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みよし市役所

愛知県みよし市は、愛知県のほぼ中央、西三河地域の北西部に位置し、人口は約6万人。 都市近郊の利便性と豊かな自然をあわせもつ、産業・自然・文化などの調和のとれた住環境に恵まれたまちです。 ”みんなで育む 笑顔輝く ずっと住みたいまち” を目指す都市像として、 福祉や産業、環境など幅広い分野で様々なまちづくり事業に取り組んでいます。

箱根駅伝の経験を活かし地元に貢献!~熱い想いを形にする、みよし市役所職員の挑戦~

みよし市役所

2025/03/12

愛知県みよし市役所で働く横田さんのインタビュー記事です。

学生時代駅伝選手としても活躍していた横田さんに、公務員を志望した理由、そしてみよし市役所で働く魅力ややりがいについてお話を伺いました。業務内容だけでなく、学生時代に培った「目標」を達成するための考え方、そして公務員として働く理由について熱い想いを聞かせていただきました。

 

公務員を志す人、みよし市役所で働いてみたいと思う人は勿論ですが、これから社会に出る全ての人に見てもらいたい、知ってもらいたい内容となっています。

 


ーまずは簡単に自己紹介をお願いいたします。

 

横田:地元は愛知県みよし市です。小中学校は地元の公立学校に通い、名古屋市の高校を卒業後、東京の大学に進学しました。大学では国際政治経済学部を専攻していたのですが、どちらかというと勉学よりも部活動に明け暮れていました(笑)

大学を卒業後、民間企業での勤務経験を経て平成22年度にみよし市役所に入庁しました。

ー勉強よりも部活動…大学では何に熱中していたのでしょうか?

 

横田:長距離走に打ち込んでいました。指導者に恵まれたということもあり、高校も陸上の名門といわれる学校に進学させていただき、大学も現在では「駅伝」で一躍有名になった青山学院大学に進学をしました。

 

今でこそ常に優勝候補として名が上がる青山学院大学ですが、私が入学したころはまだまだ優勝にはほど遠いといったところでしたね。実は私は原晋監督の一期生なんです。

「10年で箱根駅伝で優勝するチームに成長させる」という明確な目標をたて、そこに向けてそのためには何年でどこまで行く必要があるのか、計算されたプロセスでチームとしての成長を実感することができました。ここでの経験や考え方は、社会人になってから一層活きているなと感じています。

ー部活動に明け暮れていた理由も納得しました(笑)とても貴重な経験でしたね。一度は民間企業に勤めたとのことですが、転職を志したきっかけを教えていただけますか?

 

横田:大学卒業後は飲食店に勤めていました。飲食の仕事自体はとても楽しかったのですが、5年後、10年後を見据えた時に、自分がどういった成長をしているのかということを考えていました。また、昼夜逆転の生活で人々とは違うリズムで生きていることに違和感を感じていたのも大きかったですね。もっと違う生き方があるんじゃないかと思い、退職を決意しました。

 

ー前向きな退職だったのですね。そこから公務員を目指そうと思ったのはなぜですか?

 

横田:「公務員」という職を意識したのは、実はもっと遡って高校時代の学園祭がきっかけなんです。クラスTシャツを作ることになり、皆で同じ色のTシャツを着て盛り上がっていたのですが、出身の話になった際、同じ愛知県内なのに「みよし市」という地名を知っている人がクラスに誰一人としていなかったんです。地元愛が強い私にとって、それはとても悔しい出来事でした。皆思い思いの言葉を書いている中、私はTシャツの胸に「みよし」と書いて着ていたのを今でも覚えています(笑)

 

この経験から、地元に貢献できる仕事がしたい、みよし市をもっと多くの人に知ってもらいたいという気持ちが芽生えました。いざ転職となった際、この時の思いが再燃し、公務員になることを決意しました。

 

ー転職活動はどのように進められましたか?

 

横田:退職してから採用試験まで期間があったため、私は予備校に通って試験対策を行っていました。当時はまだペーパーテストが主流だったこともあり、筆記試験対策が中心でした。試験勉強は数をこなすことが重要だと考えていたので、とにかく過去問を解いていた記憶があります。傾向を掴んで、柔軟に対応できるようにしておけば本番でも落ち着いて対応できると思ったんです。

 

面接対策としては、予備校で実践練習もしていましたが、地元ということもあり、基本的な情報は知っているつもりだったので政策や課題については正直なところあまり調べていきませんでした。今となってはもう少し調べておけばよかったなと思っています(笑)

 

ただ一方で、「みよし市の市役所で働きたいと」いう強い想いは人一倍持っていたと思います。「どうしてこの市役所で働きたいのか」をいかに自分の言葉で語れるか、この点も大切なのではないかと思います。

 

ー入庁後はどのような業務に携わってきましたか?

 

横田:入庁してから15年、様々な部署を経験してきました。最初はスポーツ課でスポーツイベントの運営などに携わりました。愛知県では毎年市町村対抗競技大会が開催されるのですが、その選手集めや練習会の企画・運営なども行っていました。

 

その後、東日本大震災が発生し、全国的に職員を被災地へ派遣する動きがありました。私も「何か力になりたい」と思い、自ら志望して福島県のいわき市に2年間派遣されました。そこでは、風評被害に苦しむ農家の方々を支援するためのPR活動を行いました。

 

みよし市に戻ってからは、産業課(現・産業振興課)(※以下同じ)で市内の事業者や中小企業の支援、そしてみよし市のお祭りの企画・運営を担当しました。その後、総務課で公用車の管理や選挙事務などを経験し、現在は秘書広報課に配属されています。

ー災害派遣など、本当に幅広い経験をされたのですね。現在の秘書広報課ではどのような業務をしているのですか?

 

横田:現在は秘書業務を担当しています。市長や副市長のスケジュール管理、アポ取り、各部の市長・副市長レクチャーの調整など、市長・副市長を支える様々な業務を行っています。出張にも同行し、様々な方と交流する機会もありますね。市長と共に様々な場所へ赴き、時には東京をはじめ県外まで足を運ぶこともあります。秘書業務は民間企業の秘書と似ている部分も多いので、イメージしやすい仕事だと思います。

 

課長以下3名の職員と運転手で市長・副市長の公務をサポートしています。市長秘書と聞くと、年中休みなく付きっ切りと思われるかもしれませんが、休日の市内イベントの場合は、市長ご自身がとても慣れているということもあり、私たち秘書担当職員は同行せず、市長と運転手のみで対応することも多いですね。

ー数々の業務を経験されてきた中で、特に印象に残っている業務はありますか?

 

横田:産業課時代に担当したお祭りが印象に残っています。みよし市には花火を打ち上げるお祭りがあるのですが、その運営に携わりました。子どもの頃は見る側だった私が、今度は運営する側になり、子どもたちが楽しそうに花火を見上げる様子を見ている。なんとも言えない感慨深い気持ちになりましたね。自分がみよし市の歴史の一部を担っているような、そんな感覚でしたね。

 

そして、この経験を通じて民間企業と行政の根本的な違いを実感しました。民間企業は新しいものを生み出し、世の中を変えていく仕事である一方、行政は今ある日常を未来へ繋いでいく仕事なんだと。生まれ育った街の未来に携わることができる。これこそが公務員の仕事の醍醐味だと感じましたね。

ー横田さんが仕事の中でやりがいや魅力を感じるのはどんな時ですか?

 

横田:自分が考えたアイデアが形になった時ですね。産業課時代には、市の特産品である柿、梨、ぶどうのPRのためにキャッチコピーを考案しました。「甘みよし」という「甘味良し」と「みよし市」を交えたキャッチコピーはとても好評で、農協さんが出荷する際の箱にまでプリントされることになりました。卸売業者の方からは「甘みよし来た、甘みよし来た!」と評判だと聞いたときは、本当に嬉しかったですね。

 

また、上司から自由に任せてもらえる環境だったので、ご当地ナンバーの企画なども実現することができました。自分で考えたアイデアが形になり、人々に喜んでもらえる。これが私の仕事のやりがいです。

ー入庁前と後で、公務員に対するイメージにギャップはありましたか?

 

横田:これは採用説明会などでも口を酸っぱくして言っていることがあります。

「残業はあります(笑)」

私もそうでしたが、公務員=定時で帰るというイメージって強いですよね。ただ、実際には残業はあります。部署や抱えている業務によっても変わっては来ますが、残業が全くないという部署の方が少ないと思っています。

 

ー学生時代に打ち込んでいた陸上競技から得たものはありますか?

 

横田:高校、大学と陸上競技に打ち込み、結果的には箱根駅伝にも出場することができました。指導者に恵まれ本当に多くのことを学びました。

先程も少しお話しましたが、私が所属していた青山学院大学陸上競技部は、私が入部した当時はまさに強化元年で、現在のように「優勝」を語れるような実力ではありませんでした。

 

しかし、原晋監督は「10年後に箱根駅伝で優勝する」という壮大な目標を掲げていました。そして、その目標を達成するためには、3年後、5年後にはどのような状態になっているべきか、といった具体的な目標を逆算して設定していきました。

 

実際に社会に出てみると、この目標を達成するまでの考え方がとても大切だったんだと改めて実感しましたね。

ー「10年後に優勝」だと、考え方によっては横田さんが在学中には優勝できないという計画だと思うのですが、そのあたりはどのように捉えていたのですか?

 

横田:確かにおっしゃるとおりです。10年後に優勝するために私たちの代に課せられたのは「優勝すること」ではなく「在学中にここまで上がる」という目標でした。言い換えれば私がいる4年間では優勝することができない計画です。ただ、この考え方は社会で働くうえではとても重要だと思っています。

 

例えば新しい庁舎を10年後に建設するという計画があったとします。計画を策定した担当者は異動になり、具体的な設計を決めた時の担当者も着工のタイミングではもう異動になっているかもしれません。ただ、10年後に建設するためには、それぞれのタイミングで担当していた人が、自分に与えられた目標を達成している必要があるんです。

 

完成の時に携わった人だけが頑張ったのではなく、その時々の目標を着実に積み重ねた人がいるからこそ、最後には予定通り建設できるようになります。携わってきた全ての人の成果なんですよね。この考え方は是非皆さんに持っていただきたいと思っています。

 

ー横田さんが考える、みよし市役所で働く魅力について教えてください。

 

横田:みよし市はベッドタウンで、これといった特色がないと言われることが多いんです。「何もない街」というイメージを持たれる方もいるかもしれませんが、裏を返せばそれは「真っ白なキャンパス」だということです。何もないからこそ、新しいことに挑戦しやすいんです。

 

私が産業課時代に特産品のキャッチコピーやご当地ナンバーを企画できたのも、「真っ白なキャンパス」だったからこそできたのだと思っています。例えば温泉や海水浴場といった有名な観光資源を持っている地域では、すでに確立された街のイメージがあるため、新しいことを始めるのは簡単ではないと思います。

 

また、みよし市は人口6万人ほどの小さな自治体なので、意思決定が早く、フットワーク軽く動くことができます。さらに財政力も強みなので。やりたいことを実現しやすい環境が整っているんです。熱い想いを持って「こんなことをやりたい!」と手を挙げる人が活躍できる職場です!

 

 

ー最後に、求職者に向けてメッセージをお願いします。

 

横田:「こうしたい」「ああしたい」という想いを持っている方と一緒に働きたいですね。みよし市にはそういう人がたくさんいるので、ぜひ一緒にみよし市の未来を創っていきましょう!

 

全国では「消滅可能性自治体」なんてささやかれてしまう自治体もありますが、私はここみよし市という街を絶対に日本地図から消したくないという強い想いがあります!これからみよし市を盛り上げてくれる仲間を待っています!熱い想いを持った皆さん、ぜひ一緒に未来のみよし市を創っていきましょう!

ー本日はありがとうございました。

 

取材・文:パブリックコネクト編集部(2025年1月取材)

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愛知県みよし市は、愛知県のほぼ中央、西三河地域の北西部に位置し、人口は約6万人。 都市近郊の利便性と豊かな自然をあわせもつ、産業・自然・文化などの調和のとれた住環境に恵まれたまちです。 ”みんなで育む 笑顔輝く ずっと住みたいまち” を目指す都市像として、 福祉や産業、環境など幅広い分野で様々なまちづくり事業に取り組んでいます。

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