大都会での救急最前線で6年間のキャリアを積み、故郷・沖縄、そして宮古島市へと転職した洌鎌さん。現場で多くの現実に直面する中で導き出した答えは、「大切な家族のそばで、島を守ること」でした。
専門特化から、救急・消火・救助の全てを担う「オールマイティ」へと変わる仕事のやりがい、全国から経験者が集まる温かな職場、そして美しい海での訓練。宮古島市消防本部でしか味わえない、消防士としての新たな人生に迫ります。
消防士を志した原点と、東京での6年間
ーまずは洌鎌さんのこれまでの経歴と、消防士を志したきっかけを教えてください。
洌鎌:沖縄市の出身です。学生時代はハンドボールに打ち込み、地元の高校では全国大会にも出場しました。
消防士を目指した原体験は、小学校低学年の頃にあります。当時、弟が突然呼吸停止に陥り、救急車で運ばれるという出来事がありました。目の前でテキパキと処置をし、弟の命を繋いでくれた救急隊の姿が、子ども心に猛烈に「かっこいい」と焼き付いたんです。
最初は放射線技師にも興味がありましたが、「現場の最前線で活動したい」という思いが勝り、博多の専門学校で救急救命士の資格を取得しました。
ー専門学校卒業後、一度東京消防庁に入庁されたのはなぜですか?
洌鎌:正直に言えば、地元の試験に落ちてしまったという経緯もあります(笑)。ですが、東京消防庁から合格をいただいた際、先輩から「東京は事案数が圧倒的に多く、救急の最前線で揉まれることができる。そこで得られる経験は一生の財産になる」と背中を押され、東京での挑戦を決めました。
東京での6年間は、まさに怒涛の日々でした。非常にハードな現場の連続でしたが、一つひとつの経験が自分をプロの消防士へと成長させてくれました。非常にやりがいを感じていましたし、誇りを持って仕事をしていましたね。

決断の理由は「家族」―東京から宮古島へ
ー充実していた東京でのキャリアを離れ、宮古島市への転職を決めた理由は何だったのでしょうか?
洌鎌:きっかけは、一昨年に宮古島で暮らしていた祖父が亡くなったことでした。祖父の他界後、90歳を超える祖母が一人暮らしになり、それがずっと気がかりで。
東京での活動中、高齢者の方が自宅で誰にも看取られずに亡くなっている現場に何度も立ち会いました。そのたびに「自分の家族には、絶対にこんな思いをさせたくない」と強く感じていたんです。
ちょうどその時期に宮古島市の採用試験があることを知り、「今、自分が帰らなければ後悔する」と直感し、転職を決意しました。
ー実際に宮古島市の試験を受けてみて、いかがでしたか?
洌鎌:働きながらの受験だったので、トレーニング時間の確保には苦労しました。試験内容は、筆記試験のほかに、1500メートル走や懸垂、立ち幅跳びといった体力試験、そして面接です。
体力面では少し不安もありましたが、何よりも「この島で祖母を見守り、地域に貢献したい」という揺るぎない覚悟がありました。その想いを面接でしっかり伝えられたことが、合格に繋がったのだと感じています。
ー転職して、生活はどのように変わりましたか。
洌鎌:一番は、念願だった祖母の近くにいられるようになったことです。今は祖母の家から1キロも離れていない場所に住んでいるので、頻繁に顔を出せます。昨日も行ったのに、「最近来ないねえ」なんて言われることもありますが(笑)、そんな何気ない日常の会話ができることが、何よりの幸せですね。

島を守る「オールマイティ」な使命感
ー宮古島市消防本部の組織体制や、現在の具体的な仕事内容を教えてください。
洌鎌:消防署が一つと、出張所が二つという体制です。私が所属する本署の建物は、2階が日勤の職員がいる本部、1階が24時間勤務の署員が待機する場所になっています。
第二警備係として、救命活動に必要な資器材や薬剤、注射器などの在庫管理もメインで担当しています。
ー仕事の進め方において、以前の職場との違いはありますか?
洌鎌:大規模な組織では救急隊や消火隊と役割が分かれていましたが、宮古島では全員が「オールマイティ」であることが求められます。救急、火災、救助のすべてをこなし、さらには水難救助として海に入ることもあります。
一人で何役も担うため責任は重大ですが、その分、消防士としての幅が格段に広がる手応えがありますね。

ー1日のスケジュールや出動の状況など、日々の活動について教えてください。
洌鎌:朝8時30分に出勤し、車両の前で前の隊と「大交代」を行い、点検から一日が始まります。その後はミーティングで申し送り事項を共有し、午後は訓練に充てることが多いですね。
昨日は13時から20時までみっちりと訓練をしていましたが、班のみんなで「体力を練成しよう」という前向きな雰囲気があり、楽しみながら取り組めています。
出動件数は日によって波がありますが、昨日は10件ほど、多い日ではそれ以上になることもあります。宮古島は高齢者が多いため転倒事案が目立ち、夏場は熱中症の対応も増えます。
一方で、以前の職場に比べて飲酒絡みの要請が少ないのには驚きました。島の方はお酒に強いのか、あるいは「これくらいでは呼ばない」という精神なのかもしれませんが(笑)、そんな地域性の違いを感じるのも、この島で働く面白さの一つかもしれません。
ー宮古島ならではの訓練や、活動の特徴はありますか?
洌鎌:やはり、海に関連する事案や訓練が多いことですね。潜水訓練では、実際に海に潜りますが、その透明度の高さには、何度潜っても感動します。これほど美しい海を守っているんだという実感が湧きますし、宮古島で働く消防士にしか味わえない特別な経験だと思います。
また、日々の訓練も「班のみんなで楽しく高め合おう」という雰囲気があります。昨日はたまたま13時から20時までみっちり訓練しましたが(笑)、きつい中でも笑いがあり、チームワークの強さを感じます。

全国からプロが集う、フラットで温かな職場
ー職場の雰囲気や、人間関係について教えてください。
洌鎌:実は宮古島市消防本部には、私と同じように全国の消防本部から転職してきた先輩方がたくさんいるんです。船橋や相模原、名古屋、東京消防庁……。日本各地で経験を積んできたプロフェッショナルが集まって、それぞれのノウハウを持ち寄り、「宮古島の消防をより良くしていこう」と切磋琢磨しています。
ー上下関係が厳しい、というイメージもありますが。
洌鎌:宮古島に関しては、全然そんなことはないですね。非常にフラットです。階級の上の先輩とも気兼ねなく話せますし、分からないことがあれば、たとえ日勤帯の先輩でも丁寧に教えてくれます。
沖縄の人はお酒好きな人が多いというイメージがあるかもしれませんが、ここでは全く強要されませんし、飲まなくてもその場に馴染めるような、優しくて温かい人ばかりです。この人間関係の良さは、宮古島市消防本部の大きな魅力だと思います。

最高のワークライフバランスと、未来の仲間へ
ー休日やワークライフバランスについてはどう感じていますか?
洌鎌:働き方は、24時間勤務(当番)のあと、非番(勤務明け)、公休(休み)という3交代制のサイクルです。月に10回ほど出勤すれば、あとは自分の時間なので、プライベートは格段に充実しています。
非番や休日は、自宅の近くの海へ行っています。3月でも日焼けをするくらいの日差しなんですよ。海に入って泳いだり、時にはウミガメを見たりすることもあります。
都会の喧騒を離れ、この大自然の中でリフレッシュできる時間は、何物にも代えがたいですね。
ー最後に、宮古島市消防を目指す方へメッセージをお願いします。
洌鎌:消防士という仕事は、時に悲惨な現場に立ち会うこともあり、精神的・体力的に厳しい側面もあります。ですが、宮古島にはそれを支え合える最高の仲間がいます。市民の方から「ありがとう」と声をかけていただいたり、子どもたちが救急車を見て目を輝かせている姿を見ると、この仕事を選んで本当に良かったと思います。
最近は庁舎も改装され、仮眠室が個室になったりと、職場環境もどんどん進化しています。女性の採用にも力を入れているので、これからさらに多様な仲間が増えていくはずです。
宮古島の美しい海を守りたい、この島の人々の力になりたいという熱い想いを持っている方、ぜひ一緒に働きましょう!

ー本日はありがとうございました。
東京での華々しいキャリアを捨て、一人暮らしの祖母のために島へ戻る。洌鎌さんの語る言葉には、消防士としての「強さ」だけでなく、家族を想う「優しさ」が満ち溢れていました。
都会の最前線で直面した孤独死という課題を胸に、今、彼は宮古島の美しい青い海と、そこに住む人々の平穏を守っています。
技術や経験はもちろん大切ですが、根底にあるのは「誰かのために」というシンプルな想い。そんな温かな志を持ったプロたちが集う宮古島市消防の未来は、きっとこの海のように明るく澄み渡っています。
取材・文:パブリックコネクト編集部(2026年3月取材)



