福岡県春日市。母校のある街、野球で訪れた思い出の地。そんな縁ある街で建築担当として活躍する二人の職員がいます。
民間での設備設計経験を武器に戦略的な施設管理を行う稲永さんと、事務職採用から建築の道へ進み、地域に寄り添う古賀さん。学校の環境改善や公民館の改修など、市民の生活に直結するプロジェクトの裏側にはどのような想いがあるのか。アットホームな職場の雰囲気と、驚きの「ストレスフリー」な働き方に迫ります。
- 建築の道を選んだきっかけと、春日市との意外な「縁」
- 学校から庁舎まで。建築担当が担う「街の管理者」としての役割
- 「ありがとう」が直接届く喜びと、数字で示すプロの仕事
- 未経験からプロへ。若手を支える「ジョブコーチ制度」
- 「ストレスフリー」を支える充実のワーク・ライフ・バランス
建築の道を選んだきっかけと、春日市との意外な「縁」
ーまずはお二人の経歴と、なぜ建築の道に進まれたのかを教えてください。
稲永:私は福岡市出身で、地元の春日高校を卒業しました。大学は北九州市立大学の環境空間デザイン学科という、ちょっとかっこいい名前の学科に進んだのがきっかけです(笑)。
元々バイクをいじったり、ものづくりをしたりするのが好きだったので、機械や建築には自然と興味が湧きました。卒業後は民間の設備工事会社で5年間、東京での研修や大阪支社での設計業務を経験しました。
その後、地元福岡で転勤なく腰を据えて働きたいと思い、建築技師として春日市役所に入庁しました。
古賀:私は太宰府市出身で、福岡大学の建築学科を卒業しました。祖父が工務店を営んでいて、兄も同じ建築学科出身という「建築一家」だったこともあり、自然とこの道を選んでいましたね。
ただ、実は私、春日市には「一般事務職」として採用されたんです。

ー事務職としての採用だったのですか?それは驚きです。
古賀:そうなんです(笑)。実は就職活動の当初は消防士を目指していて、東京消防庁や地元の消防も受験していました。ただ、いざ試験で東京へ行ってみると人が多すぎて、「ここは自分が住む場所じゃないな」と圧倒されてしまって……。
体力的な面でも一生続けていくことに不安を感じ始めた時期だったので、地元に近い春日市で、事務職としてチャレンジしようと決めたんです。
入庁後、たまたま建築技師に欠員が出た際、大学の専攻を見て今の部署に配属されました。春日市には昔、野球の試合で隣の春日球場によく来ていたので、縁を感じていたのも受験した理由の一つです。
ー稲永さんは、なぜ数ある自治体の中で春日市を選んだのでしょうか?
稲永:私はとにかく福岡という場所が好きで、あまり外に出たくなかったんです。民間企業時代は全国転勤がある環境でしたが、将来を考えた時に「家を構えて同じ場所に住み続けたい」という現実的なライフプランがあったので、転勤がなく安定して長く働ける公務員は自分にとって理想的でした。
春日市は母校の高校がある街で親しみがありましたし、募集を見つけた時は「隣の市だし、ちょうどいいな」と(笑)。縁のある土地で、生活の拠点を変えずに働けることが最大の決め手でした。

学校から庁舎まで。建築担当が担う「街の管理者」としての役割
ー現在のお仕事の具体的な内容について教えてください。
稲永:私は入庁してから10年間、教育総務課で市内の小中学校18校の施設管理を担当していました。今年度からは管財課に異動し、市全体の公共施設の建築担当をしています。
教育総務課時代は、学校のエアコン設置やトイレの改修、時には校舎の増築計画など、子どもたちが過ごす環境をアップデートし続けてきました。維持管理だけでなく、国からの補助金申請などの事務作業も重要な仕事の一つです。
古賀:私は入庁後4年間は、稲永さんと同じく教育総務課の施設計画担当として勤務し、現在、管財課の建築担当として6年目になります。管財課では、市役所庁舎や公民館といった、学校以外のあらゆる公共施設の設計・工事の発注、監理をメインに行っています。
各担当部署からの要望を受け、【利用者の使い勝手を最大限に引き出すための設計】を、設計事務所や施工業者の方々と二人三脚で形にしていく役割です。

「ありがとう」が直接届く喜びと、数字で示すプロの仕事
ー仕事をしていて「やりがい」を感じる瞬間はどんな時でしょうか?
稲永:やはり、環境をより良くするために自ら計画を立て、それが実際に実現することに大きなやりがいを感じます。例えばエアコン設置事業では、夏場に30度を超えるような過酷な環境で授業を受けている子どもたちの状況を改善するため、事業を計画し、実際に約400台ものエアコンを設置しました。
「こうあるべきだ」という理想を形にするために試行錯誤し、環境改善を最後までやり遂げるプロセスを経験できることは、建築技師として非常に手応えがありますね。
古賀:私は公民館の改修を担当した時が印象に残っています。地域の方々と何度も話し合い、高齢者の方でも使いやすいように建屋内にスロープを設置しました。
完成後、現地でそのスロープが実際に使われている光景を目にし、自治会の方から「綺麗にしてくれてありがとう」と直接声をかけていただけました。あの瞬間は、この仕事をしていて本当に良かったと心から思いました。

ー民間企業での経験は、市役所の業務でどのように活かされていますか?
稲永:設計事務所から上がってきた図面を「精査する目」が持てることですね。「この設備は少し過剰じゃないか」「こっちのシステムの方がランニングコストを抑えられる」といった判断が、前職の知識をベースに自分でできます。
また、補助金を戦略的に活用して、市の負担をいかに減らしつつ高品質なものを作るかという「攻め」の姿勢も、民間時代の感覚が活きている気がします。
古賀:稲永さんは本当に知識が豊富で、隣で見ていていつも勉強になります。私のように自治体でキャリアをスタートさせた人間にとっては、民間のスピード感やコスト感覚を間近で学べるのは大きな刺激になりますね。

未経験からプロへ。若手を支える「ジョブコーチ制度」
ー古賀さんは「ジョブコーチ制度」で稲永さんの指導を受けたそうですね。
古賀:はい、入庁1年目の時は稲永さんが私のジョブコーチでした。建築学科卒とはいえ、実務は全くのゼロでしたので、図面の読み方から現場での振る舞いまで、稲永さんに叩き込まれました。
稲永:当時は新卒でしたから、技術的なこと以上に「社会人としての責任感」を伝えたいと思っていました。「これはバイトじゃないんだからね」と、時には厳しいことも言いました。
冬の凍えるような寒さの中、一緒にプールに入って配管を切る作業をしたこともありましたね。あれはきつかったけど、良い思い出です(笑)。
古賀:あの時の厳しさがあったからこそ、今の自分があると思っています。今では稲永さんが管財課に来られたので、業務の流れについては私の方が詳しい部分もあり、お互いにフラットに意見を出し合える関係になれました。

ーまさに理想的な師弟関係ですね。職場の雰囲気はいかがですか?
稲永:とにかくアットホームです!建築技師のメンバーはみんな仲が良く、常に笑いが絶えません。実は毎年のストレスチェックでも、私たちのチームはほとんどのメンバーが「ストレスなし」という驚きの結果が出ているんです(笑)。それくらい、風通しが良く、相談しやすい環境ですね。
古賀:私もそう思います。上下関係はしっかりしつつも、意見を否定されることはありません。若手のうちから裁量を持って仕事を任せてもらえるので、成長を実感しやすい職場だと思います。

「ストレスフリー」を支える充実のワーク・ライフ・バランス
ー残業や休日についても、民間時代とは異なりますか?
稲永:驚くほど違います。民間時代は夜遅くまで図面を引くのが当たり前でしたが、今は自分でスケジュールをコントロールできるので、残業は格段に減りました。有給休暇も年間20日しっかり付与され、業務の都合さえつければ、誰に気兼ねすることなく取得できます。
古賀:休みに関しては、本当に恵まれていると感じます。私自身、昨年子どもが生まれた際に2ヶ月間の育児休暇を取得しました。男性の育休取得に対しても周囲の理解が非常に深く、「しっかり休んでこいよ」と送り出してくれました。
夏季休暇も6日間ありますが、夏休み期間中は学校の工事が重なり非常に忙しいため、その時期を避けて7月や9月に取得することが多いですね。業務の状況に合わせて、自分に最適なタイミングで休みを組み込めるのはありがたいです。
ー最後に、春日市の建築技師を目指す方へメッセージをお願いします。
稲永:春日市は、自分のアイデアや技術が「形」になり、それが市民の皆さんの喜びとしてダイレクトに返ってくる場所です。ストレスフリーな環境で、腰を据えて建築の仕事を楽しみたい方には、これ以上ない職場だと思います。ぜひ、私たちと一緒に春日市の未来を作っていきましょう!
古賀:建築のプロとして成長できる環境は整っています。私自身、最初は事務職として採用されましたが、今では建築担当としてしっかり頑張ることができています。やる気次第でいくらでも活躍のチャンスがある街なので、新しい仲間に出会えることを心から楽しみにしています!

ー本日はありがとうございました。
「この職場のメンバーは、みんなストレスチェックの結果が“ゼロ”なんです」と笑い合うお二人の姿に、こちらまで心が温かくなるような取材でした。
学校の子どもたちのために、あるいは地域のお年寄りのために。その視線の先には、常に「人」がいます。冷たいコンクリートの壁を建てるのではなく、人々の温かな体温が通う場所を、彼らは守り続けているのです。
戦略的な視点と、地域への深い愛着。春日市の建築担当には、技術者としての誇りと、一人の人間としての優しさが満ちていました。
取材・文:パブリックコネクト編集部(2026年3月取材)



