「病気になる前の『予防』に関わりたい」という想い。その専門知識や経験を、もっと地域に広く活かす道はないだろうか。
9年間、看護師としてキャリアを重ねてきた永浦さんも、大学生の頃からそんな想いを胸に秘めていました。しかし、結婚や出産を経て、多忙な日々の中で保健師への道は一度遠のいてしまいます。転機となったのは、何気なく手に取った広報紙で見つけた保健師募集の知らせ。「今しかない!」。そんな想いで飛び込んだ挑戦が、新たなキャリアの扉を開きました。
なぜ、長年の臨床経験を経て保健師の道を選んだのか。看護師経験が強みとなる瞬間、そして生まれ育った登米市で「顔の見える関係」を築きながら働くやりがいとは。地域に深く根ざし、人々の人生に寄り添う保健師の仕事の魅力に迫ります。
- 看護師から保健師へ。地元・登米市で働くことを選んだ理由
- 地区担当制が魅力!市民の暮らしに寄り添う登米市の保健師活動
- 顔の見える関係が力に。人生に長く寄り添う仕事のやりがいと責任
- 仕事も子育ても諦めない。自分で作るワークライフバランス
- 未来の仲間へ。「楽しい」を一緒に作りませんか?
看護師から保健師へ。地元・登米市で働くことを選んだ理由
-まずは、これまでのご経歴と、保健師を目指されたきっかけについて教えてください。
永浦:出身は登米市で、高校・大学は仙台方面に進学しました。もともとは看護師に憧れていたということもあり、宮城大学の看護学部に入りました。
小さい頃、よく耳鼻科に通っていたのですが、そこの看護師さんがとても優しくしてくれたことが憧れに繋がったのだと思います。
-もともとは看護師を目指していたのですね?
永浦:そうなんです。保健師という仕事は大学に入ってから知りました。病気になる前の「予防」という観点にすごく惹かれましたね。祖父が要介護になった時も、病院よりも自宅で過ごしている方が生き生きしていたのを見て、地域で人々を支える仕事の重要性を感じていました。
保健師になりたいと思う一方で、まずは看護師として一人前になりたいという気持ちも強く、大学卒業後は仙台の病院に3年、その後近隣の市の病院で9年、合計12年間看護師として勤務しました。
-12年間看護師として勤めていたのですね。最初の転職では保健師を目指さなかったのですか?
永浦:もちろん保健師という選択も考えていましたが、地元に戻ってきたタイミングでは保健師の募集をしていなかったんです。
近隣の病院で看護師として働きながら改めて考えようと思っていたのですが、結婚と3人の出産を経験し、子育てに追われる毎日だったため、正直、しばらく保健師のことは考えられない時期が続いていました。
そんなある日、何気なく見ていた広報紙に保健師の募集が載っているのを見つけたんです。しかも、年齢制限を見たらギリギリで…(笑)「今しかない!」と思って、すぐに行動に移しましたね。
それで無事合格することができ、平成30年に入庁しました。今年で8年目になります。

-すごいタイミングだったのですね。登米市以外でも自治体保健師として働く選択肢はあったかと思いますが、やはり地元で働きたいという想いがあったのですか?
永浦:それは強かったですね。都会よりも、自分には田舎の方が合っていると感じていましたし、何より地元に貢献したいという想いがずっとありました。
また、自分自身が子育てで悩んだり迷ったりした経験から、気軽に相談できる保健師という存在が、地域にとってどれだけ必要不可欠なものかを痛感していました。予防的な観点から、この登米市で暮らす人々の健康を支えたい、そう強く思ったんです。
地区担当制が魅力!市民の暮らしに寄り添う登米市の保健師活動
-続いてはお仕事について聞かせてください。まず、登米市の保健師さんはどのような体制で活動されているのでしょうか。
永浦:私は現在、米山総合支所と南方総合支所を兼務し、南方地区を担当しています。登米市の大きな特徴は、この「地区担当制」と、業務ごとの担当者を決める「業務分担制」の両方を取り入れている点です。
自分の担当地区を持つことで、赤ちゃんからお年寄りまで、本当に幅広い年代の方と深く関われるのが大きな魅力ですね。健康な方はもちろん、何らかの支援を必要としている方まで、一人ひとりの暮らしに寄り添いながら、継続して健康を見守ることができます。
-担当業務としては、どのようなことをしているのでしょうか?
永浦:地区での個別相談に対応しつつ、業務分担としては主に「成人の健康診査」と「保健活動推進員さんの活動の推進」を担当しています。
健康診査では、受診票の配布から始まり、当日の運営、そして精密検査が必要になった方へのフォローまで、一貫して関わります。もう一つの保健活動推進員さんの活動の推進は、私たち保健師と地域とを繋ぐ、とても重要な仕事です。
-「保健活動推進員」さんとは、どのような方々なのですか?
永浦:各行政区から選ばれた住民の方々で、健康づくりを地域へ広めてもらっています。推進員さん向けの研修会を企画するのも私の大切な仕事ですね。推進員さんの活動の一つに、赤ちゃんが生まれたお宅に訪問してもらう「子育て応援訪問」という取り組みがあります。
これは、私たち専門職が行う「赤ちゃん訪問」とは別に、地域との繋がりを作ることを目的とした事業です。核家族化が進む中で、地域から孤立しがちなお母さんも少なくありません。
災害時などに「この家には赤ちゃんがいるんだ」と周りの人に知ってもらえているだけでも、大きな安心に繋がりますよね。推進員さんにチラシなどを持って訪問していただき、顔繋ぎをお願いしているんです。こうした地道な活動が、地域のセーフティーネットになっていると感じます。

顔の見える関係が力に。人生に長く寄り添う仕事のやりがいと責任
-これまでの経験の中で、特に印象に残っているお仕事はありますか?
永浦:本庁の健康推進課にいた時の、コロナ禍での経験です。登米市で発熱外来を立ち上げることになり、私が担当の一人になりました。市民病院において、ゼロから仕組みを構築していく過程は本当に大変でした。
まさに、何から手を付けていいかわからないという状況だったのですが、経験豊富な先輩保健師が、これまで築いてきた保健所との強いパイプを活かして「まずは保健所に話を聞きに行きましょう」と先導してくれたんです。
私も看護師としての経験から病院の内部事情を把握していたので、具体的な問診の流れなどを提案することができました。
あの時の経験は、顔の見える関係を地道に築いていくことの大切さを、改めて私に教えてくれました。無事に外来を立ち上げられた時の達成感は大きかったですね。
-チームで成し遂げたお仕事だったのですね。では、永浦さんが日々の業務の中で、保健師としてのやりがいを感じるのはどんな瞬間ですか?
永浦:本当に些細なことかもしれませんが、赤ちゃん訪問で会ったお子さんやお母さんが、次の乳幼児健診で元気に成長した姿を見せてくれた時ですね。訪問した時は不安でいっぱいだったお母さんが、健診で明るい笑顔を見せてくれた時は、自分のことのように嬉しくなります。
また、地域の健康教室に行けば、元気なおじいちゃんおばあちゃんから「あんた、体は大丈夫かい?」なんて、逆に私の心配をされることもあります(笑)
そんな地域の温かさに触れるたびに、この仕事をしていて良かったなと心から思います。

-逆に、この仕事の大変さはどのようなところに感じますか?
永浦:個別の支援に、明確な「終わり」がないところかもしれません。
病院なら、患者さんが元気になって退院するというゴールがありますが、保健師の仕事は、ご本人がまだ支援を必要としていない段階から関わり始め、お子さんだった方が成長し、また別の課題を抱えるというように、関わりが非常に長く続いていきます。
一人の人生にこれほど長く寄り添っていく仕事なのだと、その責任の重さに身が引き締まる思いでした。
-保健師として働く中で、看護師経験が活きていると感じることはありますか?
永浦:看護師を経験したことは私の大きな強みだと思っています。病気や薬に関する知識が基礎としてありますし、地域の病院と連携する際も、内部の動きがある程度わかるので、とてもスムーズに話を進めることができます。
もちろん、看護師としての経験が必須というわけではありません。臨床経験は保健師の仕事に活かせる大きな力になりますが、新卒から保健師としてキャリアを始めることでしか得られない学びや視点もたくさんあります。どちらの道であっても、保健師として活躍できると思います。
仕事も子育ても諦めない。自分で作るワークライフバランス
-働き方の面では、看護師時代と比べて変化がありましたか?
永浦:生活スタイルは大きく変わりましたね。一番大きな変化は、良くも悪くも平日に休みがなくなったことですね。平日に出かけられるという看護師時代の働き方も、個人的には気に入っていました(笑)
現在は基本的に土日はお休みなので、子どもとの時間は圧倒的に増えました。保健師になると伝えた時、子どもに「じゃあ、土日はお家にいるんだね!」と嬉しそうに言われたことは、今でも心に残っています。

また、病院勤務時代は、自分の時間を削って研修に参加することも少なくなかったのですが、今は業務として研修に行かせてもらえるため、とても助かっています。
子どもが小さい時に保健師になったので、自分の時間を犠牲にすることなく学び続けられる環境は、本当にありがたいです。

-お子さんの学校行事への参加や、急な体調不良の時などは、お休みを取りやすい環境でしょうか?
永浦:はい、休みの取りやすさは格段に上がりました。
訪問などの予定は自分で調整できる部分が大きいので、子どもの学校行事等については事前に調整することで気兼ねなく参加できます。
急な発熱などで休まなければならない時も、周囲の方に協力してもらったり、訪問先にご連絡して日程を調整していただくなど、柔軟に対応が可能です。日頃から住民さんと信頼関係を築けているからこそ、ご理解いただけることが多いですね。
未来の仲間へ。「楽しい」を一緒に作りませんか?
-保健師として働く上で、永浦さんが特に重要だと感じるスキルは何でしょうか?
永浦:やはり、初めてお会いする方にも心を開いてもらうための「コミュニケーションスキル」は不可欠です。そしてもう一つ、私が先輩たちの姿から学んだのが「構想を実現する力」です。
以前、働き世代の男性にアプローチしたいと思ったときに、私はどうすれば良いか分からずにいました。すると、先輩たちが「男性が集まる集団に声もかけてはどうか」と「どうやったら実現できるか」を具体的に考え始め、地域の消防団に協力を依頼するなど、みるみるうちに企画を実現することができたんです。
ただ「やりたい」と思うだけでなく、それを形にしていく実行力こそが、地域を良くしていく上で本当に重要なんだと学びました。
-永浦さんは、これからどんな方と一緒に働きたいと思いますか?
永浦:そうですね…私自身が「楽しく仕事をしたい」と常に思っているので、何事も一緒に楽しみながら前向きに取り組める人と働きたいですね!
例えば健康教室を企画する時も、「これをやったら住民の皆さんは喜んでくれるかな」「こうしたらもっと面白くなるんじゃないか」と、自分たちがまずワクワクしながら事業を進めていきたいと思っています。
保健師の仕事は大変なことももちろんありますが、それ以上に大きなやりがいと楽しさがある仕事です。そんな「楽しい」を一緒に作っていけるような仲間が来てくれたら嬉しいですね!

-本日はありがとうございました。
一つ一つの質問に、ご自身の経験を丁寧に、そして明るい笑顔で語ってくださった永浦さん。その穏やかな佇まいの中に、地域の人々の健康を支える専門職としての強い意志を感じました。
「『楽しい』を一緒に作りたい」と未来の仲間へ呼びかける永浦さんの言葉が、この仕事の持つ温かさとやりがいを何よりも物語っているように感じます。
取材・文:パブリックコネクト編集部(2025年10月取材)