「生まれ育った新宮市に貢献したい」。
その一心で、大阪の大学から地元へ戻り、消防士としてのキャリアをスタートさせた松下さん。
スポーツで培ったチームワークと体力を武器に挑んだ消防学校での厳しい訓練、そして配属直後に直面した緊迫の火災現場。若き消防士は、現場で何を学び、どのように成長しているのでしょうか。
新宮市消防本部で働く魅力や、市民の命を守るやりがいについて、熱い想いを語っていただきました。
- 地元愛とスポーツ経験が導いた、消防士という選択
- 仲間と共に乗り越えた、消防学校での厳しい半年間
- 新宮市の安全を守る最前線。現場ごとの特徴と1日の流れ
- 緊迫した初出動。現場で知った知識の大切さ
- 目指すは“オールラウンダー”。愛する街をこの手で守る
地元愛とスポーツ経験が導いた、消防士という選択
ーまずは、松下さんが消防士を目指されたきっかけについて教えていただけますか。
松下:生まれも育ちもずっとここ、新宮市です。実は大学進学で一度大阪に出て、法学部に通っていました。
法学部だったので周りには公務員志望の友人がちらほらいたのですが、消防士を第一志望にしている人はあまり多くありませんでした。
そんな中で私が消防士を志したのは、やはり「地元に帰って貢献したい」という強い想いがあったからです。
また、小学校の頃からずっとスポーツを続けてきたので、体力には自信がありました。何より、チーム一丸となって目標に向かう活動が好きだったんです。
自分の体力と協調性を活かしながら、愛着のある地元のために働ける仕事は何かと考えたとき、消防士という選択肢が浮かびました。
大学での就職活動が進むにつれてその思いは確信に変わり、最終的には他の自治体などは考えず、地元・新宮市一本に絞って受験しました。
ー「地元一本」という決断に、強い覚悟を感じます。当時の採用試験はどのような内容でしたか?
松下:1次試験は筆記と体力試験でした。体力試験は1500m走や反復横跳びなど、いわゆるスポーツテストのような内容でしたね。
その後、2次試験の前に消防署での個人面接があり、最終の2次試験が集団面接と小論文という流れでした。
特に印象に残っているのは、消防署で行われた個人面接です。試験官の方が「試験の評価には関係なく、まずは個人のことを深く知りたい」といった温かい雰囲気を作ってくださったんです。
圧迫感のようなものはなく、お互いを理解し合う場という感じで、とても話しやすかったのを覚えています。

仲間と共に乗り越えた、消防学校での厳しい半年間
ー無事に合格された後は、消防学校に入校されるのですね。そこでの生活はいかがでしたか?
松下:4月から半年間、全寮制の消防学校で過ごしました。そこでは消防に関する法律などの座学もみっちり行いますし、もちろん消火活動や救助活動の実践的な訓練もあります。
特に大変だったのが「訓練礼式」です。これは部隊の規律を保つために、指揮者の号令に合わせて敬礼や行進などの動作をピタリと揃える訓練なのですが、これが本当に難しくて…。
50人くらいの同期全員が歩幅や手の振り方一つひとつまで合わせなければならないので、常に神経を張り詰めながら、みんなでピリピリしながらやっていました(笑)。

ー50人の動きを完璧に合わせるのは至難の業ですね。体力面での訓練も厳しかったのでしょうか?
松下:そうですね。特に印象に残っているのは、重たい防火衣を着て、消防学校の前にある長い坂道をひたすら走る訓練です。
ただ、寮生活そのものは、同じ志を持つ仲間と寝食を共にすることで絆が深まり、かけがえのない時間になったと感じています。

新宮市の安全を守る最前線。現場ごとの特徴と1日の流れ
ー新宮市消防の組織体制について教えてください。
松下:新宮市には、消防本部と消防署が一緒になった本署、三輪崎消防派出所、そして私が今勤務している熊野川消防出張所という3つの拠点があります。
私は入庁して最初の2年間は本署の消防係に勤務し、現在は熊野川出張所の消防係に配属されて2年目になります。出張所は1班3名体制で、24時間勤務をしています。
ー本署と出張所では、業務内容や出動頻度に違いはありますか?
松下:はい、結構違いますね。本署は市街地を管轄しているので救急出動が非常に多く、私がいた頃は1日に3〜4件は必ず出動があるような状況でした。
一方、今いる熊野川出張所は山間部が多く、人口も市街地に比べると少ないエリアです。そのため、出動件数は月によってバラつきがあり、出動がない日が続くこともあります。
もちろん、いざ災害が発生すれば山間部特有の困難さがありますが、普段の流れとしては本署とはまた違った時間の使い方が求められます。
ー具体的な1日のスケジュールを教えてください。
松下:勤務は朝8時30分からの申し送りで始まります。その後すぐに車両点検を行います。消防車や救急車、積載している資機材に不備がないか、いざという時に確実に動かせる状態かを厳しくチェックします。
その後は、火災や救急活動に関する報告書の作成、調査事務などのデスクワークを行ったり、訓練を行ったりします。訓練は、基本的には昼間の時間帯に行うことが多いですね。
夕方にミーティングを行い、夜間も通信指令が入れば即座に出動できる態勢で待機します。翌朝の8時30分に次の係と交代して勤務終了となります。

ー勤務シフトはどのようなサイクルになっているのでしょうか?
松下:現在は「3部制」という勤務体制をとっています。朝から翌朝まで24時間勤務をする「当直」、その勤務明けの日が「非番」、そして翌日が休みとなる「週休日」というサイクルです。このサイクルだと、非番の日と週休日で実質的に自分の時間がかなり確保できます。
しっかりと体を休めて体力を回復させることはもちろん、趣味の時間に充てることもできるので、ワークライフバランスは非常に充実していると感じています。

緊迫した初出動。現場で知った知識の大切さ
ー消防士として働いていて、やりがいを感じる瞬間はどんな時ですか?
松下:やはり、自分が身につけた知識や技術を活かして、実際に人を助けることができた時ですね。それが一番のやりがいです。
ー特に印象に残っている出来事はありますか?
松下:消防学校を卒業して現場に配属され、初めて出動した火災現場のことは、今でも忘れられませんね。
「全焼火災」の現場だったのですが、一軒家が激しく燃え上がっていて…。訓練ではなく、本当の「火災現場」の凄まじい熱気と緊迫感を初めて肌で感じました。
それでも、同じ班の先輩方が的確に指示を出してくださったおかげで、無我夢中で自分の役割を果たすことができました。
あの時の先輩方の背中は本当に頼もしかったですし、現場でのチームワークの重要性を痛感した瞬間でした。
ー命に関わる現場ですから、最初は不安も大きかったと思います。職場の先輩方はどのような存在ですか?
松下:本当に頼りになる存在です。最初は「消防士=体力勝負」というイメージが強くて、「体力さえあればなんとかなる」と思っていた部分もありました。
でも実際の現場に出てみると、車両の操作、資機材の特性、建物の構造など、膨大な知識がないと自分自身も危険に晒されますし、何より要救助者を助けられないということを思い知らされました。そういった知識や経験に基づいた判断の重要性を、先輩方は現場や訓練を通じて丁寧に教えてくれます。
分からないことがあればすぐに聞ける雰囲気ですし、的確なアドバイスをくれるので、とても風通しが良い職場だと感じています。
普段は気さくで優しい方が多く、オンとオフの切り替えがしっかりしているのも働きやすさの一つですね。

目指すは“オールラウンダー”。愛する街をこの手で守る
ーこれからの目標を教えてください。
松下:新宮市消防では、大都市のように隊によって専門が完全に分かれているわけではなく、一人の消防士が火災の「警防」、人を助ける「救助」、傷病者を搬送する「救急」と、全ての活動を行わなければなりません。
大変な面もありますが、それは裏を返せば、幅広いスキルを身につけられるということでもあります。
だからこそ、今後はその一つひとつの質をさらに高めていきたいです。どんな災害現場でも、どんな状況でも対応できる、真の「オールラウンダー」な消防士になることが私の目標です。
ー最後に、これから新宮市消防を目指す方へメッセージをお願いします。
松下:新宮市は、世界遺産を含む豊かな自然と深い歴史があり、何より温かい人たちが暮らす素晴らしい街です。
消防士という仕事は、そんな大好きな街と、そこに暮らす人々の日常を自分たちの手で直接守ることができる、本当にやりがいのある職業です。
もちろん厳しい訓練や辛い現場もありますが、それを乗り越えた先には、他では味わえない充実感と誇りがあります。
この美しい新宮市を一緒に守っていける仲間が増えることを楽しみにしています!

ー本日はありがとうございました。
インタビュー中の柔らかい表情と、現場での経験を語る際の真剣な眼差しのギャップがとても印象的でした。
消防学校での日々や初めて出動した火災現場の話など、その言葉の端々からは、失敗や恐怖を乗り越え、着実にプロフェッショナルとしての階段を上っている実感が伝わってきました。
また、新宮市消防の温かく、互いを信頼し合うチームワークの良さが垣間見え、この場所でなら若手職員も安心して成長できるのだと確信しました。
取材・文:パブリックコネクト編集部(2025年12月取材)



