富山県滑川市役所、建設部建設課で働く水野雄平さんのインタビュー記事です。日本リーグのバスケットボール選手として活躍した後に、地元・滑川市役所の土木技術職へとUターン。
入庁後は、更地の状態から5年越しで完成させた中滑川複合施設「メリカ」のビッグプロジェクトを牽引。現在はU-15のバスケチームのヘッドコーチとして地域貢献にも情熱を注いでいます。「地図に残る仕事」のやりがいと、仕事も趣味も100%で楽しめる滑川市役所の魅力について、語っていただきました。
- 日本リーグのバスケ選手として全国を飛び回る日々。充実と過酷さの民間時代
- 東日本大震災での被災。炊き出しをする市役所職員の姿が人生を変えた
- 更地から5年越しで創り上げた、中滑川複合施設「メリカ」のビッグプロジェクト
- 「答えを与えない」後輩育成と、職場の雰囲気の良さ
- 17時退庁でヘッドコーチ!仕事とバスケを100%両立できる滑川市役所
日本リーグのバスケ選手として全国を飛び回る日々。充実と過酷さの民間時代
ーまずは自己紹介と、これまでのご経歴を教えてください。
水野: 小中高と地元である富山県滑川市で育ち、小学4年生の時からずっとバスケットボールを続けてきました。就職に関しては、これまでの競技実績を評価していただき、バスケ推薦という形で茨城県日立市を拠点とするバスケットボールチームへの所属、同企業に入社する運びとなりました。
ー仕事をしながらバスケの選手としても活動されていたのですね。
水野: そうです。日中は工場の総合職として、製品や製造機械の管理といった技術系の仕事をしていました。仕事が終わってからチームの練習に向かい、土日は試合のために飛行機やバスで全国を移動し、月曜日からまた仕事とバスケ……というハードワークな生活を毎年繰り返していました。
東日本大震災での被災。炊き出しをする市役所職員の姿が人生を変えた
ーそこから、なぜ滑川市役所へ転職しようと考えたのでしょうか?
水野: 2011年の東日本大震災が、自分の中では非常に大きなターニングポイントになりました。当時住んでいた街も被災し、1週間ほどろくに食べ物がないような状態が続いたんです。所属していたチームで、被災された方々に水を配るなど支援活動を行っていました。 その時に、日立市の職員の方々が炊き出しなどで懸命に動かれている姿を間近で見て、市役所の仕事の大事さを痛感したんです。
ー震災の現場で、行政の役割の大きさに気づかれたのですね。
水野:そこで市役所の仕事に興味を持ち、「どうせ市役所で働くのであれば、地元・滑川市を良くするために働きたい」と考えました。 震災の影響でチームの存続も難しくなり、選手が次々と移籍していくような岐路に立っていたタイミングでもありました。
そこで地元の滑川市役所のホームページを確認したところ、偶然にも技術職の募集締切の1週間前だったので、慌てて履歴書を作成し滑り込みで試験を受けたら、無事に採用が決まりました。
更地から5年越しで創り上げた、中滑川複合施設「メリカ」のビッグプロジェクト
ー入庁されてからのキャリアと、担当されたお仕事について教えてください。
水野: 平成26年度(2014年度)に入庁し、最初は建設課で3年間、道路改良や河川の維持管理、駐車場の整備などを担当しました。その後、都市計画課へ異動して5年間、都市計画事業に携わり、現在は再び建設課に戻って3年目になります。
市役所に入ってから一番大きな仕事だったのは、都市計画課時代に担当した「中滑川複合施設(愛称:メリカ)」と、中滑川駅前広場の設計・建設プロジェクトです。
ー「メリカ」の建設は、どのようなプロジェクトだったのでしょうか。
水野: 中滑川駅前に市で買収した農協跡地があり、「この跡地に何を作るべきか」という全くのゼロベースから始まり、丸5年かけて完成させました。
1年目の基本構想づくりから始まり、2年目は詳細な設計を進め、3年目から5年目にかけては工事の発注や監督員業務でした。駅前広場の工事、周辺道路の整備、複合施設の建築、そして離れた場所の駐車場整備など、全ての工事が同時並行で動いていました。 しかも、滑川市役所は少数精鋭のため、この何十億円も動くプロジェクトの技術職の担当は私一人だけだったんです。一人で全ての工事監督をこなさなければならなかったので、3~4年目の頃は本当に目が回るような忙しさでしたね。
ー一人で全てを担当されたとは驚きです!設計などでこだわったポイントはありますか?
水野: 駅との利便性や、空間としての一体感にはこだわりました。隣接する富山地方鉄道の中滑川駅の駅前広場と、複合施設「メリカ」の敷地は、実際には境界線があるのですが、床や外構のタイルを同じデザインで統一しました。
そうすることで、利用する方からは境界がないような「広々とした一体の空間」として使えるように工夫しました。一人で全体を見ていたからこそ、こうした統一感のある設計ができたのだと思います。

ー完成した時の喜びはひとしおだったのではないでしょうか。
水野: おかげさまで大成功で終わりました。こけら落としのオープニングイベントでは、地元の高校生にブラスバンドの演奏をしてもらったり、防災の拠点として消防の方に講演をしていただいたり、地元の飲食店に出店してもらったりと、大変賑わうイベントになりました。更地から立ち上げ、完成の瞬間まで見届けることができたのは、技術職としてこれ以上ない大きな成長に繋がったと感じています。

「答えを与えない」後輩育成と、職場の雰囲気の良さ
ー現在は建設課に戻られたとのことですが、職場の雰囲気はいかがですか?
水野: 建設課は、市役所内のアンケートでも「一番雰囲気が良い」と若手から評価されるほど、素晴らしい環境です。淡々と仕事をするのではなく、日頃からコミュニケーションをよく取り、みんなで相談して物事を決めていくチームワークがしっかりとできています。
ー水野さんも後輩を指導される立場かと思いますが、気をつけていることはありますか?
水野: 「なるべく答えを与えないようにすること」です。意地悪な先輩だと思われるかもしれませんが、自分自身の経験からも、人から答えをもらうより、自分で調べて導き出した答えの方が絶対に個人の成長に繋がるからです。
この考えの原点は、以前の職場で先輩に言われた「できない言い訳より、できる方法を考えろ!」という言葉にあります。壁にぶつかった際に思考を止めず、挑戦し続けることで道が拓けることを学びました。市役所の業務においても、若手職員が自ら考え、最適な答えを導き出せるようなサポートを心がけています。

ー土木技術職の仕事の「最大の魅力」は何だとお考えですか?
水野: やはり「地図に残る仕事」ができることですね。自分が携わった道路が改良して広くなったり、新しい施設が建ったりすると、翌年には地図が変わっています。自分の仕事の成果がはっきりと目に見えて残り、市民の生活を豊かにしていると実感できる。これほどやりがいのある仕事はないと思っています。
17時退庁でヘッドコーチ!仕事とバスケを100%両立できる滑川市役所
ー水野さんは現在、お仕事の傍らで「U-15のバスケットボールチームのヘッドコーチ」をされていると伺いました。
水野: はい。現在は中学生のクラブチームのヘッドコーチとして、地域貢献の一環で指導を行っています。学校の部活動の地域移行が進む中で、滑川市のバスケットボール協会としてチームを立ち上げることになり、地元出身で県外のトップレベルでプレーした経験がある自分に声がかかったのがきっかけです。

ー仕事とヘッドコーチの両立は、時間的にもかなり大変ではないですか?
水野: 災害復旧などでどうしても残業が必要な時以外は、基本的に17時15分の定時で仕事を終わらせて退庁しています。仕事が終わったらすぐに練習へ向かい、土日は練習試合や遠征に出かけるという、業務時間外はすべてバスケットボールに費やしているような毎日です(笑)。
ーそれが実現できているのはすごいですね!
水野: 市役所だからこそ実現できているワークライフバランスだと思います。私が率先して定時で帰ることで、若い職員たちも気兼ねなく早く帰れる環境を作りたいという思いもあります。実際、若手職員たちも仕事終わりにスノーボードに行ったり、休日に登山に行ったりと、趣味やプライベートの時間を存分に楽しんでいますよ。

ーちなみに、滑川市役所内にもバスケットボールのチームはあるのでしょうか?
水野: はい、職員のバスケットボール部があります。実はこのチーム、以前はなかなか1回戦を突破できない時期が長く続いていたんです。自分が入った時期とちょうど重なる形にはなりましたが、58年続く都市職員大会の歴史で初めて優勝することができました。
それ以来、官公庁の全国大会にも毎年出場できるようになりました。これから入庁される方でバスケ経験者の方がいれば大歓迎ですし、もちろん未経験者でも大歓迎です(笑)。仕事もバスケットも頑張りたい方はぜひ一緒に滑川市役所で全国大会を目指しましょう!

ー本日はありがとうございました。
取材・文:パブリックコネクト編集部(2025年12月取材)
アスリートから、市民の暮らしを支える土木技術職へ。「地元の市役所」を選んだ水野さんの言葉には、地域社会への深く、力強い愛情が込められていました。さらに、仕事に誇りを持ちながら、プライベートの生きがいにも全力で打ち込める。滑川市役所が実現するワークライフバランスを実感できるインタビューでした。



