糸島の歴史を掘り起こす。文化財職員が語る、発掘調査という仕事
糸島市役所
「発掘調査で幅10メートル、深さ1メートルを超える大溝が出てきて。なかなか出くわさない事例でした」
そう振り返るのは、糸島市役所地域振興部文化課文化財係で文化財職員として働く、令和5年4月入庁の粟野翔太さん。岐阜県出身で、大学卒業後は岐阜市の埋蔵文化財を扱う財団に4年間勤務。その後、文化財行政に携わりたいという思いから、博物館業務もできる自治体を探して、糸島市に入庁しました。
今回は、糸島市の文化財に向き合う仕事の内容や、文化財職員としてのやりがいについて、たっぷりとお話を伺いました。
- 地元を離れ、糸島へ。文化財行政の仕事を求めて
- 書類と土の間で。届出審査から発掘現場監督までの一日
- 幅10メートルの大溝が語るもの。石切場調査から文化財指定までの道のり
- 課を超えたつながりと、海と山が近い暮らし。求める人物像とは
地元を離れ、糸島へ。文化財行政の仕事を求めて
ーまずは、粟野さんのご出身を教えてください。
粟野:私は岐阜県の出身です。近畿地方の大学に進学し、考古学を学べる学科で4年間学び、発掘現場では技術を磨きました。卒業後は地元で働きたいという思いから、岐阜市の埋蔵文化財を扱う財団に入職しました。業務内容は、市内の遺跡調査や出土品の復元、報告書作成のほか、市民向けの遺跡紹介講座や小規模な展示会の企画にも携わり、4年間勤務しました。
ー財団での勤務を経て、糸島市に来られた経緯を教えてください。
粟野:財団にいたときに、文化財を所管する部署から依頼を受けて仕事をする機会があり、その中で、文化財保護法に基づいた行政手続きにも携わりたいという思いを持つようになりました。ただ、博物館業務の経験はなかったので、博物館の仕事もできる自治体はないかと探していたところ、糸島市の募集を見つけて受けさせていただいたのがきっかけです。
ー縁もゆかりもない土地への転職・移住だったと思いますが、迷いはありませんでしたか。
粟野:大きな判断でしたね。家族とも何度か話し合いました。ただ、転職活動の中で糸島市を調べていくうちに、食文化や歴史文化の厚みに惹かれていきました。特に、古くから栄えた「伊都国」としての歴史があり、遺跡も多く残っていることを知って、ここはいい場所だと思い、糸島市の採用試験を受験しました。入庁4年目を迎えた今も、この判断は間違っていなかったと感じています。
書類と土の間で。届出審査から発掘現場監督までの一日
ー現在のお仕事の内容を教えてください。
粟野:業務は大きく3つあります。1つ目は、埋蔵文化財行政の事務手続きです。文化財保護法に基づき、遺跡がある地域で家などを建てる際の届出を受け付け、試掘の要否や発掘調査に進むかどうかを内部で調整し、決裁を行っています。
2つ目は発掘現場での作業です。日中は現場では監督として、アルバイトの作業員さんと一緒に発掘を進め、夕方以降は前年度までの発掘成果をまとめる報告書作りに取り組みます。出土した土器などの図面を作成し、文章としてまとめる作業です。
3つ目は、新規の文化財指定に向けた調査です。2年前には、江戸時代の石切場を上席の職員とともに調査し、市の指定文化財とすることができました。
ー今携わっている発掘現場は、どのくらいの期間をかけて進めているのですか。
粟野:開発の面積によって幅があり、1、2ヶ月ほどで終わる現場もあれば、1年近くかかる現場もあります。今取り組んでいる発掘現場は規模が大きく、1年かけて進めているところです。調査期間が長期にわたる分、日々の記録を積み重ねながらじっくりと掘り進めていく、根気強さが求められます。
ー発掘現場での作業は、具体的にはどのように進めるのですか。
粟野:まず開発区域を重機で掘削し、遺跡がある高さまで土を下げます。そこからアルバイトの作業員さんに入っていただき、穴や家の跡などの遺構の輪郭を丁寧に検出していく作業を行い、埋まっている遺構ごとに掘り進めていきます。その後、掘り上がった遺構の輪郭を図面に起こし、写真も適宜撮影して記録をとるという流れです。
夏場は屋外での作業が長時間に及ぶため、体力的に大変な面もあります。作業員さんと一緒に安全に、効率よく発掘を進められるよう調整することが、監督としての難しさでもあります。

幅10メートルの大溝が語るもの。石切場調査から文化財指定までの道のり
ーこれまでのお仕事の中で、成果として印象に残っていることはありますか。
粟野:先ほどお話しした江戸時代の可也山石切場の文化財指定ですね。自分の足で山を歩いて調査し、石を割った痕跡(矢穴)を一つひとつ確認しながら記録し、報告を上席の職員とまとめました。指定に至るまでの一連のプロセスに携われたことは、大きな達成感につながりました。
ー発掘調査を通して、面白いと感じた発見はありますか。
粟野:石切場の調査と同じ時期に携わった発掘現場では、中世初頭頃の遺構として、幅10メートル、深さ1メートルを超える大溝が見つかりました。なかなか出くわさない事例で、面白かったですね。掘り進めると層ごとに時代が異なり、出土する土器や陶磁器の種類も変わっていくので、掘りながら新しい発見がありました。
ー糸島市は、こうした出土品が見つかりやすい土地なのでしょうか。
粟野:糸島市周辺は弥生時代に「伊都国」と呼ばれ、朝鮮半島からの使者が訪れ滞在したという記録も残る地域です。海に近く海運の利便性が高いことから、当時の文化を受け入れやすい土地だったと考えられています。この地の利は中世においても変わらず、今回発見した溝のような遺構や遺物からも、当時の様子がうかがえます。


課を超えたつながりと、海と山が近い暮らし。求める人物像とは
ー入庁してから大変だと感じることはありますか。
粟野:財団出身の私にとって、予算管理や新しい事業を立ち上げる際の調整は、入庁して初めて経験することが多くありました。備品を購入する際にも説明材料をきちんと揃える必要があり、当初は戸惑うこともありましたね。また、発掘事業は年度をまたいで進むため、次年度の準備を前年度から進めておく必要がある点も、財団時代とのギャップとして実感しています。
ー糸島市役所の雰囲気や働く環境について教えてください。
粟野:市役所全体として、課を越えたつながりが強いという印象があります。発掘の準備で建設課など他の部署と調整する場面も多いのですが、話しやすい環境があり、入庁当時から助けられてきました。文化課の中でも、職員が限られている分、連携して業務を進めています。
また、夏場は熱中症対策として時差出勤の制度を利用して、発掘作業を朝早い時間帯にずらすことで、その後の業務にもゆとりを持てるようになりました。
ー糸島市での暮らしについてはいかがですか。
粟野:入庁して数年は糸島市内に住んでいて、今は福岡市に引っ越していますが、糸島市周辺は地域とのつながりや交流があり、とても住みやすい町だと感じています。食べ物もおいしく、海も山も近いので、休日には山登りや海に出かけることもあります。
ー最後に、この記事を読んでいる求職者の方へメッセージをお願いします。
粟野:何事にも情熱ややる気を持って取り組める方に来ていただけたら嬉しいです。私自身、財団から糸島市に来たのも「やりたいことがある」という思いからでした。目的意識を持って仕事に向き合える方だと、とても心強いです。

ー本日はありがとうございました。
粟野さんは糸島市の文化財が持つ歴史的な背景や、発掘調査の具体的な流れについて、分かりやすく語ってくださいました。行政手続きと発掘現場、そして報告書作成という異なる性質の仕事を行き来しながら、文化財を次の世代に残していく仕事の奥深さが伝わるインタビューでした。
取材・文:パブリックコネクト編集部(2026年9月取材)
この記事の官公庁・自治体
糸島市は福岡市と佐賀県唐津市に隣接する福岡県の西の玄関口です。 北は玄界灘、南は脊振山系に面し海の幸も山の幸もある『自然の豊かさ』を実感できるまちです。 交通環境は、東西方向にJR筑肥線が通り、国道202号バイパスや西九州自動車道、主要地方道の大野城二丈線など幹線道路も通っており、高い利便性も備えています。 九州大学を始めとした近隣の大学と連携した『糸島だからこそ』できるまちづくりを進めています。
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