「いつかは穏やかな瀬戸内海の島で暮らしたい」という中学生の頃からの夢を叶え、大都会・東京でのテレビ業界から遥か離れた小豆島・土庄町へと移住した蛯谷さん。北の大地・北海道札幌市から、東京での過酷なAD生活を経て、縁もゆかりもない小豆島へと辿り着いた蛯谷さんの決断の裏には、都会で感じた孤独感と、安定×移住をフックにすることで見事にリスクを相殺した、賢明で等身大なキャリア選択の物語がありました。
一歩踏み出したからこそ見えてきた、島ならではの温かい人間関係と、土庄町役場が持つ優しく柔らかな空気感、そして「移住×公務員」という掛け合わせがもたらす唯一無二の魅力について、飾らない言葉でたっぷりと語っていただきました。
- 運命の糸をたぐり寄せて。ドラマのロケ地として意識し続けた小豆島への憧れ
- 都会の喧騒と孤独の中で。東京でのAD生活を経て見つめ直した本当に生きたい人生の姿
- 「公務員×移住」という最適解。不安定な挑戦を安定した職種で支えるという選択
- 役場の中で息づく優しさと、島全体が「つながり」で満たされる温かい暮らし
- 「何をやるか」よりも「誰とやるか」。これから一歩を踏み出す未来の仲間へ
運命の糸をたぐり寄せて。ドラマのロケ地として意識し続けた小豆島への憧れ
ー蛯谷さんは北海道の出身と伺っていますが、そもそも、何がきっかけで小豆島という場所に興味を持たれたのでしょうか?
蛯谷:私の出身は北海道の札幌市なのですが、小豆島という存在を明確に意識し始めたのは、実は中学校の頃なんです。当時からテレビドラマを見ることがすごく好きだったのですが、たまたま自分が夢中になって見ていたドラマの舞台やロケ地が、小豆島や瀬戸内海の島々であることが何本か続けて重なったんです。
ードラマのロケ地が偶然にも小豆島周辺で続いたのですね。具体的にはどのような作品をご覧になっていたのですか。
蛯谷:一番最初に瀬戸内海っていいなと心を惹かれたのが、「海の上の診療所」というドラマでした。これは瀬戸内海の島々を巡る病院船を舞台にしたお話だったのですが、画面に映し出される島の景色が本当に素敵で、そこから瀬戸内海というエリア全体に憧れを持つようになりました。

その後、「Nのために」でも小豆島がロケ地となっていたため、小豆島の魅力にどんどん引き込まれていきました(笑)
そしてもう一作品、「表参道高校合唱部!」というドラマがあったのですが、その主人公が東京に転校してくる前に暮らしていた故郷が、まさに小豆島という設定だったんです。
自分が大好きだったドラマの背景に小豆島が関わっていることが多く、いつの間にか「小豆島」そのものに、漠然とした憧れのようなものを抱くようになりました。

ー観光や旅行で訪れたわけではなく、純粋に画面越しに映る景色や物語の背景として小豆島を好きになっていったのですね。
蛯谷:そうなんです。当時はまだ中学生だったので、実際に足を運んだことは一度もありませんでしたが、いつか絶対にこの島に行ってみたい、ここで暮らしてみたいという淡い想いを、ずっと胸の奥で温め続けていました。
ーその後、実際に小豆島を訪れることとなったのはいつ頃だったのでしょうか?
蛯谷:本当は大学一年生の春休みに一人旅で訪れようと計画していたのですが、ちょうど新型コロナウイルスの感染拡大の時期と重なってしまい、一度旅行を断念せざるを得なくなってしまいました。
そのため、ようやく念願が叶って初めて小豆島の地に降り立つことができたのは、大学三年生の春休みでした。初めて自分の目で見た小豆島は、これまで写真や画面越しに見て、想像をしていたとおり、本当に海や空の色合いが優しくて、淡くて、とにかく綺麗で感動しました。
気候も本当に穏やかで心地よい風が吹いていて、一瞬でこの島が大好きになってしまいました。

ー事前に憧れが大きかった分、イメージとは違っていたこともあったのではないですか?
蛯谷:事前に島の中をどう巡ろうか色々と調べてはいたのですが、実際に降り立ってみると、想像していたよりも遥かに島が大きかったですね(笑)
ドラマや観光案内などで出てくるのは、少し田舎の「島」を連想させる場所が多いのですが、島内には家電量販店やスーパー、生活に必要な都市機能がしっかりと揃っています。
私は当時、車は借りずに自転車で回れる範囲で旅をしたのですが、起伏も豊かで、島としての圧倒的な存在感と暮らしやすさのバランスが素晴らしいなと肌で感じていました。
都会の喧騒と孤独の中で。東京でのAD生活を経て見つめ直した本当に生きたい人生の姿
ー初めての旅行でさらに小豆島への想いが強くなったのですね。大学を卒業後は、すぐに移住を決断したのですか?
蛯谷:中学校の頃からテレビドラマが大好きだった延長で、将来は自分もドラマの制作に関わってみたい、エンターテインメントを作る側に行ってみたいという夢も抱いていました。
就職活動を意識し始めた時期には、小豆島での生活に憧れがあった一方で、メディア系やテレビ業界の世界を一度は自分の身体で経験しておきたいという強い思いもあったんです。
ー瀬戸内海への移住という夢と、テレビ業界で働きたいという二つの夢が、蛯谷さんの中で並行して存在していたわけですね。
蛯谷:はい、まさに瀬戸内海に住みたいという思いと、テレビ業界に飛び込みたいという思いが、自分の中で二本立ての柱としてずっと存在していました。
ただ、いざ現実の就職活動を目の前にした時に、瀬戸内海の島で暮らしたいけれど、そこで具体的にどうやって仕事を探し、どうやって生計を立てていけばいいのかが、当時の自分には全く分かりませんでした。
島での仕事事情が不透明だったからこそ、まずは仕事内容がハッキリと目に見えていて、自分のもう一つの大きな夢でもあったテレビ業界を東京で受けようと決めて、まずは都内のテレビ制作会社へと就職することにしました。
ー具体的にはどのようなお仕事をされていたのですか?
蛯谷:テレビ朝日系の番組制作を行う会社に入社することができまして、配属されたのは東京の六本木にあるオフィスでした。ただ、自分が本来希望していたドラマの制作ではなく、実際に関わることになったのはスポーツ中継の現場でした。
そこでいわゆるAD(アシスタントディレクター)として、本当に目まぐるしく忙しい日々を過ごしていました。
ー憧れの業界だったかと思いますが、実際の生活や仕事はいかがだったのでしょうか?
蛯谷:本音を包み隠さずにお話をしてしまうと、就職活動の時に業界への憧れが先行してしまい、自分の中で「メディア制作」という夢にエンジンがかかりきっていませんでした。そのため、仕事に対してどうしても強いこだわりを持ち続けることができませんでした。
スポーツ中継の現場を必死にこなしてはいましたが、そもそもの自分がやりたかったドラマ制作とは距離がありましたし、何よりもテレビ業界という、独特で多忙な生活を、自分が生涯にわたって続けていくイメージが、どうしても湧いてこなかったんです。
ー地元を離れた「東京」という環境も影響していたのでしょうか?
蛯谷:それも大きかったかもしれないですね。札幌にいた頃は、自分の周りに昔からの知人や友人がたくさんいたので、寂しさや孤独感なんて一度も感じたことがありませんでした。
それが、「都会でやっていくぞ」という思いで意気込んで東京に引っ越してみると、街には信じられないほど人が溢れているのに、誰一人として自分とはつながっていないという、強烈な人のつながりの薄さを痛感したんです。
自分のこれからの長い人生をどうステップアップさせていくべきかを真剣に見つめ直した時に、温かくて穏やかな瀬戸内海で暮らしたいという想いが再燃しました。
「公務員×移住」という最適解。不安定な挑戦を安定した職種で支えるという選択
ーそこからどのようにして、「土庄町役場」という選択肢にたどり着いたのですか?
蛯谷:実は、当時は役場という選択は全く考えていませんでした。どうしても「面白くなさそう」というイメージを持っていたんです(笑)
ただ、移住という視点で考えてみると、役場であれば安定して働くことができますし、何よりも小豆島のことを知ることができる理想的な仕事かもしれないと思うようになりました。
ー移住のための選択肢だったのですね。多忙な生活の中、試験対策などはどのようにされたのですか?
蛯谷:これも土庄町役場を選んだ一つの理由ですが、たまたま私が受験した年から、土庄町役場の採用試験が変わりました。いわゆる公務員試験が廃止され、Web形式の適性検査に変更されたんです。
AD業務に追われながら公務員試験対策をすることはできないと思っていたのですが、適性検査なら自分にもチャンスがあるかもしれないと思い、その勢いのまま一気に応募へと踏み切りました。

役場の中で息づく優しさと、島全体が「つながり」で満たされる温かい暮らし
ー現在はどういった業務に携わっているのでしょうか?
蛯谷:現在は総務課の人事給与担当に所属しています。主な業務としては、役場で働いている会計年度任用職員の毎月の給与計算や、ボーナスにあたる期末勤勉手当の支給処理といった、お金に関する事務全般を担当しています。
基本的には、パソコンと向かい合いながら数字を管理するデスクワークとなりますが、職場の空気感や流れる時間は、これまで東京で経験してきたものとは全く異なっています。
ー元々は「面白くなさそう」というイメージを持っていたようですが、実際に働いてみていかがでしたか?
蛯谷:公務員といえば、淡々と決められた業務をこなしていて、感情が動くような機会がないのかなと勝手に思っていました。
しかし、土庄町役場は驚くくらい職場の空気が柔らかくて、働いている先輩や上司の皆さんが、本当に優しい人たちばかりなんです。そして、何よりも町民の方々が温かく、「この人たちの為に働きたい」と思えるような環境でした。
面白いかどうかではなく、「やりたい」と思える仕事だったという言い方が正しいかもしれません。
ー移住そして転職と、新しいことだらけだったかと思いますが、入庁後のサポート体制などはいかがでしたか?
蛯谷:本当に右も左も分からない状態でのスタートでしたが、周囲では誰も嫌な顔をせず、何でも丁寧に教えてくださいました。
最初の頃は、窓口や電話対応で独特な島の方言でお話しされると、本当に一言も聞き取れないことがあって、焦って先輩に対応を代わってもらったことも多々ありました。それでも皆さんが辛抱強く接してくれたおかげで、今では楽しく住民の方々とコミュニケーションを取ることができています。
役場に手続きにこられる住民の方々の中でも、顔見知りの方が増えてきて、ただ事務的な対応をこなすだけではなく、人の温かみや助け合いを日常的に感じられるのが、この役場で働く何よりの楽しさです。

ー今回も知らない場所への移住ですが、東京で感じたような「孤独感」はありましたか?
蛯谷:それは全くないですね!小豆島はどこに行っても「つながり」しかありません。
同期や役場の同僚とも、休日になれば一緒にご飯を食べに行ったり、プライベートで遊びに出かけたりすることがすごく増えました。一人で他県から移住してきた身ではありますが、町民の方々を含め、周囲が私のことを気にかけて、心の距離を近くして接してくれるので、寂しさを感じるようなことはありませんでした。
「何をやるか」よりも「誰とやるか」。これから一歩を踏み出す未来の仲間へ
ー改めて振り返ってみると、小豆島・土庄町への移住は、蛯谷さんにとっていかがでしたか?
蛯谷:テレビ業界にいた頃は「この仕事がやりたい」という、自分のやりたいことへのこだわりが先行していたのですが、結果として職場や生活環境の面で心が満たされることはありませんでした。
でも、小豆島に来て、土庄町役場で働くようになってからは、仕事内容のその先にある「この人たちといるから、毎日がこんなに楽しいんだ」という心の充実にたどり着くことができました。
ー「何をやるか」ではなく「誰とやるか」が、蛯谷さんにとっては重要だったのですね。
蛯谷:本当にその通りだと思います。先程も少しお話ししましたが、私は役場の仕事というよりも、仕事を共にする仲間、そして仕事の先にいる住民の方々が大好きです。
それが私の仕事へのモチベーションであり、ここで働く大きな魅力なんだと思っています。
今振り返ってみても、小豆島への移住と土庄町役場への転職という大きな選択は、私にとって大正解だったと思っています。仕事もプライベートも、本当に充実した毎日を過ごすことができています。


ー最後に、転職、あるいは移住を検討して迷っている方々へ向けて、メッセージをお願いいたします。
蛯谷:移住をしてみたいけれど、生活や仕事が変わることに大きな不安を抱えている方って、たくさんいらっしゃると思います。私も全く同じでした。
知らない土地へ、地に足がつかないまま飛び込むのは確かに勇気がいりますが、役場であれば、経済的に安定しつつ、同時にその地域の仕組みや住民の暮らしを一番近くで知ることができます。
小豆島が好きな方、移住に興味のある方、何より心が充実した生活を送りたいと思っているようであれば、ぜひ自分の直感を信じて、土庄町役場の扉を叩いてみてください!本当に素敵な環境が、あなたを待っているはずです!

ー本日は貴重なお話をたくさんお聞かせいただき、ありがとうございました。
「何をやりたいか以上に、誰と働くかで人生の充実度は決まる」蛯谷さんがインタビューの終盤に語ってくれたこの言葉が、非常に深い説得力を持って胸に響きました。北の大地から東京の激務を経て、憧れ続けた小豆島へと辿り着いた蛯谷さんの歩みは、一見すると軽やかなドラマのようですが、その裏には都会の孤独に真摯に向き合い、自らの人生を豊かにするための賢明で等身大な決断がありました。
「移住」という大きな変化に伴う不安を、役場という「安定」を添えることで、リスクを恐れずに理想の暮らしへと飛び込んでいく。そんな蛯谷さんのスマートでひたむきなキャリアの描き方は、地方での暮らしや新しい一歩を踏み出せずに悩む多くの求職者の心に、温かい勇気の火を灯してくれるはずです。
取材・文:パブリックコネクト編集部(2026年6月取材)



