兵庫県宍粟市役所で働く田渕さんのインタビュー記事です。大学時代の卒業論文で宍粟市をフィールドに選んだことが縁となり、新卒で入庁した田渕さん。公共交通の現場から、コロナ禍での兵庫県庁出向、そして市の未来を形作る「木育推進方針」の策定まで、多岐にわたるキャリアを歩んできました。自身の適性を「調整」と語る田渕さんに、仕事の醍醐味や約半年にわたる育児休暇取得のリアルな体験談を伺いました。
- 卒業論文のフィールドが、そのまま「職場」になった理由
- コロナ禍の県庁出向で見えた「組織」と「調整」の真髄
- 「宍粟市木育推進方針」の策定。二人三脚で築いた市の未来
- 「内部調整」のプロフェッショナルとして、組織を支える
- 男性職員として、約半年の育児休暇を取得して
卒業論文のフィールドが、そのまま「職場」になった理由
ーまずは、田渕さんの自己紹介と、これまでのご経歴から教えていただけますか。
田渕:新卒として平成29年に入庁し、今年で10年目を迎えます。最初の3年間は市民協働課で公共交通や国際交流に携わり、その後1年間、兵庫県庁の地域創生局へ市町研修生として出向しました。令和3年度に宍粟市に戻ってからは現在の地域創生課に配属され、地域創生係を経て、令和5年度からは現在の企画調整係として、市の重要施策の取りまとめなどを行っています。
ー宍粟市を就職先に選ばれたのは、どのような背景があったのでしょうか。
田渕:実は、大学時代にまちづくりや地域振興を専門的に学んでおり、その卒業論文のテーマに選んだのが、まさに宍粟市の「公共交通」だったんです。宍粟市は当時、コミュニティバスやデマンド型の交通手段を廃止し、市全域を運行する路線バス網へ再編するという、全国的にも珍しい取り組みを行っていたんです。その研究を通じて市の職員の方々と接点を持つようになり、現場の熱量に触れる中で「このまちの課題を中から解決していきたい」と強く思うようになり、採用試験を受けました。
ーまさに、研究がそのまま仕事になったわけですね。実際に入庁して、最初に公共交通の担当になられた時の心境はいかがでしたか。
田渕:現場の難しさを痛感する毎日でした。大学での研究はあくまで「外からの視点」でしたので、魅力的なモデルコースを作ったり利用を呼びかけたりすることが利用促進につながると考えていたのですが、中に入ってみると現実は違いました。
路線バスは観光資源である以上に、高齢者の方々の病院への足であり、学生たちの通学路そのものです。利用者の方々の切実なニーズと、限られた予算の中での効率的な運用。そのギャップを埋めることの難しさは、中に入ってみて初めて分かる新鮮な驚きであり、やりがいでもありました。

コロナ禍の県庁出向で見えた「組織」と「調整」の真髄
ーその後、兵庫県庁への出向を経験されていますが、これは自ら希望されたのでしょうか。
田渕:市町研修生の募集があり、当時の部長からも「経験を積んできてはどうか」と背中を押していただいたのがきっかけです。私自身、大学時代に学んだ地域振興の知識を、より広い「県」という視点から見つめ直したいという思いがありました。
ー県庁での1年間は、どのようなお仕事を担当されていたのですか。
田渕:配属されたのは地域創生局でしたが、そこで任されたのはまちづくりというよりも、むしろ「財務・調整」に近い業務でした。具体的には、国から来る交付金の取りまとめです。特に私が出向した令和2年度は、ちょうど新型コロナウイルスが猛威を振るい始めた時期でした。
ーまさに激動の時期ですね。
田渕:はい、本当にバタバタとした1年でした。コロナ対応の臨時交付金を、庁内の各部署がどう活用するか、その計画の調整を一手に引き受けるような形でした。庁内の感染防止対策や、飲食店への休業補償から、さらには「ポストコロナ」を見据えた芸術文化の振興まで。正直、県内のまちづくりをじっくり学ぶ余裕などないほどの激務で、特に年度後半は連日のように残業が続きました。
ー市役所と県庁、働く雰囲気や組織のあり方に違いは感じましたか。
田渕:大きく違いましたね。一番驚いたのは「距離感」です。市役所は上司や他部署との物理的・心理的距離が近く、相談しながら物事を進めていく感覚が強いのですが、県庁は非常に組織立っています。何をするにも、まず担当者が完璧にスキームを組み立て、それを上の役職の方々に順番に説明して回る「レク(レクチャー)」が不可欠でした。
ーその組織文化の違いに、戸惑いはありませんでしたか。
田渕:最初は戸惑いました。ただ、国と市町の間に立ち、膨大な情報を整理して最適解を見出す1年間で培った「調整能力」や「資料作成のスキル」は、今、市役所で複雑な案件をまとめる際に非常に役立っています。正直に言えば、当時は孤独を感じることもあり苦しい時期でしたが、今振り返れば、自分の公務員としての土台を作ってくれた貴重な時間でした。
「宍粟市木育推進方針」の策定。二人三脚で築いた市の未来
ー市に戻られてからは地域創生課で「木育(もくいく)」に携わられたとのことですが、具体的にどのような取り組みだったのでしょうか。
田渕:宍粟市は市域の約9割が森林という「森のまち」です。そこで、子どもから大人までが木とふれ合い、木を学び、木と共に生きる「木育」を推進しています。私が担当したのは、その根幹となる「宍粟市木育推進方針」の策定でした。

ー方針の策定となると、かなり大きな仕事ですよね。
田渕:そうなんです。宍粟市は平成31年に「ウッドスタート宣言」を行っていましたが、具体的な事業を進める上での「根拠」となる明確な指針がまだありませんでした。そこで、SDGs(持続可能な開発目標)の考え方とリンクさせながら、令和4年度に方針をまとめ上げました。
ー策定にあたって、特に意識されたことはありますか。
田渕:「綺麗なスローガン」に終わらせないことです。特定非営利活動法人芸術と遊び創造協会(東京おもちゃ美術館)が提唱されている木育の「かきくけこ」、つまり、「か」環境を守る、「き」技術や文化を伝える、「く」暮らしに木を取り入れる、「け」経済を活性化させる、「こ」子どもの心を豊かにするという概念を引用しました。これに宍粟市独自の取り組みを紐付け、既存の事業を整理し直したんです。この作業を、当時の上司と私の、実質二人三脚で進めていきました。

ーわずか二人で!それは大変な作業だったのではないですか。
田渕:大変でしたが、非常に充実していました。自分たちの手で、このまちの数十年先を見据えたルールや方向性を決めていける。それは自治体職員として最もダイナミックで面白い瞬間でしたね。この方針ができたことで、令和6年度からは未就学児向けの「木育講座」が本格的に動き出すなど、新しい取り組みが着実に生まれています。私自身は、今は別の係に移っていますが、自分が引いたレールの上を後輩たちが走り、市民の方々に笑顔が広がっているのを見ると、この仕事をしていて良かったと心から思います。
「内部調整」のプロフェッショナルとして、組織を支える
ー現在は「企画調整係」として、どのような業務を担当されているのですか。
田渕:現在は、国・県からの交付金の取りまとめに加え、指定管理者制度の所管課として、市内に点在する「指定管理施設」のとりまとめや、運用ルールの整理を行っています。宍粟市には多くの公共施設がありますが、その施設に指定管理者制度を導入する際のガイドラインや担当課用のルールブックを作成しているところです。
ーまさに、県庁時代に培った「調整」や「資料作り」が活かされる場ですね。
田渕:そうですね。私は、自分自身のことを「新しいものをゼロから生み出すクリエイター」というよりは、「複雑なルールを整理し、現場が動きやすい環境を作る調整役」だと認識しています。
各部署の利害を調整し、整合性を保ちながら一つのルールに落とし込んでいく。この「整える」作業に、私は今、強い適性とやりがいを感じています。
ー自分の得意分野を見つけられたのですね。ジョブローテーションについてはどうお考えですか。
田渕:公務員である以上、全く未経験の分野に異動する可能性は常にあります。ですが、どの部署に行っても「何が根拠で、どういうルールで動いているのか」を整理する力があれば、必ず乗り越えられる。そんな自信がついてきました。むしろ、次はどんな分野を「整理」してやろうかと、少し楽しみな部分もあります。

男性職員として、約半年の育児休暇を取得して
ー私生活についてもお聞きしたいのですが、最近お子様が生まれたそうですね。
田渕:はい。令和7年の4月に第一子が誕生しました。それを機に、4月末から9月末まで、約半年間の育児休暇を取得させていただきました。
事前に上司に相談していたこともあり、不在の間の業務サポート体制をしっかり整えていただけました。職場に戻ってからも、残業を最小限に抑えて仕事を進められるよう配慮してもらっています。おかげで、育児という「人生の大きなプロジェクト」にしっかり向き合うことができました。
ー最後に、これから宍粟市役所を目指す方へのメッセージをお願いします。
田渕:宍粟市は、若いうちから大きな計画策定や方針づくりに携わることができる、非常にチャンスの多い職場です。自分の専門性を追求するのもいいですし、私のように「調整」というスキルを磨いて組織を支える道もあります。森林に囲まれた豊かな環境で、私たちと一緒にこのまちの「未来のルール」を創っていきませんか。
ー本日はありがとうございました。
取材・文:パブリックコネクト編集部(2026年04月取材)
穏やかな口調の中に、自身の仕事に対する揺るぎない自負と誠実さを感じさせてくれた田渕さん。男性職員として長期の育休を取得し、公私のバランスを自ら体現する姿勢は、これからの自治体職員のロールモデルとなるに違いありません。



