りたいという気持ちがずっとあって。
幼い頃、熊本の遊園地に行ったときに迷子になったことがあったんです。地域では泣いていたらすぐに誰かが声をかけてくれるのに、遊園地ではだれも気にしてくれない。人がたくさんいるほど冷たくなるんだと感じてしまって、都会が怖くなってしまったんですよね。
それもあって地元の温かさが好きで、ここに残りたいと思っていました。
ーそこから公務員という選択肢に絞ったのはなぜでしょう?
濱田:地元に残るなら公務員か、近隣の有名企業かで悩んだんですが、やっぱり津奈木町に残りたいという気持ちが強くて。
公務員に向いている学校を探したら、隣の芦北町にある高校が他の学校より半年から1年早く公務員の勉強を始めてくれるということで、そこに進みました。中学校のときには、漠然と役場に入ろうと決めて高校を選んでいましたね。

住民票を出すだけじゃない。40年に一度の大規模改修と向き合った6年間
ー入庁後の最初の配属先を教えてください。
濱田:振興課管理班というところで、水道を担当しました。役場に入る前は、役場の仕事って住民票を出してくれるところぐらいのイメージしかなかったんですが(笑)、入ったら「水道って何?」というところから始まって。
しかも入った年がちょうど40年に一度の大規模改修の時期と重なっていて、これがもう本当に大変でしたね。
ーそれは高卒1年目から。かなりハードですね。
濱田:そうなんです。しかも40年に一回だから、経験者が周りにいなくて。でも、やっていくうちに土木の面白さを見出すことができて、不思議と嫌だとは思わなかったんですよね。設計・積算という、ものをどうやって作るかを一から積み上げていく作業が自分に合っていたんだと思います。
水道の場合、水の汲み上げ施設、貯水タンク、計測機器、水道管、建物まで全部が連なっているので、土木・建築・電気など広い分野を扱う面白さがありました。8年計画で更新するプロジェクトの6年分を担当させてもらいました。
ーその経験が今にも活きているとおっしゃっていましたね。
濱田:「積み上げる思考」が身についたのが一番大きかったですね。ものを作ることだけじゃなく、組織の形を作る、制度を作る、地域を作る、町を作る——これって全部、積み上げなんです。
大きいビジョンを立てて、そこに向かって一個一個きちっと積み上げていく。今やっている地域づくりや観光の仕事に、あの水道の経験の下地が全部つながっているなと感じています。

「観光で人を呼びすぎない」という選択。津奈木町らしい地域づくりとは
ーその後、政策企画課に異動されたと伺いました。
濱田:ずっと異動希望を出し続けて、6年かけてやっと来られました(笑)。もともと地域づくりに関心があって。今はアートプロジェクトと観光を担当しています。
アートプロジェクトは、現代アーティスト五十嵐靖晃さんの「海渡り」という作品で、赤崎地域に海の上に建つ小学校があって、その先に潮が引くと渡れる島があります。その島に弁天様が祀られているんですが、管理してきた方々の高齢化でお祭りが続けられなくなってきました。
それを聞いた五十嵐さんは、古くから繋がれてきた祈りや想い、その先にある地域へのまなざしをアートによって再構築して、次の世代に残そうということで、「海渡り」という作品を生み出しました。毎年秋に地域行事として実施していて、今年で6年目になりますね。

ー観光担当として、どのような方針で仕事をされていますか?
濱田:津奈木町にとっての観光って何だろうということを考えています。うちは人口が4,000人を切っている小さなまちで、10,000人を呼ぶイベントをしたら駐車場もなければ道路も大渋滞で、住民さんが望んでいないことになってしまいます。
たくさん人を集めることが正解じゃないかもしれない。だったら、10,000人を呼ぶよりも、100人に10,000人分の力を使って津奈木の魅力を伝える方が、このまちには合っているんじゃないかと。そうしてファンになってくださった方が、また家族や友人を連れて来てくれるような関係を作りたいと思うようになりました。
そして外から来た人が地域を褒めたり好きになってくれると、その視点や価値観が、住んでいる人に新たな気づきを与え、地域への誇りや愛情に繋がるかもしれないとも思います。
観光には楽しい観光だけでなく、学びある観光もあり、訪れる側も受け入れる側も互いにいい関係でありたい。観光による集客を目的にするんじゃなく、地域が無理せず、ありのままで、訪れる人に学びや楽しさを与えられる結果として観光になっているという状態を作りたいんです。
ー仕事で大切にしているポリシーはありますか?
濱田:あえて「厳密なルール化はしない」ということを考えています。行政はルールを作って守っていく仕事なんですが、作った時代にはよかったルールも、次の時代には合わないこともあります。時代が変わったときに変えるのが難しくならないようにすることも大切だと思います。何かあったときに話し合いを促すようにしています。
ルールとは少し違いますが、区分しすぎないこともあります。例えば「海渡り」も、まちのイベントでもあり、美術館のアートプロジェクトでもあり、地域行事でもある。どこか一つに特定させないことで、全員が「自分たちのもの」として関わり続けられる。その緩やかさが、続いていくための“しなやかさ”だと思っています。


町長室にもコンコンと。風通しの良さが生む、ここだけの働き方
ー職場の雰囲気はいかがですか?
濱田:めちゃくちゃ風通しがいいです(笑)。津奈木町は小さなまちなので、職場の人たちが同級生の親だったり、知り合いのおじちゃんおばちゃんだったりするんですよ。町長室をコンコンとノックして、町長と気軽に雑談のような会話をすることもあります。
課をまたいでの相談も全然壁がないですし、特に僕のいる政策企画課はかなりゆるやかで、必要なときにサポートし合える関係性があると感じています。
ーワークライフバランスについてはいかがですか?
濱田:結婚してから残業をあまりしないようにしていて、プライベートも大事にしています。上司が仕事の進め方を信頼して任せてくれる職場なので、必要以上に書類をそろえたり、細かい確認を繰り返したりといった手間が少ないです。おかげで要所をきちっと押さえながら効率よく働けていて、プライベートの時間もしっかり確保できています。
年次有給休暇についても、気持ちよく取得できる雰囲気があって、職場全体として休みを大切にする文化が根づいていると思います。担当する業務によって繁忙期はありますが、役場全体として残業は少ない方だと思います。

未来の仲間へのメッセージ。「ちょっといいかも」が、まちへの思いに変わっていく。
ー最後に、津奈木町や役場への就職を考えている方へメッセージをお願いします。
濱田:経験やスキルよりも、何かこの町のために働いてみたいなと思ってくれる人が来てくれたら嬉しいですね。ただ、僕自身も入るときにそんなこと考えていなかったので(笑)、まずは「津奈木町ってちょっといいかも」、「働き心地とか住み心地が良さそうだな」と思ってくれるだけで十分です。
来てみてから愛着が湧いてきて、そのあとにこの町のために、というところにつながっていくと思うので。まずはぜひ、来てみてください!

ー本日はありがとうございました。
明るく、話すテンポも軽快で、自分の考えをまっすぐ言葉にしてくれた濱田さん。
水道施設の設計・積算のことを語るとき、「海渡り」のアートプロジェクトのことを語るとき、そして「津奈木町って、なんかいいんです」と言い切るとき。どの言葉にも迷いがなく、14年目のキャリアの中で積み上げてきた確かな思いが伝わってきました。
ルールで縛らないからこそ生まれる関係性、数を追わないからこそ伝わる魅力——そんな発想が、小さなまちの豊かさをつくっているのかもしれません。
取材・文:パブリックコネクト編集部(2026年6月取材)



