管理栄養士として14年、そして30代後半で町職員へ。宮城県・山元町役場で見つけた「まちごと支える」仕事
山元町役場
「⾃分の経験が、役場でどのように住民の方々の何の役に⽴つのだろうか」
そんな不安を抱えながらも、公務員の世界に⾶び込んだ。
宮城県⼭元町役場の総務課⼈事班で働く職員にお話を聞きました。⼤学卒業後、管理栄養⼠として介護⽼⼈保健施設で6年、特別養護⽼⼈ホームで8年。合わせて14年間、⾼齢者福祉の現場で人々の「⾷べる」を⽀えてきた⽅です。
30代後半で、全くの未経験分野への転職。さらには、⽣まれ育った福島県を離れ、宮城県内へ移り住むという大きな変化が重なったタイミングでした。⺠間企業から公務員への転職を考えている⽅が、いちばん知りたいのは「実際に働いてみて、実際どうだったのか」ではないでしょうか。今回は良い⾯だけでなく、⼤変だったことも含めて、率直に語っていただきました。
14年間、ご高齢の方々の「食べる」を支えてきた
▼ まず、現在のご所属と担当されているお仕事を教えてください。
「総務課の⼈事班に所属し、今年度で2年⽬になります。1年⽬は主に給与と職員研修などの業務を担当していて、今年度からは給与から共済などの業務に担当が変わりました。今は主に共済や福利厚生、職員研修もあわせて担当しています」
▼ 山元町役場に入られる前は、どんなお仕事をされていたのでしょうか。
「⼤学を卒業してから、管理栄養⼠として働いていました。介護老人保健施設で6年間、その後、特別養護⽼⼈ホームで8年間です。ずっと⾼齢者福祉の現場に携わってきました」
14年。決して短くないキャリアです。
管理栄養士と聞くと、献立を立てる仕事を思い浮かべる方が多いかもしれません。ただ、2つ目の職場での仕事は、少し違っていたそうです。
「献⽴は栄養⼠が作り、調理師が調理をします。管理栄養⼠の役割は、⼊居者の⽅々の"⾷べる"を支えることです。⾷べることは、人生の楽しみや幸せにつながる⼤切な営みです。一人ひとりの状態に合わせて、どのようにすれば安全に、そしてできるだけ長く⼝から食事を摂り続けられるかを考え、さまざまな⼯夫を重ねていました」

転機は結婚と出産。そして「点ではなく、まちごと支えたい」という思い
▼ 転職を考えたきっかけは何だったのでしょうか。
「結婚と出産です。もともと⽣まれも育ちも福島県ですが、それを機に家族の事情でこちらに転居することになりました。」
ただ、「転居したから」ということだけが理由ではありませんでした。14年の現場で⾒てきたものが、進む道を決めていました。
「施設で勤務していたとき、それまでお元気に過ごされていた⽅が、入所した途端に環境が変わったショックで⾷事が摂れなくなり、弱ってしまう姿を目の当たりにしてきました」
「そのときに、住み慣れた地域でその⼈らしく暮らすということは、本当に⼤切なことだと、⾝をもって実感しました」
「管理栄養⼠の仕事には、やりがいと責任感を持って向き合ってきました。ただ、これからのキャリアでは、住⺠の⽅々がずっとその地域で住み暮らせるような、まちづくりに関わりたいと思いました」
家族との過ごし方が変わった
「管理栄養⼠は施設勤務の場合、シフト制のところが比較的多いです。私が勤務していた施設も、土日祝日を含めたシフト勤務でした」
ただ、⼦どもが⽣まれたことで、その働き⽅への⾒え⽅が変わりました。
「⼟⽇に家族と過ごす時間、⽣活のリズムを⼤切にしたいと思ったときに、公務員は魅⼒的だなと。福利厚⽣やお休みの面でも」
▼ 実際に入庁されて、その部分はいかがですか。
「⼟⽇祝日が休みになったことで、家族との時間が取れるようになりました。以前は⼟⽇に休めないことが多々ありましたので、その点は本当に良かったと思っています」
受験したのは、山元町だけだった
▼ 転職活動では、他の自治体も受けられたのですか。
「受けていません。山元町だけです」
▼ それはなぜですか。
「まず、⾃宅から近いこと。それと年齢の要件です。私の年齢だと、受験できる⾃治体はどうしても限られていました」
⺠間から公務員への転職を考えるとき、年齢要件は現実的な壁になります。だからこそ「挑戦するなら今」と、決断をしました。
「今日はこれをやろう」が、そのとおりにいかない日

▼ どのように業務を進めていますか
「共済や福利厚生に関わる業務は、職員からの相談や問い合わせに応じることが数多くあります。職員が安心して働けるよう、丁寧な対応を心がけながら合間を縫ってひとつひとつの手続きを進めています。制度やルールが複雑で、判断に迷うことも多々あるため、自分一人で抱え込まず、上司や先輩方に相談しながら進めることを大切にしています。周囲のサポートを借りながら正確で丁寧な対応を心がけています」
▼ 残業はあります
率直に教えていただきました。
「私が担当する業務ですと、おおよそ、⽉に20時間くらいの残業をしています。ただ、部署や担当する業務によっては、残業がほとんどないということも珍しくありません。」
想像以上だったこと——行政という立場と、災害時に真っ先に役場へ向かう責任
▼ 前職ではやっていなかったけれど、公務員になって求められるようになったことはありますか。
⾏政ならではの難しさもありました。
「法令や条例に基づいて適切に業務を進めることは、これまでと違いました。専⾨⽤語も多く、制度も複雑なため、その点はとても難しかったです」
そしてもうひとつ。業務としては理解していたものの、実際に災害を経験して初めて、公務員としての責任の重さを実感したといいます。
「災害の際は、真っ先に役場に駆けつけることになります。頭では理解していましたが、いざ経験してみると、その責任の重さを一層実感しました」
▼ この2年で、実際にそういう場面はありましたか。
「夜間に津波注意報が発表されたことがありました。⼦どもを夫の実家に預けて職場に向かうことになり、その際、改めて公務員としての責任の重さを実感しました」
選挙事務も、この2年で何度か経験しました。
「慣れない業務で、一つのミスも許されないため、⾮常に緊張しながら対応したことを覚えています」

「1年間、記憶がないくらい走り抜けた」
新しい仕事と、新しい地域での⽣活。そのふたつが、同時に始まりました。「昨年は、1年間記憶がないくらい⾛り抜けた感じです」
今も勉強の毎⽇だといいます。
「本当はもっと勉強をしたいのですが、⼦育てもある中で、正直、まだ⼗分にできていないという悔しさがあります。ただ、まずは⾃分なりに頑張りたいと思っています」
▼ 今後、挑戦してみたい部署はありますか。
「今は、⾃分に何ができるのだろうかと迷っている時期でもあります。ただ、給与を担当していた際に税務課とやり取りする機会があり、公務員として働くなら税に関する知識は必要だと思いました。そのため、税務課の仕事も経験してみたいと」
分からないことを、分からないままにしない。これまで培ってきた姿勢が、そこにありました。
休日は、廃校になった中学校の体育館へ
休⽇には、⼭元町に新しくできた⼦どもの遊び場に出かけます。
「廃校になった中学校の体育館に、大型トランポリンやエアマットなどで思い切り身体を動かして遊べる場所ができました。特に暑かったり寒かったり、天気が悪い際には本当にありがたくて。よく⼦どもを連れて⾏きます」
⾃分が働くまちの施設に、休⽇は⼦どもと⼀緒に⾏く。まちづくりに関わる仕事の、いちばん素朴な⼿ざわりかもしれません。
未経験から公務員に挑戦しようとしている、あなたへ
最後に、同じように⺠間企業から公務員への転職を考えている⽅へ、伝えたいことを聞きました。
▼ ご自身と同じような境遇の方に「公務員に転職してどう?」と聞かれたら、どうお答えになりますか。
「思っていた以上に、責任のある仕事だと実感しています。災害時の対応などを含め、覚悟が必要な場面は確かにあります」
「私⾃⾝も、公務員としてやっていけるのだろうか、今までの知識や経験がどのように住民の方々の役に立つのだろうかと、不安になりました」
それでも、と続けます。
「山元町役場には、温かくサポートしてくださる上司や先輩方がたくさんいます。相談できる環境もありますので、事前に何かが必要というよりは⸺不安な気持ちがあっても、挑戦してみたいという思いがあれば、安心して⾶び込んできてほしいですね」
14年間の管理栄養⼠としてのキャリアは、履歴書の上では総務課⼈事班の仕事と重なりません。けれど、⽬の前の⼀⼈ひとりの状況を⾒て、他の専⾨職と話し合いながら最適を探し続けてきた経験は、⼭元町の職員としての今に確かにつながっています。⼭元町役場では、⺠間企業でのキャリアをお持ちの⽅の⼊庁をお待ちしています。
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この記事は、2026年8月4日にパブリックコネクト編集部が取材した内容をもとに作成しています。記載の内容・所属・数値は取材当時のものです。
この記事の官公庁・自治体
宮城県の東南端に位置する山元町は、西に阿武隈山地、東に太平洋を望む、自然に恵まれた温暖で暮らしやすい町です。 東日本大震災により甚大な被害を受けましたが、「創造的復興」を掲げ、復興から新たなまちづくりへと歩みを進めています。 子育て支援や移住・定住施策の充実を図るとともに、いちごを中心とした農業や観光振興など地域資源を活かした取り組みを進めています。 小さな町ならではの住民との距離の近さの中で、町民の声を生かしたまちづくりに挑戦できる環境が広がっています。
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