「自分に何ができるだろう」――。
高校時代、未曾有の豪雨災害が故郷を襲いました。泥をかき出しながら目にした、変わり果てた街の景色。その時、一人の若者が胸に抱いたのは「この街のために、自分にも何かできることはないか」という切実な想いでした。
今回は、人吉市役所の復興建設部で土木技師として働く𠮷田さんにお話を伺いました。父の背中を追い、地元を愛し、技術で未来を切り拓く𠮷田さんの言葉から、人吉市で働くことの本質的な意義と魅力が見えてきました。
- 故郷を襲った豪雨災害が、進路を決める大きな転機に
- 計画から完成まで、全てに携わる「土木技師」の醍醐味
- 高卒入庁でも安心。成長を支えるマンツーマンの教育体制
- 賑やかな職場と、充実したオフタイムが生む仕事の活力
- これから共に歩む仲間へ。人吉市が持つ無限の可能性
故郷を襲った豪雨災害が、進路を決める大きな転機に
ーこれまでの経歴や、土木の道を目指したきっかけを教えてください。
𠮷田:生まれは大分県ですが、3歳の頃に人吉市へ移り住んだので、育ちはずっと人吉市です。父が国の公務員として土木の仕事をしていたこともあり、幼い頃からその働く背中を見て育ったのが、この道に興味を持った最初のきっかけですね。
地元の農業高校に進学した際も、実習が多くて楽しそうな雰囲気に惹かれて農業土木を専攻しました。
ー大学進学ではなく、就職という道を選んだ決め手は何だったのでしょうか。
𠮷田:一番の理由は、早く社会に出て自分の実力を試したいという挑戦心があったからです。進学も考えましたが、やりたいことが定まらないまま4年間を過ごすよりも、現場で技術を磨く方が自分には合っていると感じました。
そして何より、決定的な転機となったのが令和2年7月の豪雨災害です。
高校3年生だった私は、ボランティアとして被災現場へ向かったのですが、慣れ親しんだ街並みが泥に埋まり、友人の家が被害を受けている光景を目の当たりにして、言葉が出ないほどショックを受けました。
その時に、「この大好きな街のために、自分にも何かできることはないか」という切実な思いが湧いてきたんです。その漠然とした、でも放っておけない感情が、地元の市役所を目指す一番の動機になりました。
計画から完成まで、全てに携わる「土木技師」の醍醐味
ー現在は復興建設部道路河川課に所属されていますが、具体的にはどのようなお仕事をされているのですか?
𠮷田:建設係として、主に市道の改良工事を担当しています。まず、どのような道路が必要かという計画を立てることから始まり、図面を引く設計、必要な費用を算出する積算、そして予算を確保するための手続きを行います。
その後、関係する地権者の方々への用地買収の交渉やスケジュール調整を行い、ようやく工事の発注、業者さんとの契約へと進みます。
工事が始まれば、現場監督として設計通りに進んでいるか厳しくチェックし、最後に完成検査を行って、ようやくその道路が市民の皆さんに開放されます。
ー特にやりがいを感じる瞬間はどのような時ですか?
𠮷田:やはり「地図に残る仕事」だという点です。土木の仕事は、完成すれば何十年もその地に残り続けます。自分が関わった道路を多くの車が走り、人々が笑顔で行き交う姿を見ると、「この街のために働けているんだ」という実感が湧いてきます。
最近では、落石の危険がある場所を防ぐ法面対策工事を担当しました。非常に難易度が高く、金額も大きな案件でしたが、地域の安全を直接守る仕事に携われていることに、深い意義を感じています。
自分が守ったこの斜面が、誰かの大切な日常を支えている。そう思うと、自然と身が引き締まります。

高卒入庁でも安心。成長を支えるマンツーマンの教育体制
ー 土木技師として働く上で、やりがいだけでなく、プロとして求められる「厳しさ」や大変さを感じるのはどのような時ですか?
𠮷田:入庁して終わりではなく、常に専門知識をアップデートし続けなければならない点ですね。特に高卒で入庁した当初は、知識が追いつかずに苦労しました。
例えば「舗装版破砕(ほそうばんはさい)」の計算すらままなりませんでしたし、「上層路盤(じょうそうろばん)」といった土木の基本中の基本である専門用語すら知りませんでした。
現場で飛び交う言葉が理解できず、最初は本当にゼロからのスタートで、プロの壁の厚さを痛感しました。
ー 𠮷田さんは高卒で入庁されましたが、そこからどのようにして専門知識を習得していったのですか?
𠮷田:1年目はとにかく先輩に付いて現場に行き、実務を一つひとつ教えてもらう毎日でした。まずは現場の空気に慣れることから始めたんです。
2年目からは、1年目の経験をベースに、先輩に補助してもらいながら少しずつ自分で仕事を動かすようにしていきました。
3年目の今、ようやく一人で任せてもらえることが増えてきましたが、今でも「現場で学び、知識を深める」という姿勢は欠かせません。
ー 若手の成長を支えるための仕組みとして、最近新しい制度も導入されたそうですね。
𠮷田:はい。「トレーナー制度」というマンツーマンの指導体制が始まりました。私が入庁した頃にはまだなかったのですが、昨年、私は教える側のトレーナーとして後輩を担当しました。
人に教えるというのは、自分自身がしっかり理解できていないと務まりません。「なぜこの工程が必要なのか」「この数字にはどんな意味があるのか」を後輩に説明することで、私自身が改めて土木の基本に立ち返る素晴らしい機会になりました。
相手が理解してくれた時の喜びや、後輩が一人で現場を回せるようになっていく姿を見るのは、自分の仕事が進むのと同じくらい嬉しいものでしたね。

賑やかな職場と、充実したオフタイムが生む仕事の活力
ー職場の雰囲気について教えてください。公務員というと「堅い」イメージを持たれる方も多いですが、実際はどうですか?
𠮷田:良い意味で、そのイメージはすぐに裏切られると思います(笑)。人吉市役所の土木課は、とにかく賑やかで個性派揃いです。
仕事の話はもちろんですが、世間話や笑い声が絶えない明るい職場ですね。上下関係も良い意味でフランクで、部長や課長とも気さくに話せる風通しの良さがあります。
ー休日の過ごし方や、ワークライフバランスはいかがですか?
𠮷田:休日はしっかり休んでリフレッシュしています。人吉は「人吉温泉」が有名なので、温泉に入って一週間の疲れを癒すのが至福のひとときです。最近はおしゃれなカフェも増えてきたので、同僚とカフェ巡りをしたり、美味しいご飯を食べに行ったりしています。
また、部活動がとても盛んなのも人吉市役所の特徴です。私は野球部、ソフトボール部、バレーボール部の3つを掛け持ちしています。週に一度の練習や大会を通して、普段の業務では関われない他部署の職員とも繋がれるので、人脈が広がって仕事もしやすくなりました。
ーお仕事が忙しい時期もあるかと思いますが、休暇は取りやすいですか?
𠮷田:土木技師の仕事は災害対応とも密接に関わっています。雨が降りやすい6月から9月頃は、天候を予測しながら緊張感を持って備える必要があります。
大雨の際は夜間に出動することもありますが、それは【市民の皆さんの命を守るための最前線】だという誇りがあるので、苦にはなりません。
その分、業務の調整さえつけば休暇は自由に取得できます。私は昨年、5日間の夏季休暇に土日を組み合わせて大型連休を確保し、しっかりリフレッシュすることができました。
先輩たちが積極的に休みを取ってくれるので、若手も遠慮なく休みを申請できる。そんな「休むときは休む、やる時はやる」というメリハリのある文化が、高いパフォーマンスを支えているのだと感じます。

これから共に歩む仲間へ。人吉市が持つ無限の可能性
ー最後に、人吉市での土木技師を目指す方々へメッセージをお願いします。
𠮷田:土木技師の仕事は、決して華やかなことばかりではありません。泥まみれになり、図面と格闘し、時には地権者の方と粘り強く交渉することもあります。
しかし、自分が担当した道路が無事に完成した時の喜びはひとしおです。
人吉の豊かな自然と温かな仲間に囲まれて、私たちと一緒に、次世代に誇れる街を作っていきませんか?皆さんの挑戦を、心からお待ちしています!

ー本日はありがとうございました。
𠮷田さんの言葉の端々から、故郷・人吉市への深い愛情と、土木技師としての清々しいプライドが伝わってきました。特に令和2年の豪雨災害について語る時の、真剣な眼差しが印象的でした。
「自分が引いた線が、人々の生活を支える道になる」。その言葉通り、𠮷田さんは技術を武器に、人吉市の新しい明日を一歩ずつ着実に形にしています。
若き技術者の情熱が、この街をより強く、より優しく再生させていく。そんな確かな希望を感じるインタビューでした。
取材・文:パブリックコネクト編集部(2026年2月取材)



