「自分の育った街が、誰にも知られていない」——。
東京の大学生活で抱いたその悔しさが、天野さんの原点でした。卒業後、地元の新宮市役所に入庁し、クルーズ客船の誘致や文化ホールの開館など、市の形を創り上げる数々の大事業に携わってきた天野さん。
現在は37歳の若さで課長補佐を務め、市政の中枢で全庁的な調整を担っています。新宮市で働くやりがいや、“能動的”に働くことの意味を詳しく伺いました。
- Uターンの決意:東京で気づいた「地元の知名度」
- 現場を動かす情熱:おもてなし日本一と文化ホールの開館
- 市政の舵取り:企画調整課という“橋渡し”の役割
- 目に見える成果が生むやりがいと、市民との距離が近いからこその厳しさ
- 挑戦を支える組織:若手が活躍し、能動的に動ける環境
- 未来の仲間へ:すべての業務が「まちづくり」に繋がっている
Uターンの決意:東京で気づいた「地元の知名度」
ーまずは自己紹介と、新宮市役所を志望したきっかけを教えてください。
天野:私はこの地元・新宮市で生まれ育ちました。高校まではずっと新宮で過ごし、大学の4年間は東京へ出ました。
そこで大きな衝撃を受けたんです。東京で出会った友達が、誰も「新宮市」のことを知らなかったんですよ。新宮市には豊かな自然があり、深い歴史がある。自分の大好きな場所が世の中に知られていないことが、本当に悔しくて仕方がありませんでした。
もっと新宮市の魅力を多くの人に伝えたい、自分の手でPRしたい。その強い思いが、23歳で地元に戻り、市役所の門を叩いた一番の動機ですね。
ー大学卒業後、迷いなく新宮市に戻られたのでしょうか?
天野:正直に言うと、当時は東京に残るか地元に帰るか、迷った時期もありました。
ただ、先ほどお話しした「誰も新宮を知らない」という悔しさが、どうしても自分の中で残っていたんです。
最終的には、「新宮市の魅力を発信したい」「大好きな街を自分の手で変えたい」という想いが勝り、新宮市役所への入庁を決めました。

現場を動かす情熱:おもてなし日本一と文化ホールの開館
ーこれまでどのような業務を経験されてきたのでしょうか?
天野:最初の配属は商工観光課で、港湾係として新宮港を担当しました。クルーズ客船や貨物船が寄港する港です。
ここで通算9年間、港の振興に携わりました。当初、新宮港へのクルーズ客船の寄港は年間4〜5隻程度でしたが、官民一体となって誘致活動に励んだ結果、今では22隻まで増えています。
特に印象深いのは、2018年に「クルーズ・オブ・ザ・イヤー」の特別賞をいただいたことです。船会社さんからの推薦で「おもてなし日本一」のような評価をいただけたことは、大きな自信になりました。
公務員の枠を超えて、まるで民間企業の営業職のように全国を飛び回っていた時期もありましたが、それが実を結んだ瞬間でした。

ーその後、文化振興課でも大きなプロジェクトに関わられたそうですね。
天野:はい。令和3年に開館した文化複合施設「丹鶴ホール」のプロジェクトです。
文化施設を新設するのは、自治体にとっても50年に一度あるかないかのビッグプロジェクトです。私は建設中の準備段階からオープン後の運営まで、計5年間携わりました。
特に大変だったのは、やはりコロナ禍での開館準備です。行政職員である私たちはホールの運営に関しては素人同然。そこに未知の感染症対策が重なり、まさに暗中模索の状態でした。
それでも「当地方の文化拠点施設の開館を心待ちにしている市民の方々がいたため、課のメンバーが一丸となって、毎日必死で知恵を絞りました。
開館後、多くの方に利用していただき、民間委託へ切り替わるタイミングで「今までありがとう」と声をかけていただいたときは、胸が熱くなりましたね。

市政の舵取り:企画調整課という“橋渡し”の役割
ー現在は企画調整課に所属されていますが、具体的にどのようなお仕事をされているのですか?
天野:今年度から配属された企画調整課では、市の最上位計画である「総合計画」の策定や、全庁的な施策の調整、ふるさと納税などを担当しています。
私たちの役割は、一言で言えば「市の将来像を描きながら、各部署をつなぎ、施策を前に進めること」です。
また、プロジェクトが急浮上した際には、どの部署が主管となるか決まっていない段階で私たちが中に入り、形を整えて適切な課へ引き継いでいくこともあります。
ー調整業務において、大切にしていることは何でしょうか?
天野:調整とは、単に書類を右から左へ流すことではありません。それぞれの部署にはそれぞれの想いがあります。
そうした多様な視点を踏まえ、市の将来像の中でどのような役割を果たしていくかを職員同士で話しあい、考え抜くことが、まちを発展させる推進力になると感じています。
目に見える成果が生むやりがいと、市民との距離が近いからこその厳しさ
ー自治体職員として働かれてきて、改めて感じる「仕事のやりがいや魅力」は何でしょうか?
天野:一番は、「やったら成果が見えやすい」ところですね。
営業をかけて船が来れば目に見えて結果がわかりますし、ホールでイベントを企画すれば、そこにお客様が集まって喜ぶ顔を直接見ることができます。これは、新宮市という【ちょうど良い自治体規模】も関係しているかもしれません。
自分が必死に取り組んだことが、ダイレクトに街の形になり、具体的な成果となって現れる。そこで得られる「自分が街に貢献している」という実感は、この仕事ならではの大きな魅力だと思います。
ーやりがいが大きい一方で、住民の生活を預かる仕事ゆえの「厳しさ」や、苦労を感じる面もありますか?
天野:そうですね。やりがいの裏返しになりますが、自分の仕事が目に見える形になりやすい分、その責任は非常に重いです。市民の方との距離が非常に近いため、喜びの声だけでなく、厳しいご意見もダイレクトに届きます。
成果がはっきりと見えるからこそ、決して中途半端な仕事はできないという責任感は、常に自分の中に持ち続けています。

挑戦を支える組織:若手が活躍し、能動的に動ける環境
ー37歳で課長補佐というポジションは、かなり早い昇進だと伺いました。
天野:私がここまで走ってこられたのは、ひとえに「やりたい」というやる気を後押ししてくれる環境があったからです。
入庁以来、どの上司も同僚も、私の突拍子もないアイデアを否定せず、「やってみろ」と背中を押してくれました。周りの方々の支えがあったからこそ、私はチャレンジし続けることができ、その結果が今に繋がっているのだと思います。
ー天野さんが仕事をする上での「ポリシー」を教えてください。
天野:常に「能動的であること」です。仕事を与えられるのを待つのではなく、自ら仕掛けていく。仕事を「やらされている」と感じるのではなく、これは「自分の仕事だ」という当事者意識を持つことを大切にしていて、これも上司や先輩方を見て学んできたことです。
市役所の仕事は、ルーティンワークだけではありません。自分たちの知恵と行動次第で、何もないところからプロジェクトを生み出し、街を変えていくことができる。そんな能動的な姿勢を持つ仲間が増えることで、市役所はもっと面白い組織になっていくと信じています。
ー現在の職場の雰囲気はいかがですか?また、部下の方々とコミュニケーションを取る上で意識されていることがあれば教えてください。
天野:今の企画調整課は、課長が41歳、私が37歳、係長が36歳と、市役所の中でもかなり若い世代が中心となって動いている部署です。
年齢が近い分、非常に活気がありますし、風通しの良い職場だと感じています。もちろんみんな忙しく働いていますが、何かあればすぐに声をかけ合える空気感がありますね。
私自身、今年度この部署に来たばかりということもあり、現場のことは部下から教えてもらうことも多いんです。だからこそ、役職の垣根を越えて、一人の「同僚」のような感覚で意見を出し合える関係を大切にしています。
また、私自身がかつて先輩方に「やりたい!」と言ったことを全力で後押ししてもらった経験があるので、部下に対しても、彼らの主体的な意欲を尊重し、挑戦を支えてあげられるような【柔らかく、かつ頼もしい接し方】を常に意識しています。
相談しやすい雰囲気を作ることで、一人ひとりが能動的に動ける環境を整えていきたいですね。

未来の仲間へ:すべての業務が「まちづくり」に繋がっている
ー最後に、新宮市を志望する方へメッセージをお願いします。
天野:新宮市には、福祉も教育もインフラも、多種多様な仕事があります。でも、そのすべてが「新宮市という街を創る」という一つの目的に繋がっています。
新宮市の採用キャッチコピーには「笑顔を守る。まちをつくる。あなたの力を待っています。」という言葉があります。スキルや経験は問いません。必要なのは「この街を良くしたい」という真っ直ぐなやる気だけです。
失敗を恐れずに挑戦できる環境を、私たちが用意して待っています。ぜひ、一緒に新しい新宮市の未来を創っていきましょう!

ー本日はありがとうございました。
取材を終えて、天野さんの言葉から溢れ出ていたのは、どこまでも真っ直ぐな「新宮愛」でした。
市役所の仕事は淡々と進むものという先入観を、天野さんの能動的な姿勢は鮮やかに塗り替えてくれます。若手が自由に意見を言い、それを上司が全力で支える。そんな温かく力強い風土が、この新宮市には確かに根付いていました。
街の未来を自分たちの手で創っていく——天野さんの瞳に映るその景色は、これからのキャリアを歩む人にとって、何よりの希望となるはずです。
取材・文:パブリックコネクト編集部(2026年1月取材)



