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【移住×公務員】縁のないまちに、残る理由ができるまで

【移住×公務員】縁のないまちに、残る理由ができるまで

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2026/09/10

人口約7000人の雪国・山形県最上町。新幹線の駅があり東京圏へのアクセスがいい高原エリア、長野県佐久市。島内に電車のない、兵庫県南あわじ市。

 

生まれも育ちも別の土地で、地方公務員として働き、暮らしている人たちがいます。働いて、暮らして、人と出会ううちに、「このまちに、もう少しいたい」と思える理由が少しずつ増えていった。

今回は、そんな3人のストーリーをお届けします。

 

※所属・年次、記事中の数値は、いずれもインタビュー当時のものです。

 

Case 1| 神戸から来た22歳が、14年暮らすまで (最上町役場 玉浦さん)

「正直に言うと、『大自然に抱かれて』みたいな移住の美談は一切なくて」

 

神戸出身の玉浦さんが最上町へやって来たのは、22歳の春。地域おこし協力隊として移り住み、当時は「3年で帰るから」と言い切っていました。

 

それから14年。今では家族4人で、この雪国に暮らしています。

 

1|「面白みのない先生になりそう」と思った

学生時代、夢だったのは教師になることでした。けれど、このまま先生になっても勉強しか教えられない、面白みのない先生になりそうだ。そう悩んだ時期があったといいます。

 

まだ自分には人生経験が足りない。そう考えていたときに知ったのが、仕事をしながらいろいろなことを経験できる「地域おこし協力隊」でした。

 

2|「1年目はとにかくいろんな経験をしなさい」と送り出されて

当時の上司は、とても理解のある人でした「1年目はとにかくいろんな経験をしなさい」と送り出してくれた1年目は、初めてのことばかりの日々です。町民の皆さんとさまざまなアクティビティを楽しみ、これまで知らなかった世界に触れていきました。

 

2年目には、役場の職員と一緒に働く機会が増えます。そこで芽生えてきたのが、「公務職場って楽しそうだな」という気持ちでした。その後、正規職員となり、今も最上町で働いています。

 

3|仕事終わりに、子どもと毎日温泉へ

移住して一番良かったのは、毎日温泉に入れる生活かもしれない。玉浦さんはそう語ります。

仕事が終わると、子どもと一緒に瀬見温泉の共同浴場「せみの湯」へ。地元民なら月額3,750円です。源泉が熱いため、足湯では温泉たまごを作ることもできます。

 

朝晩の食卓に温泉たまごが並ぶ生活は、神戸時代には考えられませんでした。子どもは家からおやつとジュースを持ち込んで足湯に入る。毎日温泉に入っているのだから足湯はいらないだろう、と笑います。

 

4|「困ったら玉浦さん」先生を支える仕事

現在はこども支援課で、幼児施設の管理や電気設備の保守、軽微な修繕まで担当しています。先生たちが子どもたちと向き合えるように、施設の環境を整える仕事です。

 

園長からは「困ったら玉浦さんにお願いしよっか」と頼りにされ、子どもたちからは毎日"玉浦コール"を受けています。

 

昨年は自身の発案でオートロック機能を導入しました。それまで先生にわざわざドアを開けに来てもらっていた手間を、遠隔での開錠でなくしています。

 

14年間居心地よくいられたのは、これまでの最上町に惚れていたからだといいます。おせっかいな人が多い。でも、そのおせっかいが、移り住んだ人にとっては本当にいい環境になっている。

だからこそ、「初めて来たときのこの最上町を残したい」と語ります。3年で帰るつもりだった町には、もう離れる理由がなくなっていました。

 

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Case 2|仕事で住み始めたまちに、家を建てた。そして今は、移住を支える側に(佐久市・藤田さん)

「移住の相談というのは、いわば『人生相談』のようなものです」

 

横浜出身の藤田さん。前職では旅館運営の再生事業に携わり、全国を動き回ってきました。赴任先が軽井沢なったときに住み始めたのが佐久市でした。

 

1|「移住しよう」と思って、来たわけではなかった

鳥取県米子市から始まり、静岡県浜松市や伊東市を経て、軽井沢へ。仕事をする場所が変わるたびに、暮らす場所も変わっていきました。佐久市も、軽井沢への赴任が決まって初めて住むことになった土地です。

 

2|結婚して、子どもが生まれて、家を建てた

佐久市で暮らすうちに、結婚し、子どもが生まれ、家を建てました。いつの間にか、家族と暮らす場所になっていました。

 

地域に根ざして長く働きたい。家族との時間もほしい。そう考えて受験したのが、佐久市役所でした。そして、令和5年度に入庁。

 

最初に定時の17時15分で上がって帰宅したときは、妻から「どうしたの? 体調悪い? 大丈夫?」と本気で心配されたといいます。

 

3|今度は、自分が移住する人を迎える側に

配属されたのは、移住交流推進課の移住推進係。空き家バンク事業の運営や、東京・大阪で開かれる移住セミナーの企画を担当し、月1回のペースで移住イベントにも出展しています。

相談件数は右肩上がりで、転入と転出を比べた社会増の数字は、長野県内の自治体で2年連続1位です。

 

人気の理由として藤田さんが挙げるのが、佐久平駅からの新幹線での東京圏へ最短70分のアクセスの良さと、気候です。佐久市はこれまで熱帯夜を記録したことがありません。夏でも湿度が少なくカラッとしていて、非常に過ごしやすい環境だといいます。

 

佐久市役所には中途採用の職員が多く、さまざまなバックグラウンドを持った人が馴染みやすい雰囲気があるとも語ります。職場は風通しがよく、係長や課長ともざっくばらんに意見交換ができる環境です。

 

前職では現場を離れてから、総務や人事といった社内の仕事が長く、顧客の声を直接聞く機会が久しくなっていました。

 

今は、移住を考える人の話を直接聞いています。移住の相談は、いわば人生相談です。さまざまな人の価値観や、これまでの人生経験、その背景を対面で聞ける。それが非常に貴重で面白い経験だといいます。

自身が外から来た移住者であることも、移住支援に活きています。

 

4|家の裏がすぐ山。暮らしそのものが変わった

今の家は、裏がすぐ山という環境です。毎朝山をジョギングしてからシャワーを浴びて、出勤する。それが藤田さんの一日の始まりです。夏場は子どもを連れて川へ遊びに行ったり、山に登ったり。東京や横浜ではできない生活ができています。

 

仕事の都合で住み始めた町で家族ができ、家を建て、今度はその町へ移住してくる人を支える側になりました。

 

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Case 3|ツーリングで通ったまちに、就職先を一本に絞った(南あわじ市・野田さん)

「偶然訪れたこの街の人の温かさと、穏やかな風土に惹かれて、ここで働きたいと強く思いました」

 

高校卒業まで東京で過ごした野田さん。親の勧めもあって兵庫県の大学へ進学し、趣味のツーリングで訪れるようになったのが南あわじ市でした。そこで出会った人たちとの何気ないやりとりが、進路を変えていきます。

 

1|「こっちに停めたらええよ」

大学時代はコロナ禍で、なかなか大学へ通えませんでした。その代わり、趣味のバイクで一人ツーリングに出かけます。よく訪れていたのが、淡路島の南あわじ市でした。

 

ある日、バイクを停める場所に困ってウロウロしていると、その様子に気づいた人が声をかけてくれました。

「こっちに停めたらええよ」 「どこから来たん?」

 

そうやって声をかけ、ジュースを奢ってくれる人もいました。そういう人の温かさに触れて、すごく良い場所だと感じたといいます。

 

2|電車のないまちは、都会が苦手な自分に合っていた

もともと都会も満員電車も苦手で、そういう生活は自分に合わないと思っていました。南あわじ市には、島内に電車がありません。

 

それでも野田さんにとっては、ストレスのない理想的な環境でした。そこで南あわじ市役所一本で、就職を決めます。

 

3|知らない地名を、地図とにらめっこしながら覚えた

1年目から総務企画部の市民協働課に所属し、主な担当は自治会の運営支援です。集会所の改修や新築に対する補助金の交付、旧小学校区を単位とした21地区の自治会長で構成される連合自治会の事務局も担っています。

 

入庁当初に苦労したのは、地名が全くわからなかったことでした。自治会の名前も地名に由来するものが多く、どこの地区の話をされているのか掴めません。地区ごとに農業が盛んだったり、漁業が中心だったりという特色の知識も、ゼロからのスタートです。

 

半年ほどは、地図と資料をにらめっこしながら必死で覚える毎日でした。仕事を通して、少しずつ「知らない」が「知っている」に変わっていきました。

 

4|仕事の先に、地域のつながりができた

年に一度、市内の全自治会長と関係者が一堂に会するイベントがあります。表彰式、講習会、懇親会の三部構成で、総勢170名ほど。その準備から運営までを事務局として取り仕切ったとき、大きな達成感がありました。

 

休暇は取りやすく、繁忙期を除けば定時から15分か30分以内には退庁できています。毎週水曜日はノー残業デー。暮らしのほうでも、地域のソフトバレーボールチームに入り、週に1回体を動かしています。

 

同期と出かけたり、入庁当初から世話になっている先輩と食事に行ったり。気づけば、仕事の相談ができる人も、休日に一緒に過ごす人も増えていました。

 

夏は海からの風で東京より涼しく、冬も雪が積もったことは一度もないといいます。東京育ちで、南あわじ市には何の縁もなかった。それでも今は、この町で働き、この町の人たちと暮らしています。

 

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生まれ育った土地でなくても、暮らすまちは選べます。最初から特別な理由がなくてもいい。働いて、暮らして、誰かと出会う。その先で、「もう少し、ここで働いていたいな」と思える理由が見つかるかもしれません。

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