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与謝野町役場

与謝野町は、京都府北部丹後半島の付け根に位置し、面積108.8㎢の中に約2万人が暮らす小さなまちです。南北約20kmの間に町並みや集落が連なり、住民の顔が見え、住民の声を直接聞くことができる、まとまりのよさが特徴です。 大江山連峰をはじめとする山並みに抱かれ、野田川流域に広がる肥沃な平野から、日本三景天橋立を横一字に臨む阿蘇海へ流れるように続く景観は、四季折々に美しい姿を作り出す豊かな自然とともに、古代丹後王国に思いを馳せる古墳群、明治・大正から昭和の文化を色濃く残す町並みがあります。 丹後ちりめんに代表される織物業、町独自の有機質肥料「京の豆っこ」を使用した自然循環農業といった伝統産業を継承しながら、近年では国内のクラフトビール醸造所にフレッシュな国産ホップを供給する日本初のフリーランスホップ産地として新たな農業振興施策を展開、さらには「子育てするならこのまちで」をスローガンに、妊娠前・妊娠中から出産後、そして学童期までをサポートする子育て支援にも力を入れています。

伝統芸能に情熱を燃やす!異色の経歴を持つ町職員が語る、与謝野町で働く魅力とは?

与謝野町役場

2025/03/10

京都府与謝野町役場の企画財政課で事務職として働く小西さんのインタビュー記事です。ケーブルテレビ局勤務や京都府庁出向など、異色の経歴を持つ小西さんが、与謝野町で働く魅力、やりがい、そして未来への展望について語っていただきました。

ーこれまでのご経歴を教えていただけますでしょうか?
 

小西:与謝野町で生まれ育ち、大学卒業後、平成31年に与謝野町役場に入庁しました。

 

入庁したのは、地域の皆さんに良くしていただき、育てていただいたので今度は自身が地域の子供達のために役に立ちたいという気持ちと、与謝野町の伝統を繋いでいきたいという気持ちからです。

 

与謝野町は加悦谷祭や岩滝祭など、伝統のある祭事が盛んな町で、300年以上続くとされるお祭りもあります。地域全体が祭りで盛り上がる、本当に熱い町であり、私もそういった祭事が昔からすごく好きで参加していました。

 

もともとは教育大学出身で教師を目指したこともあったのですが、上記の理由で最終的に地元の役場で働くことを選びました。実際に、教育大学で学んだ知識やノウハウも同じ行政で活かせるとも感じていました。

 

―そうなんですね。では入庁してからについても教えていただけますか?

 

小西:入庁後3年間は、京都府下で唯一、町が設立・運営するケーブルテレビ局に配属されました。その後、府の派遣研修制度を利用して京都府庁へ2年間出向し、今年度から町の企画財政課に戻ってきました。

 

ーいきなりケーブルテレビ局のお仕事だったんですね。

 

小西:はい、非常に珍しい経験でした。ケーブルテレビは町内に住む方々向けのサービスです。もともと旧加悦町域においては、電波の受信環境が悪くテレビが見られない地域があったため、行政サービスとして家庭に有線を繋いでテレビを見れるように始められたサービスで、合併を期に与謝野町全域に拡張したものです。私が配属された当時は、職員6人の体制で、独自番組の企画から撮影、編集、放送までを行っていました。

 

電気工事などハードの専門的な作業は業者に委託していましたが、それ以外はすべて自分たちで行う、まさに小さなテレビ局でした(笑)。もちろんアナウンサーも町職員です。私も企画、カメラマンや映像編集をしたりと、マルチな役割を担っていました。

 

全く知見はなかったですが、NHKの研修に参加したり、先輩職員や上司に教えていただいたりしながら、実践で経験を積んでいきました。
 

―どんな番組を放映していたのですか?

 

小西:行政の取り組みや町の魅力を発信する番組はもちろん、町長からのメッセージ、町議会や成人式の生中継、町内外のイベントや学校行事の取材、さらには警察署や税務署などとも協力した情報発信まで、本当に多種多様な番組を制作していました。

 

特に印象に残っているのは、地元の高校を題材にした番組です。近隣の高校と統合し、学舎制となった高校の特色ある学科や部活動を紹介する番組を、企画から制作まで担当しました。高校生の活き活きとした姿や、ユニークな取り組みを地域に発信することで、学校の魅力向上に貢献できたと感じています。

 

また、コロナ禍で様々なイベントが中止・縮小される中、学校行事も人数制限などで保護者の方々がなかなか見に行けない状況でしたので、番組を通して子どもたちの姿を届けられたことは、私自身も嬉しかったですし、保護者の方々からも感謝のお言葉をいただきました。

 

教員を目指していた頃の「教育に携わりたい」という思いを、このような形で実現できたことは、本当に幸運だったと思います。


ーその後、京都府庁に出向されたとのことですが、府庁ではどのようなお仕事をされていたのですか?


小西:地域政策室という部署で、京都府全体の地域振興に関わる仕事をしていました。市町と連携しながら地域活性化に繋がる事業を進めていく部署で、2年間、与謝野町以外の様々な地域のことも学ぶことができました。


ー具体的にはどのような業務内容だったのでしょうか?
 

小西:人口減少や東京一極集中が進む中で、京都府としてどのように移住者を増やしていくかの移住定住促進がメインの仕事でした。

 

直接的な移住相談の窓口ではありませんが、移住検討者のきっかけづくりや支援として、移住体験のプログラムを作ったり、東京や大阪など都市部へのPRをしていったりと様々です。府内の市町だけでなく、高校生・大学生や企業とも連携して地域課題の解決について研究発表していくプロジェクトもありました。

 

他にも、北陸新幹線延伸に合わせた観光客誘致のための施策や、京都府北部の観光PR動画制作なども携わりました。実際に動画に出演することもあり良い経験となりましたし、新幹線駅開業日の敦賀駅でも放映されました。

 

市町、与謝野町という立場だけでは進めていく事が難しいような事業に携わり、他の市町や都道府県の職員、企業や国の機関からの出向者など、様々な立場の方々と協力し仕事を進めていくことも、多くの学びがありました。立場も人それぞれ、ちがいはありますが同じように京都府を良くしたい、まちを良くしたいっていう思いの方ばかりでした。

 

―では、そこから現在の仕事についても教えていただけますか?

 

小西:今年度から与謝野町役場に戻り、交流促進係で、国際交流と国内交流の推進を担当しています。特に、今年7月に100周年を迎える与謝野駅や駅周辺の活性化事業に力を入れて取り組んでいます。地域団体と連携しながら、100周年を盛り上げ、その先100年後も地域とともにある・愛される駅を目指して、様々な企画を検討・実施しています。

 

ー国際交流事業についても詳しく教えてください。
 

小西:与謝野町は、イギリス・ウェールズにあるアベリスツイスという町と、40年以上にわたる交流を続けています。毎年相互に高校生が訪問し合い、文化交流やホームステイなどを通して親睦を深めています。

 

この交流は、戦時中に遡る深い歴史があります。その時の出来事をきっかけに1980年代に両町の交流が始まりました。今では、未来を担う高校生たちが、戦争の歴史を学びながら、平和の尊さを実感し、国際交流の意義を深める貴重な機会となっています。

 

この交流事業は、派遣の際は、町主体の事業。受入の際は、与謝野・アベリスツイス友好協会が中心となって実施いただいていますが、町としても積極的にサポートしています。私自身も、受け入れ側の担当として、訪問団の行程調整や滞在中のサポートなど、様々な業務に携わっています。

 

ー40年以上も続く交流事業、素晴らしいですね。何か印象的なエピソードはありますか?
 

小西:昨年、私が初めて受け入れ担当を務めた時のことです。訪問団のフライトが1日遅延したり、長旅の疲れや見知らぬ土地への不安から、アベリスツイスの生徒が泣き出したりしてしまうハプニングもありました。

 

慣れない英語でのコミュニケーションに苦労しながら、不安に駆られる私を支えてくれたのは、上司の丁寧なサポートでした。延期の対応や訪問団との相談、そして何よりも、宿泊施設のロビーでくつろぐ訪問団の方々に、温かい笑顔で話しかける上司の姿を見て、深く感銘を受けました。

 

上司も楽しそうでしたし、自分も楽しみながら相手にも楽しんでもらうためのコミュニケーションの大切さを実感するとともに、この楽しむということが、長く交流が続いている秘訣と感じた出来事でした。


ー最後に、今後の展望についてお聞かせください。
 

小西:本当に多くの経験をさせてもらいましたが、これからも新しいことに挑戦していく気持ちを忘れずに、地域・町民さんとしてのためにできることを一つ一つ積み重ねていきたいと思っています。行政としてしっかりと仕事をしながら、できる限りのチャレンジをしていきこれからの明るい与謝野町のために努めていきます。

 

ー本日はありがとうございました。

取材・文:パブリックコネクト編集部(2025年1月取材)

 

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与謝野町は、京都府北部丹後半島の付け根に位置し、面積108.8㎢の中に約2万人が暮らす小さなまちです。南北約20kmの間に町並みや集落が連なり、住民の顔が見え、住民の声を直接聞くことができる、まとまりのよさが特徴です。 大江山連峰をはじめとする山並みに抱かれ、野田川流域に広がる肥沃な平野から、日本三景天橋立を横一字に臨む阿蘇海へ流れるように続く景観は、四季折々に美しい姿を作り出す豊かな自然とともに、古代丹後王国に思いを馳せる古墳群、明治・大正から昭和の文化を色濃く残す町並みがあります。 丹後ちりめんに代表される織物業、町独自の有機質肥料「京の豆っこ」を使用した自然循環農業といった伝統産業を継承しながら、近年では国内のクラフトビール醸造所にフレッシュな国産ホップを供給する日本初のフリーランスホップ産地として新たな農業振興施策を展開、さらには「子育てするならこのまちで」をスローガンに、妊娠前・妊娠中から出産後、そして学童期までをサポートする子育て支援にも力を入れています。

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