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【離島×移住×公務員】島の暮らしに溶け込み、まちの「当たり前」と自分の生き方を心地よく変えた人たち
【離島×移住×公務員】島の暮らしに溶け込み、まちの「当たり前」と自分の生き方を心地よく変えた人たち
瀬戸内の小豆島、日本海の隠岐、東シナ海の五島。それぞれの島に、別の土地から移り住んで役所ではたらく人たちがいます。
共通しているのは、飛び込んでみようという軽やかさと、目の前の人を大切にする姿勢。今回は、3人のストーリーをお届けします。
※各記事の所属・年次はインタビュー当時のものです。

「何よりも町民の方々が温かく、『この人たちの為に働きたい』と思えるような環境でした」
北海道札幌市出身の蛯谷さん。中学生の頃にドラマを通して抱いた瀬戸内海への憧れを、東京でのAD生活を経て「公務員×移住」というかたちで叶えました。
中学生の頃、「海の上の診療所」「Nのために」「表参道高校合唱部!」といったドラマの舞台が小豆島や瀬戸内海の島々であることが重なり、いつか暮らしてみたいという想いを温め続けていました。同時に、自分もドラマ制作に関わりたいという夢も。瀬戸内海と、テレビ業界。二本立ての柱です。
ただ就職活動を迎えると、島でどうやって生計を立てればいいのかが分かりません。まずは仕事内容がはっきり見えているテレビ業界へ。テレビ朝日系の番組制作会社の六本木オフィスで、スポーツ中継のADとして目まぐるしい日々を過ごします。
希望したドラマ制作とは距離のある現場。この多忙な生活を生涯続けるイメージは湧きません。そこへ重なったのが、街に人が溢れているのに誰ともつながっていないという、都会の人間関係の薄さでした。
役場は「面白くなさそう」と、当初は視野に入っていませんでした。それでも移住という視点で捉え直すと、安定して働きながら小豆島を一番近くで知れる仕事でした。
入庁後は窓口や電話で島の方言が聞き取れず、先輩に代わってもらうことも少なくありませんでした。周囲が辛抱強く接し続けてくれたことで、いまでは楽しく話せるように。顔見知りの住民も増え、事務的な対応をこなすだけではない人の温かみを日常的に感じられます。
現在は総務課の人事給与担当。給与計算や手当の支給処理といったデスクワークですが、職場に流れる時間は東京とは全く異なります。
休日は同期や同僚と食事や遊びに出かけ、一人で他県から移住してきた身でありながら、周囲が心の距離を近くして接してくれるため孤独感はありません。「面白いかどうかではなく、『やりたい』と思える仕事だった」と蛯谷さんは語ります。
多忙なAD業務と並行して公務員試験の対策をするのは現実的ではありません。転機は、受験した年から土庄町役場の試験が変わり、公務員試験が廃止されてWeb形式の適性検査になったことでした。
これならチャンスがあると、その勢いのまま応募へ。移住という大きな変化に伴う不安を、役場という安定で支える。リスクを相殺しながら、理想の暮らしへ飛び込んでいきました。
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「丁寧に対応するのは当たり前ですが、自分の対応一つが役場全体の印象に繋がると思うと、身が引き締まります」
千葉県出身の土橋さん。大学で描いた「まずは民間、その先で地方創生へ」というキャリアをたどり、東京の広告代理店から地域おこし協力隊として隠岐の島町へ。活動を経て、役場の正規職員になりました。
大学では観光学と地方創生を学び、キャリアの一歩目に選んだのが東京の広告代理店でした。3年ほど働いたのち、次の一歩に選んだのが地域おこし協力隊です。
任期は3年。終われば地元に帰ることもあるだろうと考えていたからこそ、せっかくなら全く経験のない環境にと、活動先を「離島」に絞ります。隠岐の島町に決めたのは、歴史の授業で聞いた「隠岐国」への関心と、応募したいタイミングで募集が出ていたご縁でした。
待っていたミッションは「関係人口の創出」。島に愛着を持ってくれる人をどう増やすかという、目に見えにくい課題が横たわっていました。
まずは目に見える成果をと、町の観光やイベント情報を届ける「つながり会員」制度を立ち上げます。さらに町内のゲストハウスと協力し、島外の人と一緒にサウナを作るプロジェクトを実施。20名ほどが参加しました。
ただ遊びに来てもらうのではなく、一緒に汗を流して何かを創り上げる。その体験から、任期が切れた後もマラソン大会の沿道で応援してもらえるような、島との深い繋がりが生まれました。
定住を決めた理由は2つ。島の暮らしが自分にとって本当に「心地よい」と感じたこと。そして現在の奥さまと出会い、家族でこの島に残り続けたいという思いが生まれたことです。この町を、今度は作る側として良くしていきたいと、役場職員になりました。
職場から家までは車で5分。基本は定時で帰れるため、千葉では往復3時間かけていた釣りを、いまは仕事終わりに楽しめます。男性職員の育休取得実績も出てきており、将来のライフプランも安心して描ける環境です。
入庁当初は未経験の「庁舎管理」に配属され、イメージとのギャップに戸惑いました。それでも「まずは自分でやってみる」を大切に、相談しやすい上司や同僚と解決策を探りながら知識を吸収します。
島で生まれ育った方々の濃いコミュニティと、Iターン者同士のコミュニティ。その二つが混ざり合う土壌があり、外部から来た人間でもすんなり溶け込めました。
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「最終的に五島を選んだ決め手は、理屈ではなく『人』でした」
愛知県出身、神奈川のメーカーでエンジニアとして10年働いた近藤さん。全国の島々を巡った末に五島市を選び、移住と同時に入庁しました。
京都の大学を卒業後、神奈川県のメーカーで開発職に。都会での生活も充実していましたが、30代を前に「都会の暮らしはもう十分かな」とふと思い、「島に住もう」と全国の島々を巡り始めます。
ただ、神奈川に住みながら離島で仕事を探すのは、現実にはかなり難しい。前職から年収が大幅に下がることも見えていました。
沖縄や鹿児島の離島にも足を運びました。どこも海は綺麗でしたが、決め手になったのは景色ではなく人でした。移住の下見で五島を訪れた夜、飲みに出かけた先で出会ったおじさんたちが、初対面の近藤さんを家族のように受け入れてくれたのです。その心地よさが忘れられず、「ここならやっていける」と直感しました。
「もし他にやりたいことが見つかったらその時に考えればいい。まずは五島での生活をスタートさせよう」。そんな軽やかな気持ちで受験を決めています。
二次試験の面接では「本当に後悔しない?」「給料下がるけど大丈夫?」と何度も念押しされました。それでも、ざっくばらんな雰囲気で想いを聞いてもらえる優しさを感じます。ここでも、決め手は人でした。
最初に配属された未来創造課では、エンジニアとしての経験を買われ、全庁的なシステム管理やサーバー運用を担当。驚いたのは入庁からわずか1ヶ月後、上司から幹部会議への同席を頼まれたことです。
生成AIが話題になり始めた時期。市長や幹部の前でデモンストレーションを実施し、検証を重ねて2年目には全庁的な導入を実現しています。
現在はこども未来課で、ひとり親家庭への手当事務や婚活イベントの企画、少子化対策を担当。窓口で市民と直接話す機会が格段に増えました。
暮らしも大きく変わりました。五島で出会った方と結婚し、父になったのです。神奈川では毎晩のように飲み歩いていた日々から、週末は子どもと海へ出かける日々へ。透き通るような五島の海を、子どもも大好きだといいます。
最も苦労したのは方言でした。普段なら聞き返せますが、窓口で市民が少しヒートアップしている場面では聞きづらく、必死に文脈を読み取るしかありません。それでも移住者コミュニティや飲み屋のおじちゃんたちとの会話を通じて、少しずつ島の言葉に慣れていきました。
覚悟が要るのは「島特有の自然のリズム」。波が高くなれば船は止まり、旅行の計画を見直したり、台風でスーパーの品揃えが変わったりすることもある。それすらも島暮らしの醍醐味として楽しめる余裕があるといい、と近藤さんは語ります。
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便利なインフラが都会と同じようにそろっていなくても。飛び込んでみようという軽やかさと、目の前の人を大切にする優しさがあれば、まちの「当たり前」も自分の生き方も心地よく変えていけます。
誰と働くかで日々の充実を見つけた蛯谷さん、島との繋がりを自ら創り出した土橋さん、前職のスキルを島の未来に接続した近藤さん。3人の歩みが示すのは、島だからこそできる生き方の可能性です。
いまの働き方や暮らし方に疑問を感じているなら。「離島の公務員」という選択肢を、少し覗いてみてください。
