幼い頃に見た、火災現場へ向かう祖父の背中。その「かっこよさ」への憧れを胸に、地元である北海道北広島市の消防職へと飛び込んだ徳原さん。
入庁からこれまで、現場の最前線から本部の事務まで幅広い業務を経験してきました。過酷な訓練や現場の厳しさの中でも、彼を突き動かすのは「消防が好きだ」という純粋な想い。
今回は、北広島市消防で働く魅力ややりがい、そして共に汗を流す仲間たちとの温かな絆について詳しくお話を伺いました。
- 消防士を志した原点と、地元・北広島市への想い
- 試練の連続を乗り越えて。採用試験と消防学校での日々
- 現場から本部まで。多岐にわたる業務と1日のスケジュール
- 命を守る最前線でのやりがい。冬の夜、はしご車で対峙した火災現場
- 全力で働き、全力でリフレッシュする。理想の「消防士像」を追い求められる環境とは
消防士を志した原点と、地元・北広島市への想い
ーまずは、徳原さんが消防士を目指したきっかけを教えてください。
徳原:「消防士になりたい」という意識が芽生えたのは、小学生の頃でした。僕の祖父が、隣町の恵庭市で消防士をしていたんです。
ある日、祖父の家に遊びに行っていた時のことでした。当時、祖父は非番だったのですが、たまたま大きな火災が発生して緊急召集がかかったんです。しかもその現場が祖父の家のすぐ近くで、僕は祖父の家から、その火災現場をずっと見守っていました。
それまでは日常の顔しか知らなかった祖父が、現場でプロとして活動するその姿を目の当たりにした時、子どもながらに「なんてかっこいいんだろう」と強く心を打たれました。
それが、僕がこの職業に憧れを抱き始めた原点ですね。
ーその憧れが、北広島市消防へと繋がったのですね。北広島市を選んだ理由は何だったのでしょうか?
徳原:僕は生まれこそ隣町ですが、育ちはずっと北広島市です。小・中学校時代をこの街で過ごし、自分を育ててくれたこの街に対して、強い愛着と安心感を持っていました。
高校時代は札幌の学校に通っていましたが、卒業後の進路を考える際、たまたま北広島市で高卒枠の採用があったんです。それは毎年必ずあるわけではなく、まさに「たまたま」のタイミングでした。
自分の中にあった「地元を守りたい」という想いと、この募集のタイミングが重なったことに、強い縁を感じて北広島市消防を志望しました。

試練の連続を乗り越えて。採用試験と消防学校での日々
ー採用試験のエピソードで、印象に残っていることはありますか?
徳原:僕が受験したのは随分前(平成28年)なので、今は変わっているかもしれませんが、当時は面接が3回ほど行われた記憶があります。
和やかな雰囲気でこちらの本音を引き出してくれるような面接もあれば、鋭い質問で背筋が伸びるような面接もあり、選考が進むにつれて緊張感が増していきました(笑)。
また、体力試験ではかなり苦労しました。元々体力には自信があったのですが、消防の試験は懸垂や重量物挙上など、筋肉量が問われる種目が多かったんです。
周囲の受験生が軽々とこなす中で、自分は懸垂が数回しかできず、「これは落ちたかもしれない」と本気で焦ったことを覚えています。
ーそれでも合格を掴み、入庁後は消防学校へと進まれたのですね。そこでの生活はいかがでしたか?
徳原:入庁後の半年間、江別にある消防学校で初任科教育を受けます。ここは、北海道内の各自治体(札幌市以外)から新人が集まる場所です。
集団生活の中で、規律を守ること、そして消防士としての基礎を叩き込まれます。正直に言って、毎日の訓練は想像以上にきつかったです(笑)。
しかし、そこでの経験があったからこそ、実際の署に配属された際に「あの時に比べれば大丈夫だ」と、精神的な余裕を持って仕事に臨むことができました。
何より、全道各地に同じ志を持つ仲間ができたことは、今でも大きな財産になっています。

現場から本部まで。多岐にわたる業務と1日のスケジュール
ー入庁から現在まで、どのようなキャリアを歩んでこられたのでしょうか?
徳原:まずは消防署の本署に配属され、現場の基礎を学びました。その後、出張所での勤務、本署での救助・消防担当を経て、本部の総務課に異動しました。
総務課では予算管理や装備品の調達、車両のメンテナンス調整など、いわゆる「裏方」として消防組織を支える業務を2年ほど経験しました。現場とは全く異なる事務仕事に最初は戸惑いもありましたが、組織全体がどう動いているのかを知る貴重な機会となりました。
現在は警防課に所属し、再び交代制の勤務に戻っています。
ー消防署勤務の時は、1日のスケジュールはどのような流れだったのでしょうか?
徳原:勤務は「24時間勤務」で、朝8時45分に交代し、まずは車両や装備の点検から始まります。
午前中は打ち合わせや訓練、午後は外勤やさらなる訓練を行い、夕食後は事務作業や自己学習、そして体力練成に励みます。22時から5時までは仮眠時間ですが、出動があれば即座に対応する、といった流れですね。
ー現在の「警防課」での、具体的な仕事内容を教えてください。
徳原:現在は「警防課」で通信指令業務を担当しています。昨年度から始まった「指令共同化」により、119番通報の受付自体は札幌市の指令センターに集約されました。
私たちはそこからの指令を受け、消防職員、消防団員の非番招集を行ったり、通報者と指令センターを繋いだ三者通話で現場を詳しくナビゲートすることが主な役割です。

命を守る最前線でのやりがい。冬の夜、はしご車で対峙した火災現場
ー消防士として働いていて、最もやりがいを感じる瞬間はいつですか?
徳原:やはり、現場で直接「ありがとう」という言葉をいただいた時です。
救急現場などで、苦しまれている患者さんや、不安でいっぱいの表情をされていたご家族が、病院へ搬送した後に少し安心した表情を見せてくださり、「助かりました、ありがとう」と言ってくださる。その一言で、すべての苦労が報われるような気がします。
後日、わざわざ署までお礼を言いに来てくださる方もいて、自分の仕事が誰かの人生を守っているのだと、誇りを感じる瞬間ですね。
ーこれまでで特に忘れられない現場はありますか?
徳原:入庁3年目の冬に経験した、5階建てアパートの火災現場です。その時、僕は初めて実戦ではしご車を使った放水を担当することになりました。
現場は夜中で、猛烈な煙に巻かれて視界はほぼゼロでした。さらに北海道の厳しい寒さで、放水した水がみるみる凍り、ホースの接続口が凍結して外れてしまうというトラブルにも見舞われました。
はしごの上には自分一人。周囲の状況を確認しながら、一刻も早く火を消し止めるために必死に頭をフル回転させ、機転を利かせて対応しました。
無事に消火できた時は、安堵と同時に大きな達成感がありました。あの現場は、自分を消防士として大きく成長させてくれたと思っています。

全力で働き、全力でリフレッシュする。理想の「消防士像」を追い求められる環境とは
ー職場の雰囲気についても教えてください。徳原さんにとって、北広島市消防はどのような場所ですか?
徳原:面倒見の良い先輩がたくさんいる職場です。僕は高卒枠で入ったので、当時は周囲の全員が年上の先輩でした。厳しい訓練の場では厳格な先輩たちも、ひとたび現場を離れれば、弟のように可愛がってくれました。
最近のマイブームは、24時間勤務の明けに、有志のメンバーでそのままボウリングに行くことです(笑)。仕事終わりで腕がパンパンになるまで投げて、翌日にみんなで筋肉痛を笑い合う。そんな距離感の近さが、現場での阿吽の呼吸にも繋がっているのだと感じます。

ープライベートの時間はしっかり確保できていますか?
徳原:はい、時間の使いかた次第で非常に充実した休日を過ごせます。24時間勤務のあとは「非番」になりますが、うまくスケジュールを組めば、朝から晩までまる一日を趣味の時間に充てることも可能です。
旅行などに行く際は事前の届け出が必要ですが、周囲に気兼ねして「出しづらい」という雰囲気は全くありません。私自身も旅行が趣味なので、よくこの制度を利用して、いろいろな場所へ出かけてリフレッシュしています。
ー最後に、北広島市消防を目指している方々へメッセージをお願いします。
徳原:この仕事を目指すにあたって、一番大切なのは「消防が好きだ」という純粋な気持ちだと思います。
体力的にきついこと、精神的なタフさが求められるシーンは必ずあります。そんな時、最後に自分を支えてくれるのは、「かっこいい消防士になりたい」「誰かの役に立ちたい」という熱い想いです。
北広島市の街を走っていると、子どもたちが笑顔で手を振ってくれたり、「かっこいい!将来消防士になりたい!」と言ってくれたりすることがあります。
そんな市民の皆さんの期待に応えたいと思える方、そしてこの仕事を心から好きになれる方と、ぜひ一緒に働きたいですね。皆さんの挑戦を、心からお待ちしています!

ー本日はありがとうございました。
「祖父の背中がかっこよかった」。そう語る徳原さんの瞳は、少年のようにキラキラと輝いていました。過酷な現場や厳しい訓練を語る言葉の端々からも、この仕事に対する深い敬意と愛情が伝わってきます。
24時間勤務の後に仲間とボウリングへ向かうというエピソードからは、北広島市消防が単なる「職場」を超えた、家族のような絆で結ばれていることを感じました。誰かのヒーローであり続けることの責任と喜び。徳原さんの背中もまた、次の世代の誰かにとっての「かっこいい憧れ」になっているに違いありません。
取材・文:パブリックコネクト編集部(2026年2月取材)



