海と山に抱かれた、穏やかな時間が流れる神奈川県葉山町。
御用邸のある落ち着いた佇まいと、どこか開放的な潮風が混じり合うこの場所で、「公務員」という仕事を選んだ二人の若手職員がいます。民間企業でのキャリアを経て、なぜこの町で働くことを決めたのでしょうか。
そこには、「安定」という言葉だけでは語りきれない、仕事への情熱と、葉山町ならではの豊かな暮らしがありました。
今回は、民間企業から葉山町役場へ転職した辻さんと川船さんに、入庁のきっかけから、仕事内容、そして劇的に変わったというワークライフバランスまで、素直な言葉で語っていただきました。
公務員という働き方の新しい可能性が、ここにはありました。
民間企業から公務員へ。二人が葉山町を選んだ理由
ーまず、お二人が葉山町役場に入庁されるまでのご経歴を教えてください。
辻:私は石川県の出身で、大学までずっと石川県で過ごしました。大学では生物学を学び、将来は農業関連の仕事に就きたいと考えていました。卒業後は、地元の石川県で農薬や肥料といった農業用資材を扱う企業に就職し、営業として2年ほど働きました。その後、ライフステージの変化に伴い神奈川県へ引っ越すことになり、県内のさまざまな市町村を検討した結果、葉山町で働くことを決意し、今に至ります。

川船:私は東京で生まれ、2歳の時に葉山町へ引っ越してきました。大学を卒業するまでこの町で育ちました。大学卒業後は、都内のハウスメーカーに就職し、物流センターや介護施設、工場などの建設を請け負う営業職として3年間勤務しました。その後、地元である葉山町に戻り、地域に貢献したいという思いから公務員への転職を決意しました。現在、入庁して3年目になります。
ー辻さんは石川県のご出身とのことですが、神奈川県内の数ある自治体の中から、葉山町を選ばれたのはなぜだったのでしょうか。
辻:横浜のような都会的な場所には少し気後れしてしまい、落ち着いた環境を探していました。いくつかの町や市を実際に見て回る中で、葉山町が自然環境の保全に力を入れていることを知り、個人的に家族と自主的に海岸のゴミ拾いをしていた経験もあったため、その姿勢に強く共感したのが大きな理由です。
町を巡り、カフェに立ち寄ったときにも、町の温かい人々の雰囲気に触れました。そうした経験の積み重ねから、自然が豊かで、人も温かく、歴史もあるこの町で働きたいと強く思うようになりました。

ーお二人とも民間企業の営業職を経験されていますが、転職活動の際は公務員一本に絞っていたのでしょうか。
辻:最初は公務員と民間企業の両方を視野に入れていました。しかし、前職の営業を経験する中で、自分の性格的に営業は向いていないと感じたんです。もちろん、自分が心から良いと思える商品を相手のために勧めることは好きでしたが、会社のために数字を追い求めることに心苦しさを感じていました。
自分のためではなく、人のために働くことにこそやりがいを感じるということが、営業を経験して明確になったんです。そこで、より直接的に人々のために働ける公務員という道に絞って活動することに決めました。
川船:私も転職活動をはじめた当初は、民間企業も含めて幅広く検討していました。ただ、プライベートでキャンプやスノーボードといったアウトドアな趣味があり、以前から地方創生に興味を持っていました。自分が育った町で、地域の方々の意見を汲み取り、行政に反映させる経験を積みたいと考えました。
町民の方々に支えられて育ってきた恩返しの意味も込めて、地元の公務員になることを決意しました。

想像とは違った?入庁して感じた「役場」のリアルな姿
ー入庁前に抱いていた公務員や役場のイメージと、実際に入庁してからの印象に違いはありましたか。面接の雰囲気なども含めてお伺いしたいです。
川船:前職では仕事柄、多くの役所を訪れる機会がありましたが、正直なところ、どこの役所の職員の方も少し堅い印象を持っていました。しかし、葉山町役場は全く違いました。
住民票の手続きなどで訪れた際に、職員の方々がとても温かく、親身に対応してくれたのが印象的で、「本当に公務員なのだろうか」と良い意味で驚いたのを覚えています。その柔らかい雰囲気は、民間企業の良さと公務員の誠実さを兼ね備えているように感じました。
面接は1次と2次は採用担当の方々が中心で、とてもフランクな雰囲気で、リラックスして自分の考えを話すことができました。最終面接は町長や副町長も同席され、緊張感が一気に高まったことを覚えています。

辻:私も最終面接ではとても緊張したことを覚えています。職員の方が「緊張しなくていいよ」と優しく声をかけてくださり、とても話しやすい雰囲気でした。ここでなら楽しく働けそうだと感じました。
入庁前の公務員のイメージは、やはり「お堅い」というものでした。しかし、実際に入庁してみると、誠実で真面目な方が多いのはもちろんですが、想像以上に主体的に仕事に取り組んでいる方が多いことに驚きました。
前職の営業は個人戦の側面が強かったですが、役場ではチームで協力し合う文化が根付いており、分からないことがあっても一人で抱え込まずに相談できるので、精神的に落ち着いて仕事ができています。
ー入庁してからこれまでの仕事で経験された挫折や、乗り越えることが大変だった壁はありましたか。
辻:入庁1年目の時に、ある契約業務を任されたのですが、それが一番大変でした。様式が大きく変わるタイミングだったため、過去の資料を参考にすることも難しかったのです。
自分の知識不足で周りに迷惑をかけているという申し訳ない気持ちでいっぱいになり、精神的にとても辛かったです。それでも、自分で必死に調べ、何度も質問を重ねることで、何とか決裁を取ることができました。あのときの経験は、今でも忘れられない大きな壁でした。
川船:私の場合は、前職がテレワーク中心で、資料の共有なども全てオンラインで行う環境だったため、入庁当初は紙文化に慣れるのに苦労しました。もちろん、最近は電子化が進んできていますが、当時はまだまだ紙での決裁が多く、書類を読み込んだり管理したりするのに時間がかかってしまいました。

「心身ともに健康に」劇的に変わったワークライフバランス
ー民間企業から公務員に転職されて、ワークライフバランスに変化はありましたか。
川船:劇的に改善されました。前職では朝早くに会社へ行き、帰宅は夜遅くになることも多々あるという生活を毎日送っていました。休日もお客様や上司から電話がかかってきて、心から休まる時間がありませんでした。
しかし、今は基本的に夕方6時過ぎには家に帰ることができ、ちゃんと食事をとり、ジムに通う時間もできました。休日は仕事のことを気にせず、完全にリフレッシュできています。心身ともに健康的な生活を送れていると実感しています。
辻:神奈川県に来て、プライベートの楽しみが増えました。石川県にいた頃よりも、コンサートなど様々なイベントに参加する機会が増え、充実した休日を過ごせています。

ただの「職場」じゃない。葉山町で働くことの本当の魅力
ー働く場所としての「葉山町役場」の魅力は何だと思いますか。
辻:葉山町役場は規模が小さい分、職員同士の距離が近く、他の課の業務についても自然と知る機会が多いのが魅力だと思います。一人で担当する業務が多い分、責任感も増しますが、その仕事をやり遂げた時の達成感や自信は、大きなやりがいになっています。
川船:他の自治体と比べて、葉山町の職員は温厚で人当たりの良い方が多いと感じます。
職員同士の人間関係も非常に良好で、忙しい時でも誰かが質問すれば、一度手を止めて親身に話を聞いてくれる文化があります。こうした風通しの良さは、働くうえでのストレスを大きく軽減してくれています。自分も後輩ができたら、同じように丁寧に向き合いたいと思える、良い連鎖が生まれている職場だと思います。
自然と人が織りなす、この町だけの特別な魅力
ー最後に、お二人が感じる「葉山町」の魅力について教えてください。
川船:葉山町の魅力は、昔からあるものを大切に残しながら、現代の暮らしに合う形で調和させている点だと思います。「葉山小道」のように、昔ながらの風景を保全しつつ、人々が安全に歩けるように整備されていますが、道を無理に広げたりはしません。それは、この町に住む人々自身が、昔ながらの景観を守りたいという強い意志を持っているからです。
暮らしやすさだけを追求するのではなく、「自然と共に生きる」という価値観が町全体に根付いているように感じます。電車が通っていなかったり、不便な面もありますが、それ以上に、この町でしか感じられない豊かな時間や人々の温かさがあります。そうした不便さをも愛せるのが、葉山町の最大の魅力ではないでしょうか。

辻:葉山町は「住みやすさ」という尺度だけでは測れない魅力に溢れているということです。電車がないなど、他の市町村に比べれば不便な点もあるかもしれません。しかし、それでも多くの人がこの町に集まってくるのは、葉山を心から愛している人が多いからだと思います。
それは住民の方々だけでなく、私たち職員も同じです。葉山が好きだから、この町をもっと良くしたいという共通の思いを持って、日々仕事をしています。住民と行政が同じ方向を向いて、町の未来を考えていける。そんな一体感が、この町の何よりの魅力だと感じています。
―今日はありがとうございました。
民間企業での経験を経て公務員という道を選ばれた辻さんと川船さん。お二人の言葉からは、「安定」という一般的な公務員のイメージを超えた、この町への深い愛情と、仕事への真摯な思いが伝わってきました。
特に印象的だったのは、葉山町役場の温かくフランクな雰囲気です。「本当に公務員なのだろうか」と良い意味で驚いたという川船さんの言葉や、面接でのリラックスできる環境、そして「わからないことがあっても一人で抱え込まない」風通しの良い職場文化は、行政の誠実さと民間企業の柔軟さが調和した、葉山町役場ならではの魅力なのかもしれません。
「心身ともに健康に」というワークライフバランスが改善したというエピソードは、誰かのために働く公務員という仕事が、働く人自身の豊かさにもつながっていることを教えてくれました。
自然と歴史を大切にし、「不便さをも愛せる」と語る町民と職員の一体感こそが、葉山町の特別な魅力。
この町で働くことは、ただの職務ではなく、豊かな自然の中で自分らしい生き方を見つけることなのだと、強く感じた取材でした。
取材・文 パブリックコネクト編集部(2025年9月)



